醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1457号   白井一道

2020-07-05 16:59:03 | 随筆・小説



  政治と友情について



 政治の世界での裏切りは日常茶飯事のようだ。昨日の敵は今日の友となり、昨日の敵は今日の友になったりするようだ。戦国時代の下克上の世界が政治の世界なのかもしれない。そのような世界を我々国民の目の前で繰り広げられた出来事がある。それが衆議院第48回総選挙であった。
 民進党代表、前原誠司氏は小池百合子率いる「希望の党」との合流を意図して民進党を解体したのだ。それまで野党の統一を目指して選挙協力体制を構築すべく、共産党、社民党は努力してきたが、それを一気に打ち壊したのが民進党を解体し、希望の党への合流であった。共産党、社民党は前原誠司氏を裏切り者として見なしたのではないかと思う。
 この前原誠司氏の裏切りに意図することなく加担してしまった衆議院議員たちの中に小川淳也氏がいる。小川氏の国会質問を聞いていると前原氏のような裏切りができるような人物ではない。真っ正直な、人を騙すようなことができない人のようである。愚直に生きる政治家、政治家ならぬ政治家、そのような印象が国会質問にはある。この小川淳也氏を17年間にわたってカメラに収めて来たドキュメンタリストがいる。大島新氏である。彼は大島渚映画監督の息子である。私が中学生だった時、松竹ヌーヴェルバークの旗手として大島渚は登場してきた。奈良の場末の汚い映画館で炎佳代子主演の映画「太陽の墓場」を見た経験がある。何か私の中にある汚いものが映像化されているような嫌な経験であった。それ以来私は大島渚の映画を見たいと思ったことはない。それでも大変な有名人であった。しかし大島渚の息子である大島新氏は父親とは違い、真実があるようなドキュメンタリストのようだ。大島新氏が小川淳也氏を17年間にわたって撮影し続けた映画が「なぜ君は総理大臣になれないのか」である。私はこの映画を見ていない。ただ私は小川淳也氏の国会質問を聞き、小川淳也衆議院議員のファンになった者である。大島新監督に17年間もカメラを回し続けさせる魅力が小川氏にあったという事なのであろう。私が小川氏のファンになったように大島監督もまた小川淳也氏のファンになったのであろう。小川議員が初めて衆議院選挙に立候補し、落選したときから17年間カメラを大島監督は回し続けて来た。きっとフイルム代にもなるかならないかの写真を撮り続けて来た。小川氏にはそれほどの魅力があったからなのであろう。
 「なぜ君は総理大臣になれないのか」が映画館で上映され始めると大島新氏へのインタヴューがyou tube で配信された。この中で清濁併せ持つというようなことのない愚直な政治家がいると大島氏は言っている。このような純な政治家は共産党の中に二、三いるだけだと、言う人がいると話していた。私も本当に小川淳也氏は清潔な政治家、真っ正直な政治家だと思っている。ここに小川氏の魅力があるように感じている。
 小川氏はインタヴーを受け、次のような発言をしていた。大島新氏を私は友人だと思っているが「友だち」だとは思っていない。このように小川氏は発言していた。この友人と「友だち」との違いについての私の考えを述べてみたい。
 小川氏は前原氏を尊敬していたと発言している。だから2017年に行われた衆議院選挙において前原氏と一緒に選挙に臨んだ。しかし選挙後小川氏は前原氏と袂を分けた。小川氏は無所属になった。国会内では「立国社」の会派に入り、国会でも質問権を得ているという。その後、前原氏とも年に数回は合い、仲良く歓談はするという。前原氏は小川氏にとって友人から「友だち」になった。和して同ずることはないということのようだ。自民党の中にも小川氏は友だちがたくさんといるらしい。
 小川氏にとって大島氏は「友だち」ではなく、真の友人のようだ。しかし政治の世界にあって、和して同ずることがなく、政治をすることは非情な事でもあるように思う。元総理の小泉純一郎氏は昔の仲間の選挙区に刺客を立候補させたことがある。元内閣官房長官後藤田正晴は共産党の不破哲三氏と仲良かったと話していたが、気を抜くことはなかったとも話していた。
 和して同ずることなかれと、昔の人が言ったというが、裏切った者を友だちとして仲良く付き合うことが本当にできるのだろうか、疑問である。そこには憎しみのような感情はおきてこないものなのだろうか。あくまで表面的な人間関係になっていくのではないかと思う。共産党の場合は赤裸々である。例えば筆坂秀世氏という共産党の幹部がいたが、問題を起し、国会議員を辞めさせられた後、秀坂氏は反共主義者に転落し、共産党を批判している。