醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1455号   白井一道

2020-07-01 15:18:15 | 随筆・小説



  出家の記  3



 日光の街中から田舎に来た。これが実感だった。蜻蛉がたくさん飛んでいた。谷戸と呼ばれる小さな山と山との間に開けたところの真ん中に大きな農家があり、その周りに民家が十軒ぐらい建っていた。一日中、日の当たることのない北側の六畳一間を間借りであった。便所は南側の一間を間借りしている女性との共同使用であった。水道はなかった。農家の後ろに井戸があった。その井戸に紐に縛り付けたバケツを下ろし汲み上げてバケツに水をあけ、そのバケツを軒下に運び、そこで調理し、七輪で起こした火に鍋をかけ、煮炊きしていた。今から思うと母の苦労がどのようなものであったかがわかる。そのような母の苦労を理解することなく、私は歩いて四、五十分はかかる小学校へ通っていた。当時横浜の小学校低学年は二部授業だった。早番と遅番があった。早番の時は朝早く学校に行く。遅番の時は午後学校に行った。何を学んでいたのか全然記憶に残っていることはない。私は栃木県日光からの転校生だった。方言を笑われた記憶はない。私は横浜の方言が耳新しかった。横浜の農村地帯には一首独特な方言があった。「じゃ」、「じゃんか」と言う言葉が語尾につくことの違和感が記憶に残っている。
 この一年弱の滞在期間で残っている屈辱感は子供たちの間の遊び仲間から仲間外れにされたことである。ある時は私一人を遊び仲間全員が暴力的ないじめを去れたことである。私は恐ろしくなって家に帰ると家にいた「お父さん」が出て来てその遊び仲間を蹴散らしてくれたことがあった。それ以来、家の近所が子供たちが集まり、遊ぶことがなくなった。表に出てきて遊ぶ子供たちがいなくなった。それでも私は誰かと一緒に遊びたい一心で表に出て行き、一人で走ったりして遊んでいた。その時である私より年上のリーダー格の少年が私に言った。学校への通り道にある神社あたりのグループの少年と対戦する喧嘩をしないかと言った。私は承諾した。この喧嘩で勝つことができるなら遊び仲間に迎えてもらえると思ったからだ。対戦相手はやはり遊び仲間の中では浮いている少年のようだった。確かに私と同じように仲間たちから生意気だと云われている少年のようだった。私もその少年からイジメのようなことをされた記憶があった。私はリーダー格の少年が運転する自転車に乗せられて、対戦会場になる熊野神社の広場に夕方出向いて行った。高揚する気持ちと不安で保田氏は一杯だった。薄暗くなった広場に向かうと対戦相手はすでに準備万端喧嘩の準備は整っていた。私とあいての少年は向かい合い、殴り合いをした。二、三分の出来事であったが、私には長い時間のように感じられた。全然痛みを感じることはなかった。取っ組み合い、相手を倒すと起き上がり向かってきた。私はその時思い切り蹴り上げ、殴りかかった。これが俺の限界だと感じたときだ。突然、相手が泣き出した。私の気持ちが萎えていくのが分かった。と同時にあっけないものだとも、これで助かったという安心感も湧き上がって来た。帰りは悪いことをしてしまったという嫌な気持ちに襲われていた。この事以来、私は遊び仲間から外されることはなくなったが、私は誰とも仲良くしたいという気持ちもなくなった。それからすぐのことだったように思う。私たち家族は新築の二軒長屋の借家に引っ越すことになった。旧居から徒歩で10分くらいのところにある住宅地にある唯一の二軒長屋であ。二畳ぐらいの台所、四畳半と三畳の部屋しかない狭い借家だった。この借家が私の少年時代を過ごした住まいである。この借家にも風呂がなかった。当初は風呂屋まで三、四十分歩かなければならなかった。一年もすると東横線大倉山駅近くに風呂屋が開業した。この銭湯に通うことになった。
 小学校の高学年になると私たちの唯一の遊びが野球だった。野球ができなかったのでソフトボールの三角ベース遊びだった。そのうち野球チームを作ろうという話が持ち上がり、私たち悪ガキたちは鉄屑拾いをしてお金を集め、野球道具を揃えようとしていた。まずユニホームを作る。チーム名を作ろうと話し合った。その結果、私たちのチームは農村地域にあった。最も田舎っぺのチームだった。そこで師岡ベアーズとした。少年野球のチームの中では最も弱いチームだった。監督もいないチームだった。助けてくれる大人の人は誰はいなかった。街場のチームと対戦すると相手チームには大人の監督さんが付いていた。私たちの対戦チームは連戦連敗のチームだった。私はいつのまにか、チームの主将の役割をしていた。ある時、一駅ほど歩いて遠くのチームと対戦することになった。その時である。私はファーストミットとグローブを持っていた。そのファーストミットを年下の少年が失う出来事があった。