昭和51年11月10日 初版発行
昭和20年代を舞台にした、レトロな探偵小説である。
しかしながらも、この横溝正史の世界に魅了され、私はミステリ小説に目覚めたのである。
「金田一さん事件ですよ!」
『花園の悪魔』
東京近郊のS温泉は四季折々の花造りの本場である。
なかでもいちばん大規模なのは、花乃屋旅館経営の花壇で、広さが千坪もある。
その朝早く、園丁(えんてい)の山内三造は園内の見廻りに歩いていた。
ちょうどチューリップの花壇にさしかかった時、彼は異様なものを発見した。
花壇のまんなかに全裸の女があおむけに寝ている。
不審に思った彼は、そばに行って見て呆然とした。
女の首には、なんと、太い紫色の紐の跡が!
『蝋美人』
法医学界の名物男、天才とよぶひともある反面、山師とののしる学者もすくないといわれている問題の人物畔柳(くろやなぎ)貞三郎博士が、身元不詳の白骨死体に肉づけをして、ありし日の姿を再現しようというだいたんな試みは、わが国の法医学界ならびにジャーナリズムに大きな話題を投げかけた。
そして再現されたその顔は、かつて和製マリリン・モンローとさわがれた銀幕の妖花・立花マリ、そのものであった。
のちに結婚して作家伊沢信造の妻となり、しかも昨年の春、良人を刺殺して逃亡中と信じられている問題の女性ではないか…。
『生ける死仮面』
上田秋成の名作「雨月物語」のなかに「青頭巾」という短編が入っている。
秋成は男色に興味をもっていたと見えて、雨月物語のなかには、ほかにもそれに関する短編が入っているが、青頭巾は男色のなかでももっとも凄惨な事実について語っている。
〈下野の国、富田の里の上の山に一宇の寺があり、そこになにがしの阿闍梨が住んでいた。
この阿闍梨もとは篤学修行の聞こえもめでたく、里のひとともふかく帰依していたが、あるとき、越の国より見目うるわしい童児を連れてかえってより、年来のつとめも、いつとはなしに怠りがちになった。
そして、ひたすら童児の寵愛にふけっていたが、かりそめの病いがもとで、その童児がむなしくなってからというもの、悲嘆のあまり心狂い、気みだれて、死体を葬ることもせず、生きていた日にたがわず戯れていたが、やがて肉がくさり、ただれることを惜しんで、肉をくらい、骨をなめ、はては死体をくらいつくして、生きながら鬼になったというのである〉
昭和2×年8月28日の朝刊は、この「青頭巾」を彷彿たらしめる事件を報道して天下の耳目をおどろかせた…。
『首』
岡山県と兵庫県の境に近い山里から、さらに十数丁奥に入った山中。
三百年前に起こった事件で獄門岩とよばれるようになった、その岩にまたまた生首が乗せられる事件が発生した。
三百年前、農民より神のように尊敬されていた、名主・鎌田十右衛門が何者かに殺害され、その首は滝の右側に屹立する屏風岩の中ほどから、たたみ二畳は敷けそうな平らな岩が滝のなかに突き出ているが、そこにのっけらていた。
そして胴体は下手の淵に浮いていたそうな…。
その事件が再び三度と再現されてしまうのだった…。
村人は「クニシン様のたたり」と恐れた…。
以上のような、非常にノスタルジックな犯罪、そして捜査推理がここに蘇る!
昭和20年代と言えば、犯罪捜査にそう科学的捜査がなされていなかった時代である、そこはまだ星の数よりメンコの数、捜査員の年期と感が頼り、だが小説ではなにより、快刀乱麻を断つような鋭い明察力を持つ名探偵の登場が必要である。
しかしながら、コナンドイルのホームズのように颯爽と現れるはずの、その名探偵が、なんと年齢は三十五、六であろうか、セルの一重によれよれの袴をはいて、頭は雀の巣のようにもじゃもじゃしている。小柄で風采のあがらぬ男、それでいて、にこにこ笑っているその顔に、妙にひとをひきつけるところのある、その名も金田一耕助の登場である。
この貧相な男こそが、鋭い洞察力を持つ名探偵なのである。
この意外性が、このシリーズの原点と言えよう。
元々横溝正史は昭和ダンディズムな小説を書いていたが、一変して金田一シリーズでは旧家の確執等を描いた。
私もそこに魅了されたひとりである。
お馴染みの、警視庁捜査一課等々力警部も、『首』では岡山県警の古狸・磯川警部も登場する。
東直己著【探偵はバーにいる】シリーズは、正史ほど舞台は古くないが、スマホはおろか携帯電話もない、インターネットも発達していない当時の物語という設定で、やはりレトロな雰囲気である。
このあたりが、私の琴線に触れているのかもしれない、世の中機械の発達で、なんだか忙しくなってませんか?
インスタ映えするとかいって、直ぐに撮ってSNSに投稿って、あんまりに味気ないように思う。
それに、面白かったらなんでもいいと思っている輩も多い、動画サイトに投稿する内容が、それは法律に触れてますよって、分からないでやってる者が多い。
やった後に訴訟やなにかで、後悔してるって、本当に間抜けているなぁと、私は常日頃思っています。
私は昭和20年代には生まれていませんが、でも戦後の混乱期の時代のほうが、大変だったけれども、今よりましなのかもしれない、などと思ってしまっています。
正史の【犬神家の一族】では、金田一耕助が泊まる宿に、米を渡します。
旅館といえども、米は配給で余分なものはない!米持参でないと泊めてもらえない時代背景を顕していました。
日本人なら米をくえってな言葉があったが、今や米は角砂糖何個分の糖質があり、なんて避けられるようになっている。
だいたい、スマホ万能の時代で、パソコン入力ができない若者が増えているそうだが、本末転倒であると思う。
ちゃんとセキュリティーの行き届いた、パソコンに入力してこそ、データの保全が保障されるのである。
目上という感覚がないので敬語が使えない、明らかに自分のミスなのに上司に対して誠心誠意謝るということも知らない、そんな若者が多い世の中、日本は滅びますよ!!
原因はその親にあり!!!
今一度横溝正史の小説読み、のんびりと古きよき時代を思い起こしてはいかがかな?
科学は万能ではありません!!