下野(しもつけ)北見二万石、小藩とはいえ譜代の家柄。
その六代目藩主・若狭守重興(わかさのかみしげおき)に異変が生じ、藩の別邸である五香(ごこう)苑に押込(おしこめ)の身となった。
つまり早い話が、主君の行いふとどきにつき、重臣たちが結託して、強制的に隠居させられたのだ。
この重興こそは、この上もなく孤独なヒーローなのだ。
夜半の訪問者からすべては始まった…。
美貌の青年藩主・重興が、突然隠居を強いられるという変事のあった北見藩。
クーデターの熱も冷めやらぬ夜更け、一筋の期待に縋って多紀の家の戸を叩いた子連れ。
彼らは多紀を、この上なく孤独なヒーローのもとに導いた。
多紀は元作事方組頭の各務数右衛門(かがみかずえもん)の娘で、実は一度は井川貞祐(いがわさだすけ)に嫁していたのだが、姑とどうしても折り合わなくて、逃げるように、長尾村にある父の隠居所に出戻ったのだった。
重興の押し込められた座敷牢から、夜な夜な聞こえる奇怪な声。
これは亡者たちの叫びだろうか、それとも…。
十六年前の凶事の封印を解く時が来た…。
出土村(いづちむら)の繰屋(くりや)一族に何があったのか?
「ざまをみろ」といって、父成興(なりおき)を殺害してしまったのは、重興であった。
「わたしの名前をあててごらん」
憑きものが、亡者が、そこかしこで声をあげる。
青年は恐怖の果てに、ひとりの少年をつくった…。
史上最も不幸で孤独な、ヒーローの誕生!
元御用人頭・伊東成孝(いとうなりたか)は、三人の死霊が殿には憑依しているというが…。
重興の錯乱はそれが原因だというのだ。
それぞれの名前まで判っている…。
繰屋一族に代々伝わる〈御霊繰〉(みたまぐり・死者の魂を呼び寄せる技)に関係しているのだという。
実は伊東成孝は繰屋新九郎(しんくろう)が実際の名で、なんと多紀の従兄にあたるらしい…。
しかし、藩から差し向けられた主治医白田登(のぼる)は、重興が何かから逃れるために、己の中に三人の人間がつくられていると考え、それぞれが何者かを突き止めたかった。
一人は無垢な十歳位の少年で、一人は妖艶な年増女、そして粗暴な男である。
一方北見城下では、何やら不可解な出来事が生じていた。
男子(おのこ)が神隠しにあったように忽然と消える事件があった。
一人目は大工の倅・一平(十歳)、十八年前の夏の事、二人目は両替屋の小僧(十一歳)は十六年前の夏、三人目は小間物屋の息子(九歳)は十三年前の春先、四人目は佐野村の小吉(十三歳)で十一年前の夏。
少なくとも判明したのはこの四人であった。
この事件が、出土村の繰屋一族の惨劇に関連しているのだろうか…?
多紀が偶然神鏡湖(じんきょうこ)で見つけた、子供のしゃれこうべも関連するのか…?
又、重興の父成興が提案状として出したという約定案の「葛書(かずらがき)」は、後に如何な影響を及ぼしたのか…?
そして、重興の中にいる三人の者の正体も判って来る。
少年の名は琴音(ことね)、重興が幼き頃母親(現・美福院)が男子は弱いので女子として育てる風習に倣って名づけようとしたもの。
しかし、北見にはその風習がなく、消えてしまった名で、本来の重興のあるべき姿を投影していたのだった。
そして粗暴な男とは、重興の怒りの姿であり羅刹であった、これをヒーローとも考えられるが、覚めるまで誰も止められない程に荒ぶれるのであった。
最後に女であるが、この者こそが重興(幼名・一松)を苦しめている元凶なのであった。
この女の悪行を暴くために、重興の中につくられたのであった。
そこには、狭間と呼ばれる九蛇(くじゃ)・桐葉(きりは)父娘の呪詛があった!
桐葉が使う呪(しゅう)は、成興・重興父子を翻弄する、恐るべき技であった…。
果たして、重興と多紀に、この世の春がやって来るのだろうか…?