交通事故に遭って足を骨折しても、絶望する人と「脊髄損傷とか頭じゃなくて足の骨折で済んだ。超ラッキー」と思う人がいる。
ラッキーと思える人が断然よい。
こんなことはよく聞くし、これは私もその通りと思う。
ここに「自分の信じているナンチャラのお陰」という添加物が入らないだけで、考え方は賛同する。
娘が小さい時、ある日スーパーで買ったいちごのパックが固い素材のものだった。
それをレジ袋の一番上に乗せて自転車のカゴに積んで、何気にハンドルを動かしたその時。
そばに立っていた娘の目元にそのパックの角が触れて、ざっくり切れてしまった。
慌てて病院にいったら縫うくらいの傷だったけど、私はそれがギリギリ眼球からそれたことに本当に感謝した。
その時私はまだS会員で、婦人部のおばちゃんに「守られたね」と言われた。
今思っても「守られた」というか、守られたというニュアンスには反発しない。
何に守られたのかはわからないけど、でも何かに感謝したい気持ちは変わっていない。
何を信じても誰のお陰と思っても、いいように考えられるならいいんじゃないかな。
少なくともそんなところはバカにはしたくないと思う。