タケホープの酔いどれ走遊記

酒好きなおっさんランナーの日記です。

津和野城跡(3)18年5月

2018年05月09日 | 城・城址

中世山城 津和野三本松城跡

 文永11年(1274)、弘安4年(1281)の元(蒙古)軍の北九州・北浦への来襲を受け、鎌倉幕府は西石見の海岸防備を吉見頼行に命じた。頼行は弘安5年(1282)家来とともに能登から木曽野(津和野町北西部)に地頭として入り、永仁3年(1295)この城山山脈に築城を始めた。

ふ~ん、吉見氏は能登から来たんだ

 以後吉見氏は14代300年間、随時増築補強を行い、城山山脈の諸所に曲輪・堀切・竪堀・横堀などを構築して堅固な中世山城(一本松城あるいは三本松城と呼ばれた)を築いた。

城山山脈なんて大袈裟な

 

 

 

 

 

 

 

東門跡

 ここは当城の東門、坂崎氏以後亀井氏の代には大手門となっていたところである。

ダラダラブログは続くよ ど~こまでも♪


津和野城跡(2)18年5月

2018年05月09日 | 城・城址

津和野城跡(1)はどうしたの?

それがね、酔っ払って投稿していたら投稿したつもりで写真を削除してしまったのよ~

それで、(1)は無しなのよ~

15年10月の写真と似ていると思うので、載せとくね。

津和野城跡(前・後編)

 

 

めいっこは、妹の身長を越えたそうです。

 

織部丸東方の中世山城の遺構

 

武士が嫌った花

 

なんだろう

 

工事中で出丸へは行けない。

 

本丸250m

 

 

津和野城絵図(明治7年)

 

 津和野城は標高362mの霊亀山(れいきさん)上にあり、山麓からの比高は約200mを測る典型的な山城である。築城は吉見頼行(よりゆき)・頼直(よりなお)が永仁3年(1295)から正中元年(1324)にかけて行ったと伝えられる。

 吉見氏が築城した中世山城は、関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601)に3万石の大名として入城した坂崎直盛(さかざきなおもり)によって、高石垣を有する近世城郭へと大改修された。

 元和3年(1617)に因幡国鹿野城(いなばのくにしかのじょう)より亀井政矩(かめいまさのり)が4万3千石の大名として入城後は、亀井氏11代の居城として明治維新まで続いた。