珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ネト癖

2020-04-01 | 思うこと
以前、娘が事件に巻き込まれたという親としてこの上なく辛かった時でさえ、私は事を裁判にはしなかった。
話し合って示談に治めた。
ふつうは加害者には会わないという人が多い中で、時間を割いて足を運んで相手に会って、目を見て、謝罪も言い分も受けれて話し合った。

そうなる前に忠告や話し合いを持とうとする、そういうステップを踏むべきと思う人から裁判に訴えられるというのは、経験上「よほどのこと」だと思う。

ネットになると罪の意識も不感症になるらしい誹謗中傷好きな人が、裁判に訴えられる例をご存じだろうか。
リアルの場ではごく常識的な人が一転、ネットとなると、付き合いも生い立ちも経歴も知りもしない人間に、かるーいノリで「社会的地位を貶めようとする」名誉棄損をする。

本人は「その瞬間は」快楽に酔いしれて、判断がつかなくなっているんだろうね。
リアルではしないのにネットになるとするって、よくいわれるこれと同じでは?

ふだんはいい人なのにお酒が入ると変わってしまうの。

アル中ならぬネト中というのかな。
ネト癖悪いぜ!!

ネットとなると途端「もっていかれやすい人」
酒や薬や宗教を問うなら、ネットの酔い方も加減を知るべしと思う。
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やりたくなかったらやってない4

2020-04-01 | 思うこと
たびたび書いていることだけど、
相手がどんなつもりでも、自分が本気で信じていたとしたら少なくとも自分に嘘はない。
素直に祈っていたとしたらその祈りはホンモノだった。
相手が騙していたとしたら、それはそんなことをした相手の課題である。

こんなふうに考えることをある心理学者は「課題の分離」といったけど、私もそう思った。

だからか、私はSを強信していたけれど「騙されてきた苦しみ」みたいなものは感じなかったと思う。
人を騙していたのなら(サイコパスでもない限り)当人がそのやましさに痛みを感じると思うけど、そうじゃない方は何というか「痛みの種類」が違う。

そんなものは時がたてば治る。
意識的に「この恨み晴らさでおくべきか」と執着してない限り消える。
それこそ、そう強く信じれば忘れる。
強信できたのなら、どうせならそっちを強信すればいいと思う。
「いや私はこういう負の感情こそ手放したくないし、抱きしめて文句言ってることが落ち着く」と言われればそれもいいとは思うけど。

文章を書いていなければ意識しなかったけど、具体的に書くなら私はこんなふうに考えている。
そして私は、こういう考え方がしたいからそんなふうに考えているんだと思う。
やりたくなければやってない。

「いや、そうは思わない、自分は全然違う考え方だな」と思う人がいたら、それも自分がそうやりたいからやっていると思う。
誰だって、自分がやりたくないことはやらないよね。
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