珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

またこの話😷

2020-04-10 | コロナ騒動
これだけ連日コロナ関連の話を聞いていたら、誰でも情報に詳しくなる。
国内で一日何人感染したとか、何県で一人とか二人とか、そこまで詳細にド派手にアナウンスするもんね。
例えばインフルエンザなんてこれまで何十万人の発症者を超すまで、ニュースで「流行っています」も報道されなかった。
「どれだけが重篤患者で、何歳別に何人が亡くなった」になると、知らない人が圧倒的だったと思う。
例えばもし前年度の、ワクチンがあるはずのインフルエンザの実態を連日今のような報道にしたら、何もかもが生々しくて桁違いでパニックになった人もいたんじゃないだろうか。

実態より報道の仕方で、「猛威をふるう」とか人の免疫力って如何様にもなるんだなあと思う。

ところで子どもって幼稚園くらいから、よく風邪をもらってくる。
これは軽いのやら重いのやらに何回もかかって、強くなっていくための必要なプロセスである。
ちなみに私は高校くらいから今までで「発熱するくらいの風邪って三回あったかな?」という体質だけど、子どもができてから、子どもが幼児期だった数年はで、久しぶりに何度か風邪を引いた。
物理的に貰うからである。
2、3日の鼻風邪で終わるものだけど、お陰で再び免疫が強化できた。
あくまで個人的にいうと、死亡につながったりする人にうつさない保証があるなら、私は今回も、かかったならかかったで免疫が増えていいんじゃないかと思うけどね。

ちなみに顕微鏡ができるまで、ウイルスって「悪魔の仕業」と言われていたそうである。
そういえば日本でも「魔の所為」と言っていたお坊さんもいたっけね。
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いい季節だ

2020-04-10 | コロナ騒動
陽ざしも風も心地よい季節になった。
アウトドアな仕事をしている私には、季節の移り変わりはいろいろと敏感に感じる。
ダンゴムシが出てきたなあとか、季節の名もない草花がどんなスピードでどう変化するとか。
言えるのは植物や昆虫は当然「自粛」はしていない(笑)

新型コロナウイルス騒動でけっこういろんなサイトを読んだし、私のネットワークでもいろんな話を聞いた。
時事ネタって私は普段はそんなに読まないんだけど、今回は夫の仕事や娘の学校を巻き込んだので関心を持たざる得なかった。
それで「なるほど~」とか「面白いなあ」という話をいろいろ知った。
本当にいろいろ。
でも、それらはブログには書きたくないし紹介も控えます。

世の中には、ほんのちょっとでも自分の知らないことや自分にはピンとこないことを見つけると、何故だかわからないけど糾弾して罵って罵倒したくてたまらない人がいるからである。
(それが怖かったり面倒で言えない意見があるのは、本当にもったいない)

でも私の興味を引いたサイトにはそんな人は一人もいなかった。
誰も「こんな意見はあるけど、自分はこう見ている」というだけで、他意見を罵ったり嘲笑ったり侮辱するような無駄な言葉は一切なかった。
誰一人である。
疑問や違和感を問うにしても自分の見解やデータを述べるにしても、それは穏やかで冷静で、それでいて言葉は適格で明瞭明快である。

「ほんのちょっとでも自分の知らないこと、自分にはピンとこないことを見つけると何故だか糾弾して罵りたくてたまらない人」
この図式って本当によく見る。
実体験でもあるけど、わかりやすいのは戦争映画だろうか。
ちょっとの違和感をつぶやいただけで、「罵って喚き散らしてぶん殴る軍曹」とか「思想を取り締る権力を持った人」とか、よく描かれますよね( ̄∇ ̄)

違和感を言う人は、喚き散らしてないし人を侮辱もしてないのに、それを否定しようとする人は喚き散らして攻撃する。
人によっては「手がつけられないレベル」
これってなんでなんだろう???

アンチ記事や批判記事は私も読むけど、
これは「かくかくしかじかではないかという内容」より、「自分の異論を言う人の嘲笑の方」にはるかにスペースを使う人もいるしね。
酷いのは肝心の記事はふわっとしていて、嘲笑や罵倒だけ明瞭な人もいる。

なんで?

でもこんな理不尽って、誰でも経験してるんじゃないだろうか。
で、そんな理不尽を嫌っている人ほど経験していながら、その後それは二つに分かれる気がする。
①自分がされたから人にもしよう
②自分がされたから人にはしない

シンプルにあなたはどちら?
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