方丈記7
原文
さきの年かくの如くからくして暮れぬ。明くる年は立ちなほるべきかと思ふに、あまりさへ疫癘(えきれい)うちそひて、まさざまに跡形(あとかた)なし。世の人みなけいしぬれば、日を經つゝきはまり行くさま、少水の魚のたとへに叶へり。果てには笠うち着、足ひきつゝみ、よろしき姿したるもの、ひたすら家ごとに乞ひありく。かくわびしれたるものどもの、歩(あり)くかと見れば則ち斃れふしぬ。築地(ついぢ)のつら、道のほとりに飢ゑ死ぬるたぐひ、數もしらず。取り捨つるわざもなければ、くさき香世界にみちみちて、かはり行くかたち、ありさま、目もあてられぬこと多かり。いはむや河原などには、馬車の行きちがふ道だにもなし。賤(しづ)、山がつもも力つきて、薪(たきぎ)さへともしくなりゆけば、たのむかたなき人は、みづから家をこぼちて市に出でゝこれを賣る。一人がもち出でたるあたひ、猶一日が命をさゝふるにだに及ばずとぞ。あやしき事は、かゝる薪の中に、赤い丹(に)つき、薄(はく)など所々に見ゆる木、あひまじけるを尋ぬればすべき方なきもの、古寺に至りて佛をぬすみ、堂の物の具をやぶりとりて、わりくだけるなりけり。濁惡世(じよくあくせ)にしも生れあひて、かゝる心うきわざをなむ見侍りし。いとあはれなること侍りき。さりがたき妻、男持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、はかならずさきだちて死しぬ。そのゆゑは、我が身をば次にして、人をいたはしく思ふあひだに、まれまれ得たる食物(くいもの)をも、かれに譲るによりてなり。されば親子あるものはさだまれる事にて、親ぞさきだちける。又母の命つきたるをしらずして、いとけなき子のその乳を吸ひつゝふせるなどもありけり。
現代語訳
前年はこうして辛うじて暮れた。明くる年は立ち直るだろうと思っていたところ、更に疫病が重なり、惨状が一層甚だしくなった。世の人が皆飢えて死ぬようなことになるなら、日がたつにつれ惨状がきびしくなり、干上がった魚みたいなものだ。果ては笠をかぶり、足を引きり、身形の整った者がひたすら家々を乞い歩く。このように困り抜いた者どもが歩くか思えば倒れたままになる。泥塀や路傍に飢え死ぬ者の数知れぬ。取り片付けることもないので臭い匂いが周り中に満ち漂い、変わりいく形、そのありさま、目も当てられぬことが多い。言うまでもなく、河原などには馬や車が行き交う道もない。怪しいや山賊も力尽き、薪(たきぎ)さえもが乏しくなると頼れる人のない方は自宅を壊し、市場で売る。一人で持ち出し売れた値は一日の命を支える事さえ及ばない。怪しいことはこのような薪の中に赤色の付いた箔(はく)が所々に見える木が交じり合っているのを尋ねると困り果てた者たちが古寺に押し入り、仏を盗み、お堂の仏具を破り取り、割り砕いたものである。汚れと罪悪に満ちた世に生まれ合わせ、このような疎ましい事態に出会ったものである。とても残念なことである。別れ難き妻や妻のいる男の思いには深いものがあり、必ずと言っていいほど先に死ぬ。その理由は我が身を後にして相手をいたわしく思っていればこそ稀に食い物が得られれば相手に譲ろうとしているからである。親子である者は決まって親が先に死ぬ。また母の命が尽きているのが分からずに稚き子がその母の乳房を吸いながら亡くなっていることもある。
アフリカの飢餓 白井一道
今から八百数十年前の日本社会に起きた飢饉によって多くの人が亡くなったことが、現代世界のアフリカで起きている。飢饉による飢え死に事件である。現代世界に過去が蘇り襲ってきている。アフリカから全世界に広がった疫病がある。最近の例でいうなら、エイズウイルスの蔓延があった。アフリカ中西部のチンパンジーが好物の猿を食べたことにあると言われている。アフリカで発症した感染症が全世界に蔓延した。新型コロナウイルスに感染し、死亡した人の数の多いのがアメリカである。アメリカは世界の中でも最も貧富の格差が大きい国である。感染死者の多くは貧困層である。災害は弱者を直撃する。八百年前の日本社会にあっても最も大きな打撃を受けたのは貧困層である。災害は弱者を直撃する。がしかし、裕福な人々をも災害は襲う。災害は全国民的問題であると同時に全世界的な問題でもある。貧富の格差の解消をすることなく災害を防ぐことはできない。災害は人災であるという認識を全国民的なものにすることなしには乗り切ることはできない。災害は社会を変革する。