珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

アンチの変化

2020-04-13 | S教団関係
昔、私がアンチブログを書いていた頃は
「自分の過去は全否定の黒歴史である」
「自分がやったことは悪の加害者であり被害者であり、大切な人生を棒に振ってしまった」
「騙されただけだったことを、苦しくても勇気をもって認めることが覚醒」
みたいな意見が圧倒的な感じだった。

それからあっちこっちで、わけのわからない教義論争が盛んにあった。

しばらくして私がそれに疑問を持ったら、
「言うことをコロコロ変える」
「反省してないなんて傲慢も甚だしい」
「元活動家はそれぐらいのことをやったんだ、という戒めが必要」
「活動してしまった自分の自己正当化もほどほどに」
「他人を巻き込んで迷惑をかけるということの罪の反省がない証拠」
「アンチのアンチとして暴走する人」
とまで言われた。
もっともっと酷いことも諸々。
掲示板なんかはこんな言葉であふれていたわ。

それが昨今はどうなったかというと一転。
そんな人に対してはこんな声が圧倒的になった。

「そんな人は自分を否定して卑下して生きていけばいいんじゃない?」
「活動家は今も昔もただただ家族のために一生懸命頑張ってきただけで、その一生懸命さを誰も否定できない」
「己の卑屈さを他人に感染させようとするな」
「前向きに生きてる人が、悔しくて堪らないんだね」
「なら、過去を嘆き後悔してクヨクヨ生きてれば?」
「ウジっとした卑屈な奴」

個人的にはもっともだと思うし、人の言うことって変わるもんだと思った。
あんなに騒いでいた教義論争もパッタリ見なくなった。どこに消えたの?
(私が知らないだけ?)

人の言うことなんて、この通り本当に変わるのである。

コロナ騒動のあれこれも後に振り返れば、一体どうなっているのだろうか(?_?)
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テクニック

2020-04-13 | 日記
週末、開店直後のスーパーに行ったらドラッグストアのフロアに「開店時のマスク販売は中止にさせて頂きます」という立札があった。
わざとだと思うけど、トイレットペーパーも一つも置いていなかった。
流通は正常で商品は足りているという事実より、パニックがそれを上回っているということである。

こうなったら
「トイレットペーパーは充分に生産されてます。流通も正常です。そんなにストックしなくても大丈夫です」といくらアナウンスしても無駄である。
「おひとり様一つです」にしても、買いにいく回数が増えるだけと思う。
不安になると人は買いだめするというなら、不安がなくなるまでずっとこのままだろうなあ。

はっきりしない、わからない、正体不明って人を不安にさせるんだよね。

「致死率はインフルエンザの20倍」より「致死率はインフルエンザの20倍かもしれない」の方に実は人は怖がる。

キーワードは可能性がある、かもしれない、おそらく、もしかして…
マスコミの皆さま、不安を煽りたいならちょっとしたテクニックですよ( ̄∇ ̄)
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呪縛のメンタリティ3

2020-04-13 | コロナ騒動
私はコロナ騒動を「楽観視」しているのではない。
楽観とか悲観ではなくて、できるだけ印象を省いて、そのままに見ようとしている。
言ってみれば「不安感を満たすため」は横に置いて「物流は足りており正常に動いている」という事実のみを見聞きして、必要なの量の買い物をしているような感じだろうか。
多めに心配しといて困るものではないからと、煽られるまま過剰に不安を買い込まないだけである。
そういうことが好きな人もいるけど、私は違うのでね。

ところで何であれ、ものを観察するということは、特に未知のウイルスなんて性質のものは、できるだけ時間をかけて丁寧に観るのがいいに決まっている。
ウイルスというのは時によって変異する。
それが短い期間で驚くほど変わるものもあるし、触れば毒性が上がるものもあるし、変わらないものもある。
強い毒性があれば生き延びるのも強いけど、強すぎても宿主が死んでしまうから加減がある。
私が科学者なら慎重に見ていたいと思うわ。

だけど、皆が皆そんなことに付き合っていられないので、当然だけどこんな不自由な生活から一日も早く脱却したいと願っている。
仕事や学校が無くなろうと補償もされない政治下にいて、それを願わない国民はいないと思うけどね。

私は当然、政府の忠告を無視して不要な外出をしているわけでもなければ、マスクもしないで人に密着しているわけでもなければ、仕事は他人のマンションの手すりやエレベーターのボタンを清掃することである。

どっちかというと「社会的なルールを守る」ということには、私はうるさい方だと思う。
こんな事態になるずっと以前から風邪をひくのは自分だけの問題でもないので、体調管理にも気をつける方。
だからか、過去に勤めた職場で風邪のために欠勤したなんてことはほぼなかったと思う。

ところで私の楽しみは一円にもならないブログを書くことなので、どんな時であれ書くことで折り合いをつけてきた。
別にこのブログは人様にメッセージを送るために作ったものじゃないし、そもそもただの主婦に何の影響力があるの?って感じである。
好きなボヤキを書いて自分が楽しんでいるだけである。
そこで私が何を書いたところで何を押し付けているわけでもないし、もっとアクセスを上げてできるだけ拡散したいと願っているわけじゃない。

が、中には私の変なストーカーがいて、張り付くように読んでは捻じ曲げて拡散しようと躍起になっている人がいる。
私は何度も
「言いたいことや指摘があったらブログに来て構わないし、ちゃんと載せるし、誰もよってたかって吊るし上げなどしないし、そんなことはしようがない。それでも掲示板に書きたいなら好きにすればいいけど、デタラメに関しては非常に迷惑なのでやめてください」
と書いている。

が、言っても言っても道幅をとってやかましくお喋りをして歩くおばちゃんのように、注意しても注意しても、人の家に上がりながら近所迷惑も気にせずに大声で歌をうたって、DVDのボリュームを上げて、家の前でタバコ吸って、車のアイドリングに気も使わない人のように、絶対にやめないのである。
言った瞬間、一瞬はシュンとするけど、心からなぜいけないか理解できないので繰り返すんでしょうね。

これまでも、何か書くと「これは誰それが憎くてたまらないから書いている」とか「アクセス狙いでやっている」とか「この書き込みは彼女である」「平気で人を騙している」「そんなに人を騙して平気でいられるのはサイコパスだからだ」「いや病んでいるから」「マインドコントロール下から抜けていないから」等々、数えきれないほどの事実無根を書かれた。
それで実際に友人との関係をおかしくされたりという実害が発生しているのにね。

が、「真に受ける人がいるのでウソはやめてください」という日本語が理解できないのは、それこそ病んでいるからではないんでしょうかね?
病んでるという言い方が違うなら、やめられない依存症というかね。

彼らは「迷惑行為でないなら、人が何を信じようと何を思おうと自由」と言っているが、私にはそうは思えない。
むしろ迷惑行為が好きで、自由は嫌いのように思えるけどね。
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