先日、ブラ散歩をした折に、ノアサガオが咲いているのを見かけた。10月も半ば過ぎのことである。
別に珍しいことではない。一般的に、アサガオの花期は7月中旬から10月上旬とされているのだから誤差の範囲。そう、猫の額の団十郎もどき(?)にしてからが、もう10月の下旬だというのにまだ咲いている。そう、七十二候の霜降を迎えた10月24日にである。
5~6年前だったか、ブラ散歩の途中、空き地ののり面に生えていたのを救出して地植えとした。
この草本も強靭である。そして、気を許すと、増えに増える。まぁ、それでも愛らしいのでそのままにしているのだが。
長年、この時期に咲いて、目を楽しませてくれていたホトトギス、南側の小庭のグループが全滅してしまった。酷暑のせいだと思っている。
北側のフェンス沿いにほんの数本植わっていたホトトギス、こちらは近年まれに見るほどのつぼみを付けて咲き始めた。まるで、南側のグループの分まで咲き切ってあげるわよ、と言わんばかりの豊穣さなのである。
花柄を摘み、ある部分は切り戻し、地に下したキキョウが咲き出した。十分に堪能したから、ゆっくり休んでくれと思ったのに、想定外の開花である。
あらん限りのエナジーを振り絞った結果なのだろう、盛期の半分ほどの花がたった一輪、なにやら憂いに満ちて咲いている。
立ち去り難い所作を滲ませながら、ツマグロキンバエ(褄黒金蠅:双翅目(ハエ目)短角亜目クロバエ科)らしき虫がタニガワコンギクにたかっている。
いくら不調法の猫の額の庵主でも、数多く撮れる時間的余裕があったがために、いくらか見られるであろう写真が1、2枚撮れたようだ 藁
三十余年前、一家揃って狭山に引っ越した折、祖父母が坪庭にこのモッコクをでんっと植樹してもらっていた。八年ほど前、山野草を始めた折りに、大変な思いをして、よっこらしょと引っこ抜いてしまったのだが、その時まで一度たりとも花は見たことはない。もちろん、実など見ようはずもない。
数年前、隣町にあるサイ〇クを訪れた折り、モッコクに花が咲いているのを見て驚いたものである。「我が家のモッコクは、何故、花を付けなかったのか?」--不思議に思ったものである。
そして、今日(10/23)久方ぶりにサ〇ボクを訪れた。そう、しばらくぶりなのだよ。ここは、観光バスも立ち寄るというお肉のテーマパークのような所。例えば、スーパーゴールデンポークなどともいえば、なかなか年金生活者の口に入ろうはずがないほどの上等のお肉で、もちろんそれ相応のお値段が・・・・・・。
ともかく、その一角に植樹されたあのモッコクの木に、こんな具合にたわわに実が成っていたのである。花が咲けば、実が稔る、至極当然なことなのだろうが、姫リンゴのような、ソヨゴをもっと大きくしたような実が、これでもか~っとばかりに成っているのを見て圧倒されたものである。いまさら、引っこ抜いたことを悔やんでも仕方がないのだが、なかなかに見応えのある光景であった。
ある時期、悪しざまに罵られた花、それがセイタカアワダチソウである。そう、花粉症の原因物質として忌避された過去を持つのだ。
この草本自体は虫媒花なので花粉症は引き起こさないとされ、ありもしない罪を着せられてしまったのである。
とはいえ、根と地下茎からはアレロパシー物質を分泌して競合する植物の生育を妨げ、巨大なコロニーを形成したがため見た目で判断されてしまったのだろうか。
最近、それほどのコロニーを見かけかくなったように思うが、一つの説として、自らが分泌するアレロパシー物質による自家中毒であれよあれよという間に少なくなったのだとか。
そう、そのセイタカアワダチソウが我が家の坪庭に侵入してきた。たった1本だったので駆除はせず、目の前でしっかりとその素顔を観察しようと思っている。
多数の頭花が寄り集まってる。ほころぶとともに、ほわほわした細い糸状のナニモノかが辺りを支配し始める。
いつも不思議に思っていたこのナニモノかは、筒状化の雌しべの花柱なのだという。もちろん、G先生に問うたわけなのだが、知識の乏しい藤四郎には偉大な先達の知恵が詰まった百科事典のようなモノといえよう。
ちいさな花が放射状に散らばっている。タニガワコンギクが咲き揃ってきたのだ。
おまけで頂いた花だけど、こんな野菊が一鉢あるだけで秋の空気感が漂い始めるようだ。
新たに三つの花がキバナノホトトギスに添えられた。去年でさえ、一度にこれだけの花を付けることがなかったのにである。
この裏側にもう一本茎が伸びている。ここにもいくつかのつぼみが萌しているが、こちらはまだ一つも咲いていない。まだまだ楽しませてくれるようだ。
あらかた花が咲き終わったので、花柄を摘み取り、小庭へと下ろしてしまっていた。
また、来年のお楽しみ、なんて思っていたわけだが、ひょっとしたらまた咲いてくれるのかな。
昨年、八ヶ岳の山草園から三種のホトトギスを取り寄せた。
夏咲きといわれる玉川ホトトギスは、つぼみを育むことなくひと夏が終わった。白花は取り寄せた年にいくつかの蒴果を成し、そのなかのいくつかが、小さな丈であるにもかかわらず花を付けてくれた。本株の方は、酷暑のせいかつぼみを結ぶことなく秋を迎え、息絶え絶えで冬を迎えようとしている。これらは、つい先ごろ、坪庭の外れに地植えとした。
そして、この黄花である。茶枯れた葉が痛々しい。それでも、つぼみをたくさん蓄え、次から次へと開花している。
ごめんよ。見くびっていたかもしれないね。満身創痍のなかで、あらん限りの力を振り絞り花一輪、一輪にエナジーを注ぎ込んでいる。
薙刀のようである。そう言えば、やはりシソ科の草本でナギナタコウジュ(薙刀香需)という草本があったが、姿形は小さいがよく似ている。
猫の額に仮住まいしてから長いが、まだその名前の所以となった株元にできる「霜柱」は見たことがない。今年は暖冬だという。望むべくもないか。
このアシタバも猫の額の古株だ。来た当座は、新葉をむしり取ってよく食したものである。
遠目で見るとブロッコリーのように見えないかい。近寄って見ると、確かにシシウドによく似ている。このシシウド属を表すラテン語の属名「Angelica」は天使に由来するという。強い生命力を持つというアシタバは、たくさんの栄養素も持っているのだとか。アシタバとは、まさに、天使の如き草本なのだろう。