我が家の天袋にある,祖父の古い革のトランク。
そこに曾祖母の助産婦時代から始まり,祖父母の若い姿,
両親の幼少時から結婚式,私たち兄弟やその当時の友達,
誰だか不明などなどアルバムや写真がいっぱい入ってます。
その中の1枚をカラー化してみました。日付はありません。
これは2011年3月11日の大震災の時のものではなく,
おそらく1946年7月から8月にかけての,米軍からの
艦砲射撃の跡の惨状のようです。右側が税関で,左側が
魚市場になるはずです。
印画紙の部分が劣化したのか,そうでなく延焼の煙なのか……。
誰が撮影したんだろう? 祖父はカメラが趣味で,当時の箱形の
古いカメラや木製の三脚も,この天袋に入っているのだけど,
それで撮影したかどうかも,今ではもう分かりません。
あっ,山肌に雪があるようにも見える。だとしたら,
昔(1933年3月3日)の津波の跡かもしれない。
記事の訂正を含む続きです。
トランクの曾祖母のアルバムの中に,同じ時期らしい写真を発見しました。
私の鉛筆書きの字で,昭和8年(1933年)の津波とあります。
記憶にはないのだけど,母に尋ねてメモしたようです。それもカラー化してみました。
後記:〈下の写真の撮影地点の推測〉
2枚目の「台由丸」?はこの災害を象徴するものらしく、例えばウィキペディア「昭和三陸地震」にも写真がありますね。
貴重な写真です。地元の郷土資料館あたりへ寄贈されるべきではないでしょうか。
津波の時に逃げる,山の上の方にある避難道路からですね。
2枚目は背後に山があるので,海側からの撮影みたいです。
建物が古すぎて,私にはこの場所が分かりません。
紙焼きの印画紙は,誰が撮ったものかが不確かです。
大量に焼かれたものかもしれないし……。
機会があったら釜石の知り合いに聞いてみます。
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20180220005593.html?iref=pc_photo_gallery_3
今回の投稿画像と別角度の同じ写真もありましたね。
規模や内容は勿論違いますが,2011年と1933年の津波との
共通するような画像が沢山です。