方丈記 12
原文
こゝに、六十の露消えがたに及びて、更に、末葉の宿りを結べる事あり。いはゞ、旅人の一夜の宿をつくり、老たる蚕の繭を営むがごとし。是を中ごろのすみかにならぶれば、又、百分が一に及ばず。とかくいふほどに、齢は歳々にたかく、栖はをりをりにせばし。その家のありさま、よのつねにも似ず。広さはわづかに方丈、高さは七尺がうちなり。所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めてつくらず。土居を組み、うちおほひを葺きて、継目ごとにかけがねを掛けたり。若、心にかなはぬ事あらば、やすくほかへ移さむがためなり。その、あらためつくる事、いくばくのわづらひかある。積むところわづかに二両、車の力を報ふほかには、さらに他の用途いらず。
いま、日野山の奥に跡をかくしてのち、東に三尺余の庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子(すのこ)を敷き、その西に閼伽棚(あかだな)をつくり、北によせて障子をへだてて、阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、まへに法花経をおけり。東のきはに蕨のほどろを敷きて、夜の床とす。西南に竹のつり棚を構へて、黒き皮篭三合をおけり。すなはち、和歌・管絃・往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに琴・琵琶おのおの一張をたつ。いはゆる、をり琴・つぎ琵琶これ也。かりのいほりのありやう、かくの事し 。
現代語訳
ここに60の命が消えかかる事態になって、更に晩年の住まいを作ることになった。云わば旅人の一夜の宿を作り、老いた蚕の繭を紡ぐようなものだ。この住まいを三十歳余ての時に建てた住まいと比べてみると、また百分の一にも及ばないものだ。歳を重ねるに従って住まいは狭くなっていった。その家の有様は世の常に似ていない。広さは僅かに一丈、高さは七尺に満たない。場所を思い決めていたのではなかったので、土地を購入して作ったわけではない。材木の土台を築き、上を覆っただけの簡単な屋根で継ぎ目毎に掛け金を懸けただけのもの。もし、ここが気に入らなければ簡単に他所に移そうとしたためだ。その改めて作ることは多少のわずらわしさだけだ。かかる費用は僅かに二両、車にお願いする以外は何もない。
今、日野山の奥に遁世して後、車に三尺余りの庇を作り、そこを芝をくべる場所にした。南側に竹の簀子を敷き、その西側に水や花、仏具を置く棚を作り、北側には衝立を置き、阿弥陀様の絵を掲げ、そばには普賢菩薩を描き、前に法華経を置いた。東の際には枯れた蕨を敷き、夜の寝床にした。西南に竹の吊り棚を作り、黒い皮桑折を置いた。すなわち、和歌・管絃・往生要集のような抄物を入れた。傍らには琴・琵琶各々一張を立てかけた。いわゆる折りたたんだ琴・柄の取り外しのできる琵琶だ。仮の庵の有様はこのようなものである。
日本の住まいの特徴 白井一道
日本建築の特徴は日本の風土が培ったものである。
日本の気候の特徴を気温と雨量で区分したケッペンの気候区分によると日本はほぼ温帯湿潤気候か冷帯湿潤気候に属し、世界的に見ると四季がはっきりしていている。はっきりした四季がある国と言うのは世界的には少ないようだ。気温の年較差が日較差よりも大きい。また、降水量が多く、梅雨や秋霖の影響で降水量の年変化が大きい特徴がある。
日本の気候が日本建築に大きな影響を与えている。雨量が多いので家の中では屋根が大きい。大きな屋根の家に美しさを求めて作るようになった。屋根の美しさに日本建築の特徴がある。軒の深い屋根を持った家に日本人は美を追求してきた。茅葺の家も檜皮葺きの家も瓦葺の家も皆、美しい屋根を競って作って来た。軒の深さに家の陰影が表現される。この陰影に美を発見してきた。
陽射しが冬は低く、軒に遮られることなく部屋の中に日が当たる。夏は陽射しが高く、軒が深いと部屋の中に日が射すことはない。日当たりに重点を置いた家造りが日本の家屋の特徴の一つのようだ。また、日本は雨量が多く、湿度が高い。だから通風の良い家造りをした。風通しの良い家造りをしてきた。だから床の高い家造りをした。壁を重視する西洋の家ではなく、柱と梁、桁を大事にする家造りをした。壁を重視すると風通しが悪くなる。ヨーロッパのように日本に比べて湿度の低い地域では、壁を重視する家も良いが日本では不向きな家造りだ。気温と湿度の高い日本では風通しの良い家がいい。