主人公佐藤貞三は、東大に入ったが、一般の企業に就職することを嫌い、大学院に行こうと考えたが、成績は東大では無理だった。それで、N大学芸術学部で修士課程を修了し、江戸美術を講じる教員の職を見つけた。
講師になった年、いきなり縁談があった。
どうしたことか、学長がらみの大袈裟な話で、世間的な基準からすれば、すこぶるつきによい話だった。
総合商社M物産の重役の一人娘で、川崎市で生まれ育ち、準ミス川崎に選ばれた経歴を持つ、小坂千恵子という女だった。
なんのことはない、完璧な条件を誇る娘の親が、妥協を許さず、結局えり好みしているうちに、行き遅れただけだ。
東大出ということで佐藤に白羽の矢が向いた、最低の条件として教授になることだった。
しかし大学の政変に巻き込まれ、気づけば大学を出ることになってしまっていた。
長野県塩尻市の日本浮世絵美術館の学芸員の欠員ができ、佐藤を引っ張ってくれた。
妻も義父も猛反対だった。
しかし浮世絵美術館時代、よく旅行をし北斎の研究調査し論文にまとめた。
それをがたまった時、出版の話になった。
全部義父の援助があってのことだった。
しかしそれがやっかまれて、結局美術館を締め出された。
それで塾の講師をやることになった。
そして、佐藤は自分のミスで、子供を死なせてしまった.
六本木の回転ドアに頭を挟まれたのだった。
千恵子の不妊治療の末、やっと生まれた、一粒種だった。
激怒した千恵子に家から追いやられ、やむなく千恵子所有の1DKのマンションに身を置いた。
塒があるだけで、ホームレス同然となった。
義父の秘書の三宅からの連絡で、六本木の回転ドア事故を、責任当事者でない関連技術者や学識経験者が集まって、第三者機関としてチームを組み、原因究明をしているのだが、そこがこれまで摑んだ事実を、父親の佐藤に説明したいと言ってきているようだった。
そこで東大工学部教授の片桐と出会った。
なんとそれは女性で、しかも外国人かハーフのようであった。
しかし、佐藤にとって、事故原因などもうどうでもよかった、息子はかえってこないのだ。
佐藤を支えているのは、大阪中央図書館の地下で見つけた、江戸期のものと思しき肉筆画であった。
それはみょうな絵で、画の字が一に田になっている文字があり、妙なアルファベットが書いてあった。
初期の歌麿のものか?いやこれは決して美人画ではなく、醜女の絵であった。
すると、写楽か…?
この絵をお守りのように持ち歩いていた。
もうこれ以上落ちることはないと思っていたら、以前著書を出した出版社の編集者常世田からの連絡で、週間Tで「佐藤貞三の北斎論文は間違いだらけだと、浮世絵同人研究会が、大々的に論陣を張っている、まるでペテン師だと言わんばかりに…」掲載されているとのことだった。
同人研究会会長の友田という人物は、悪名高いMK物産の会長で、六本木の回転ドア事件のミツワ・シャッターの会長の親戚筋という話だ。
これで佐藤は世間に、悪名をさらすことになった。
塾の生徒も、取材陣に驚き、次から次と辞めていき閉鎖となった。。
どん底の男が挽回をするには対抗する本を出版するしかない、しかも時間がない。
佐藤は写楽の謎に挑むことにした。
たった10カ月だけ江戸に出現し、彼が何者だったか、誰も知らない。
ただ浮世絵だけが残っているだけである。
写楽の版元耕書堂の蔦屋重三郎は、この謎の新人絵師を歌麿なみの待遇で扱っている。
重三郎は写楽の人物像にいっさい触れていない。
それだけではない、耕書堂にしょっちゅ出入りしている、絵師たち歌麿、北斎、また食客だった十返舎一九、そのほか彫師、摺師、戯作者、狂歌人これらの誰ひとり写楽の正体について話していない。
何人も自分が写楽だと名乗ってもいない。
忽然と現れ、忽然と消えた。
この謎に挑戦することで、起死回生の反撃になる。
最初写楽は、例の肉筆画から、平賀源内ではないかと考えたが、これはあり得ないとわかり、袋小路に入ってしまう。
しかし佐藤は、とんでもない事を考えつくのだった…。
それは「写楽探し」の常識を根底から覆すものだった…。
著者は歴史を独特の視点から独自の世界観で描くのだが、今回の発想にはさすがに度肝を抜かれた。
著者の作品で江戸時代ものをあつかったのには、「暗闇団子」という中編の秀作があったが、それよりずっと出来がよいと思われる。