私があまり好きではないお菓子はハッピーターンだけど、アンチが好きじゃない言葉は何かというとズバリ
いいところもあれば悪いところもあるである。
これ、ホントにそうですよ。
わかりやすく言えば
「拠点提供も多部数購読もしたこそないくせにバリ活を名乗るのがおこがましい」同様、
坊主憎けりゃ袈裟まで憎しの全否定もわからないくせに、アンチを名乗るのはおこがましいってやつかしらね( ̄∇ ̄)
先日、国民が一丸となって自粛した故、病院さえも外来患者の足が遠のいてしまって多くの医者が暇になったという実情を書いたら、何故か非難ごうごうの罵倒がきた。
これ、私の意見でも願望でも妄想でもない、知り得たままのただの事実ですよ。
事実というものは「不快」とか「不都合」とかそういうものとは無関係に存在する、ある意味ドライで冷酷なものと思う。
日本国内で一万人の患者数に対して、ここまでの自粛勧告が成されたら一部では医療崩壊が懸念される病院もあるかもしれないけど、それは一面であり、全てではないのである。
全てではない。
これがアンチの鬼門ではないかと私は思う。
何を見ても自分の気に食うように、不都合は塗りつぶしたくなる。
全てを自分の思う通りに変換させたくなる。
過去にアンチブロガーをやっていた私には、その心理が手にとるようにわかるのよ。
所属していた団体が嫌になった。
ならば過去のあれこれも全否定。
そこにいた自分の毛筋一本も全否定。
仲良しだった友人と仲たがいしてアンチになった。
ならば楽しかった過去も何もかも全力をもって全否定したくなる。
アンチってそういうものなんだろうね。