中世山城 津和野三本松城跡
文永11年(1274)、弘安4年(1281)の元(蒙古)軍の北九州・北浦への来襲を受け、鎌倉幕府は西石見の海岸防備を吉見頼行に命じた。頼行は弘安5年(1282)家来とともに能登から木曽野(津和野町北西部)に地頭として入り、永仁3年(1295)この城山山脈に築城を始めた。
ふ~ん、吉見氏は能登から来たんだ
以後吉見氏は14代300年間、随時増築補強を行い、城山山脈の諸所に曲輪・堀切・竪堀・横堀などを構築して堅固な中世山城(一本松城あるいは三本松城と呼ばれた)を築いた。
城山山脈なんて大袈裟な
東門跡
ここは当城の東門、坂崎氏以後亀井氏の代には大手門となっていたところである。
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