きれいなきれい〈田添公基・田添明美のブログ〉

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この釜石の画像は2011年でなく1933年のもの

2022年10月11日 15時27分43秒 | 写真画像

我が家の天袋にある,祖父の古い革のトランク。

そこに曾祖母の助産婦時代から始まり,祖父母の若い姿,

両親の幼少時から結婚式,私たち兄弟やその当時の友達,

誰だか不明などなどアルバムや写真がいっぱい入ってます。

 

その中の1枚をカラー化してみました。日付はありません。

これは2011年3月11日の大震災の時のものではなく,

おそらく1946年7月から8月にかけての,米軍からの

艦砲射撃の跡の惨状のようです。右側が税関で,左側が

魚市場になるはずです。

印画紙の部分が劣化したのか,そうでなく延焼の煙なのか……。

誰が撮影したんだろう? 祖父はカメラが趣味で,当時の箱形の

古いカメラや木製の三脚も,この天袋に入っているのだけど,

それで撮影したかどうかも,今ではもう分かりません。

 

あっ,山肌に雪があるようにも見える。だとしたら,

昔(1933年3月3日)の津波の跡かもしれない。

記事の訂正を含む続きです。
トランクの曾祖母のアルバムの中に,同じ時期らしい写真を発見しました。
私の鉛筆書きの字で,昭和8年(1933年)の津波とあります。
記憶にはないのだけど,母に尋ねてメモしたようです。それもカラー化してみました。

 

 

 

後記:〈下の写真の撮影地点の推測〉

            

 



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (こうすけ)
2022-10-11 20:08:06
1枚目の写真は何もない平地を撮ったように見えますが、ここに民家などが建ち並んでいたのでしょうか。
2枚目の「台由丸」?はこの災害を象徴するものらしく、例えばウィキペディア「昭和三陸地震」にも写真がありますね。
貴重な写真です。地元の郷土資料館あたりへ寄贈されるべきではないでしょうか。
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Unknown (陰丸)
2022-10-11 20:36:37
1枚目の写真のカメラの位置は,私にも場所が分かる,
津波の時に逃げる,山の上の方にある避難道路からですね。
2枚目は背後に山があるので,海側からの撮影みたいです。
建物が古すぎて,私にはこの場所が分かりません。

紙焼きの印画紙は,誰が撮ったものかが不確かです。
大量に焼かれたものかもしれないし……。
機会があったら釜石の知り合いに聞いてみます。
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Unknown (こうすけ)
2022-10-12 18:01:14
ご参考まで。
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20180220005593.html?iref=pc_photo_gallery_3
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Unknown (陰丸)
2022-10-12 20:17:17
こうすけさん,新旧の津波情報をありがとうございます。
今回の投稿画像と別角度の同じ写真もありましたね。

規模や内容は勿論違いますが,2011年と1933年の津波との
共通するような画像が沢山です。
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