吉敷竹史(よしきたけし)シリーズ。
この著者の御手洗潔(みたらいきよし)シリーズは大方読んでいるのだが、吉敷シリーズはあまり読んでいない。
ただ、随分前に読んだ「光る鶴」は印象に残っている。
本作は20年ぶりの長編ミステリだそうである。
とは言うものの、この作品では江戸時代初期の加賀藩での美剣士の物語が、144頁~499頁(約350頁超分)に渡り、吉敷竹史の登場する場面は、それに比して随分少ないのであるが…。
さて、金沢の東茶屋街に江戸時時代からの老舗置屋「盲剣楼」があった。
ここには「盲剣さま」の社があった。
盲剣さまとは元は盲目の美剣士だったそうである。
江戸の頃、絵のような美しく強い青年剣士がいた。
盲目の上赤ん坊を背負っているのに、恐ろしいほど鋭く剣を操るのである。
江戸のはじめの頃、犀川(さいかわ)の上流に紅葉村(もみじむら)というところがあったそうな。
その村に「西河屋(さいかや)」という旅籠があって、そこには賭場があり、芸妓や娼妓が多くいて、村人に演芸を見せたりして、随分繁盛していた。
だが、極悪非道のならず者に支配されていて、芸妓や娼妓らは泣かされていたのだ。
ある日のこと、ならず者たちは宴席を開き、芸妓や娼妓を巻き込んで、酒池肉林の醜悪で醜態な状況だったそうな。
そこに謎の美剣士が登場して、ならず者たちを、皆斬って捨て阿鼻叫喚となったが、その後の美剣士の行方は知れなかった。
残された芸妓や娼妓らは、旅籠の手金庫に見たこともない沢山の金子があるのを見つけて、その金子で犀川大橋の側に置屋を建て、「盲剣楼」と呼んでいたそうである。
その後盲剣楼は、金沢一の格式ある楼になった。
それから、藩の命令で花街は東西に分かれて、盲剣楼は東山に移って、楼の守り神として「盲剣さま」の社も作った。
さて昭和20年9月、天皇陛下の玉音放送で日本の敗戦が決定して、ひと月ほどの頃である。
盲剣楼に無頼の徒が襲撃、出入り口も窓も封鎖され密室状態となった中で乱暴狼藉の限りを尽くす五人の男たち(皆朝鮮人)を、一瞬に斬り殺した謎の美剣士。
それは盲剣さまの化身だったのか…。
「ほんの瞬きするような間に、五人もの男たちを次々に斬り殺したんです。誰も、抵抗なんぞできしまへん。悪人ら、刀を抜くことさえできしまへんでした。黒い突風みたように部屋に飛び込んできて、瞬く間に斬り殺したんです」
「戦後ですよね?」吉敷はもう一度言った。
「昭和20年です、今みたよな秋のこと、9月です」
「剣客が街にいるような江戸時代ではない」
「違います」艶子(つやこ)は手を口のところに持っていって笑った。
関ヶ原合戦も今は昔、徳川の治世がはじまった頃、加賀藩の犀川上流に紅葉村があった。
この村は村人たちが苦労して、いちから開墾した土地であった。
しかし、地の良さに目をつけた西河組が西河屋という旅籠を建て、村人に立ち退きを迫ってきたのだった。
西河組と闘うにしろ、新たな土地を探して、またいちからやり直すにしろ、もう村人たちは年を取り過ぎていた。
そんなある日のこと、村長である坂上豊信(とよのぶ)の娘千代(ちよ)が、山中で西河組の与太者たちにより襲われているところを、たまたま助けた山縣鮎之進(やまがたあゆのしん)と名のる剣客修行中の若き美剣士。
次第に紅葉村の村人たちと西河組との争いに、鮎之進は巻き込まれていくことになるのであった…。
「犀川船頭の子守唄」
犀川船頭さんはホーイホイ、
船頭さんは櫓を漕ぐホーイホイ。
良い子が寝るよにホーイホイ、
船頭さんが櫓を漕ぐホーイホイ。
良い子ははよ寝て夢を見よ、
泣き続けるなら棄てよかなー。
波間の夢路をゆーらゆら、
寝る子を乗ーせるゆーりかご、
悲しいこの世ははよ過ぎろ。
泣く子は乗れない伝馬ぶね、
泣くより夢路は楽しいぞー。
母さんも一緒に夢見よか、
いつかは二人で行きたいねー、
良い子の夢路はごーくらく。
吉敷刑事が見た美剣士の幽霊画の秘密とは?
終戦直後、密室と化した金沢の芸者置屋で、一瞬のうちに五人の侵入者が斬殺された。
加賀百万石から終戦直後の混乱期、そして現在へと続く謎の連鎖に挑む!
昭和20年9月の血腥い大量斬殺事件より、70余年を経て起きた誘拐事件をきっかけに、驚くべき真相が明かされる!?
あの時の侵入者はもう一人いたのだった…。
金沢の言葉は京言葉と似通ったところがあるが、これは前田利家が盛んに京文化を取り入ようとした折に、同時に人も言葉も入ってきたらしい。