S脳とは
「自分に不都合な情報は聞こえなくなる。耳にしても入ってこない。追及すると自分の感情に都合のいいように解釈して聞く」
ということなら何度も書いているけど、そんなことならどこでも誰でもある。
今だってこの
「自分に不都合な情報は聞こえなくなるし、不都合を追及したら自分の感情に都合のいいように解釈して聞く。こんなことはSに限らず誰にでも、Sのアンチにもあるよということが不都合な人」
がいたら、その人には耳に入らないと思う。
Sを「やめる自由のない宗教」とか「やめると不幸になると脅される」というのも、そんなことはないという声も同時にあった。
実際に私がそうだった。
簡単にやめられたし、私を脅した人など一人もいなかった。
これは私見とか意見とか自論じゃなくて、ただの事実である。
気に入らなくても納得できなくても、ただ「こういうこともありますよ」という事実ね。
「やめると不幸になる」というと言う人がいるのは、そのまま事実だから否定はしない。
でも「それが全てじゃない」のも事実である。
実際は、言う人も言わない人も、それを否定する人もいる。
ネットは自分の好みのサイトに書き込むから場所によっては一方の情報だけしか載っていないだけで、事実はこの通りいろいろである。
勇気をもって事実を認めようというのであれば言いたい。
事実って「自分が納得できる事実」だけでなくて、「納得できないけど事実」もあるのでは?
事実を認めようというなら、両方ともの事実を認めなくてはいけないのでは?
そうなったら矛盾もパラドックスも存在するのでは?
私が見た限り、それこそ宗教者の悟りや教えでもない限り、
この世の事実なんて幾つもあって、決して一つでも、唯一でもなかったけどね。