世界史から三権分立を考える
最近行われた衆議院における国会討論において野党議員がフランス絶対王朝全盛期の国王ルイ14世が述べたという言葉『朕は国家なり』を引用して安倍総理に質問した。検察庁法の改正は「三権分立」を有名無実化するものではないのかと追及する質問内容であった。この野党議員の質問に対して頓珍漢な回答を安倍総理はした。「私は選挙民から選ばれた衆議院議員であり、衆議院議員から選出された総理大臣であり、断じてルイ16世のような存在ではない」と言うような回答をした。『朕は国家なり』、この言葉を発したのはルイ14世あり、ルイ16世はフラン革命で断頭台の露と消えた国王であると安倍総理の発言を野党議員の山尾志桜里氏はインターネットテレビで訂正していた。『朕は国家なり』という言葉が何を意味しているのかと言う事を安倍総理は十分理解した上で頓珍漢な回答をしたのか、それとも全然理解しているわけではなく、やむを得ず頓珍漢な回答になってしまったのか、私には分からない。ルイ14世とルイ16世との違いを充分安倍総理が理解していたとも思えない以上、『朕は国家なり』とフランスブルボン朝絶対王政全盛期の国王ルイ14世が述べた言葉が何を意味しているのかを安倍総理は理解していたとも思えない。
1655年ルイ14世は親政開始前、最高司法機関高等法院を王権に服従させるために発言した言葉の一節だと云われている。後にこの言葉はフランス絶対王政を象徴する言葉となった。共産党の宮本徹衆議院議員は検察官に対して国家公務員法を適用することは従来の検察庁法の解釈の変更であり、「フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕は国家である』との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせる姿勢だ」と批判したのである。司法権を王権に服従させた言葉が『朕は国家なり』という言葉の由来なのだ。行政権が司法権を服従させようとしていると安倍内閣を批判したのが共産党宮本徹議員の発言であった。この発言に対して真っ向から反論するなら、黒川高等検察庁長官の定年延長を閣議決定で行ったことは、行政権が司法権を服従させる意図を持ったものではないということを安倍総理は説明し、反論すべきであった。
立法、行政、司法が権力を形成している。ブルボン王朝の国王たちは絶対権力者たちであった。17世紀はフランスの世紀だと言われた。絶対権力を保持した代表的な国王が太陽王と言われたルイ14世であった。このフランスブルボン朝の絶対王朝が1789年から始まるフランス革命によって倒されて共和制が確立していく。絶対王政に変わる民主政が形成されていく過程で第一に創られたものが憲法であった。国王という人間が王権は神から授けられたものだと主張し、正当化し国を統治したのが絶対王政であった。だから明治天皇の神権政には西洋の絶対王政と似通ったところがあるように思う。明治憲法第一条には「大日本帝国は、万世一系の天皇が、これを統治する」と。第3条には「天皇は神聖にして侵すべからず」とある。憲法とうたっているところに近代性がある一方内容に前近代性が交じり合っている。憲法はフランス革命の成果として生まれたものである。人間が支配する社会から法が支配する社会に変わった。法の支配の中心にあるものが憲法のようだ。法の支配を実現していくものが行政であり、立法であり、司法である。権力とは立法であり、行政であり、司法なのだ。
18世紀啓蒙思想家モンテスキュウのような人が出て来て『法の精神』を表し、その影響のもとにアメリカがイギリスから独立し、基本法として1787年に憲法が制定され、世界最初の共和政原理をかかげ、三権分立、大統領制などが実現した。1791年、憲法修正によって権利章典が加えられた。
立法、司法、行政に権力を分け、互いに監視し合う関係を作ることによって独裁を防ぎ、民主政を実現する。三権分立は民主政治を実現する政治システムである。日本にあっては1945年に第二次世界大戦に敗戦し、明治憲法が廃止され、新しく日本国憲法が施行され、73年目を迎えている。この間、絶えず行政権を強化拡大しようとする動きがある一方、これを押さえようとする動きが鬩ぎ合ってきたように感じられる。民主政とは多数決という短絡的な主張がある。選挙で多数を獲得した政党が政権を取ると多数決の原理に則って何でもできると思い違いをして行政権を拡大させ、立法権や司法権をないがしろにするような事態が生れてきている。民主政とはきっと時間はかかるかもしれないが、時間をかけて合意形成をする政治なのであろう。