珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

学校事情12

2020-04-03 | 娘と夫の話
東京都の新学期が延期され、近郊のここはどうなるんだろう?と不安である。
大人のビジネスの「自粛はいいけど補償はどうするの?」と同じで、その分の学力不足はどうやって補償するの?と思う。

突然決まった休暇に宿題がたくさん出るはずもなく、娘が躍起になっているのは私の知る限り美術の「切り絵」だけである。
新学期初日の提出だと言っていた。
学校で口頭でやり方をレクチャーされただけで、白と黒の紙を睨んで「どうすればいいの?」と困惑していたが、夜中に必死で格闘しているようだった。
そして友達が作った清水寺の素晴らしい出来栄えをスマホで見ながら「ショックでメンタルがやられた」と言っていた。

娘も同じ清水寺を作っている。
「清水寺は、蘭と新一がチューした場所だから人気があるんでしょ?」と言ったら
「あれは蘭から新一にホッペにしたから私はチューと認めてない。新一から蘭に唇にしたらそれはチューと認める」と言われた。

きっと切り絵やら自粛やら受験やら、メンタルをくじかれるその先にそんなチューのようなときめく未来が待ってるゾ( ̄∇ ̄)

私だってこんな時こそ、未来に希望は持とうと思っている。


小学館「名探偵コナン」より画像引用
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無駄嫌い

2020-04-03 | 思うこと
ブログを長く読まれている人はお分かりと思うけど、私は無駄というものが嫌い。
人生、無駄なことも必要というけど、困ったことによくも悪くも相当に嫌いである(笑)

ゆえに合理的とか効率といい言葉にそそられてしまうんだけど、でもだからこそ反面、どんな苦労も「無駄ではない」と思えば買って出るというか、厭わないところもある。
もし「無駄なことしちゃったな」と思ったら、そこから何かしら得ようとしたり、これ以上無駄に無駄を積み重ねないようにしようと思う。

そんな無駄に敏感な私が思うことの一つに
「お金の無駄は無駄の中でも罪がない方では?」という自論がある。
仮に「100万無駄使いしたな」と後悔したとして、クドクドとその愚痴を言うとしたら、終ってしまって変えられない過去をクドクド言う方が「その100万円よりはるかに無駄」と思う。
「その時使った100万円は、その時の自分には誰が何と言おうと価値があった。だから無駄ではなかった」
そう思う方が、一円の経済成長もならない愚痴より無駄がないと思うけどね。

「過去のあれこれを経験と思わず、無駄と思う、そんな感傷こそ無駄」
自称「相当の無駄嫌い」の勝手なつぶやき。
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