醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1474号   白井一道

2020-07-26 14:44:59 | 随筆・小説



  資本主義経済はいかに生まれて来たのか5 
 


 1623年モルッカ諸島の一つ、セラム島アンボイナでイギリス東インド会社はオランダ東インド会社に敗北し、モルッカ諸島からインドへと向かった。セラム島は香辛料の中の丁子とナツメグの唯一の産地として重要であった。丁子はハムなどの保存食造りに必要不可欠なものであった。丁子はまたクローブとも言われている。スパイスとしては、このクローブのつぼみを乾燥させたものである。クローブのつぼみが「釘」のような形をしていることから、フランス語の釘「Clou」と同じ言葉を語源とする英語「Clove」と呼ばれるようになった。中国語でも、クローブの見た目から、釘の意味を持つ「丁」が当てられ、「丁子(ちょうじ)」や「丁香(ちょうこう)」などと呼ばれている。日本では、中国式の丁子や丁香、西洋式のクローブなどが用いられている。クローブは紀元前から各地で利用されてきた。インドの古代医術アーユルヴェーダでも消化器官の治療に使われている。ヨーロッパにも2世紀頃には伝わり始め、6世紀頃には貴族たちの間に広まった。日本の正倉院の帳外品のリストにも丁香(クローブ)の名が載っているが、仏教と深く関わっていることから、やはり料理用ではなく、お香や邪気払いとして使われたのではないかと推測されている。その後、クローブがスパイスとしての価値が高まったのは大航海時代である。16世紀には長らく不明とされていた原産地を特定したポルトガル人によって、クローブ取引は管理されていた。その後、世界一周を成し遂げたマゼラン隊のビクトリア号がマゼラン死後に香料諸島に到達し、大量のクローブを積みスペインに持ち帰り、高価な香料として益々需要は高まった。マゼラン隊には、もう一方のトリニダード号がクローブを積みすぎて浸水し、修理をしている間にポルトガルに捕まった逸話が残っている。17世紀に入るとクローブの生産管理はオランダ人の手に移り、18世紀の終わり頃にフランスがモーリシャスなどでクローブ栽培を盛んに行うようになり、各地で大農園を開いた。現在でも、モルッカ諸島のあるインドネシアがクローブの最大生産国である。『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』に登場する船乗りシンドバッドがいる。シンドバッドは単に船乗りということではなく、インドからクローブなどの香辛料を運ぶ交易商人だった。
 17世紀のヨーロッパで富を築く物産は香辛料だった。この香辛料をヨーロッパ各国は奪い合った。その勝利者であったのはオランダであったが、産業革命後イギリスに追い抜かれ、イギリスの支配下に甘んじるようになる。その分水嶺にある出来事が1623年のアンボイナ事件である。オランダ商館は、イギリス商人が日本人傭兵らを利用してアンボイナのオランダ商館を襲撃しようとしているという容疑で、島内のイギリス人、日本人、ポルトガル人を捕らえ、拷問の末に自白させ、20名(イギリス人10人、日本人9人、ポルトガル人1名)を処刑するという事件が起こった。余談になるが1623年というと日本では江戸初期である。この時、日本人傭兵がアンボイナに居たことに驚いた経験が高校生の頃ある。日本の戦国時代の大名たちは敗戦国の敗残兵を捕まえ、東南アジアの国々に奴隷として販売していた歴史があることを後に知った。そうした歴史の上に江戸幕府が成立した時に出た多くの浪人武士たちの一部が東南アジアの国々の傭兵になった。日本国内に居場所を失った人々が東南アジアの国々に流れていった歴史が日本にはあるようだ。この歴史は戦前の日本にもあった。「カラユキさん」である。
からゆきさんとして海外に渡航した日本人女性の多くは、農村、漁村などの貧しい家庭の娘たちだった。彼女たちを海外の娼館へと橋渡ししたのは嬪夫(ぴんぷ)などと呼ばれた斡旋業者、女衒たちである。こうした日本人女性の海外渡航は、当初世論においても「娘子軍」として喧伝され、明治末期にその最盛期をむかえたが、国際的に人身売買に対する批判が高まり、日本国内でも彼女らの存在は「国家の恥」として非難されるようになった。英領マラヤの日本領事館は1920年に日本人娼婦の追放を宣言し、やがて海外における日本人娼館は姿を消していった。からゆきさんの多くは日本に帰ったが、更生策もなく残留した人もいる。
 世界の歴史とは強者に苦しめられる弱者の歴史のようである。その歴史はまた強者と弱者とが少しづつ対等になっていく歴史でもあるようだ。17世紀の東南アジアではオランダが覇権国として君臨したが長く続くことがなく、イギリスに追い抜かれ、世界史の舞台からオランダは退いていく。こうして強者であったものが弱くなり、歴史から消えていく。イギリスもまたアジア全域から退場していく。