ROCK & CINEMA DAYS

映画とROCKと猫が大好きです

ジェフ・ベック さらばギター殺人者

2023-01-13 08:28:51 | ロック

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あの頃ベックに憧れたみんな、今どこで訃報を聞いてるんだろう

「ワイアードよりライブ・ワイアーの方がすごいぞ!」と興奮してたあの子、今何をしてるんだろう

鬼籍に入った子もいるんだろうな

かつてのギター小僧たちの顔が浮かんでくる

 

 

青春時代のレジェンドが逝く

擦りきれるほど聴いたカセットテープの思い出とともに 


ユニコーン「フリージャズ」

2020-01-09 16:17:00 | ロック
時々無性に聴きたくなるユニコーンの曲。
ユニコーンの曲は好きなのがたくさんあるけど
個人的にはこれが一番ですね。
短い曲なんだけど
男女の別れの描写がたった8行の歌詞に表現されています。
余分な文はいっさいなし。
この8行だけで
状況が頭に浮かんできます。
メロディもすごくシンプル。
「フリージャズ」ってタイトルに合わせてるんでしょう。
レコードを聴いてるようなアナログな録音。
それがさらにもの悲しさを際立たせてます。
うまいなあ。
最後の1行がほんとニクイですね。泣かせんなよ。


ユニコーン「フリージャズ」

シーナ&ザ・ロケッツ シーナR.I.P

2015-02-18 21:14:00 | ロック
2月14日にシーナ&ザ・ロケッツのシーナが亡くなったというニュースが流れ
本当に驚きました。
つい数ヶ月前、日本テレビ「秘密のケンミンショー」に
夫婦揃って出演されていたのに。


部屋の隅に放られて~♪…って、「夢見るラグドール」の歌詞じゃないですけど
隅に置いてあるカセットテープのラックから
取り出してみました。シナロケのテープ。





当時、大学生だった私がレコードから録音したテープ。
この頃は、レコードに傷がついたり汚れたりするのがいやで
すべてカセットテープに録音していたのです。


まだパソコンはおろかワープロもなかった時代
タイトル面は「レタリング用転写シート」を使用していました。


一番下のテープに入っているのは
伝説の名盤、と言われたデビューアルバム「#1」と
大ヒット曲「ユー・メイ・ドリーム」がフィーチャーされたセカンドアルバム「真空パック」
真ん中のは、サードアルバム「Channel Good」。「d」が抜けてるのは見逃してちょ。
一番上は、9枚目の「#9」と10枚目の「Happy House」が入ってます。


そしてこちらは
テープ版として販売されたもの。





4枚目のアルバム「ピンナップ・ベイビー・ブルース」です。
当時、超売れっ子コピーライターだった糸井重里氏が作詞に参加
そしてミッキー・カーチスがプロデュースと
非常に話題を呼んだアルバムでした。


私はこのアルバムが大好きで
特にストーンズの「サティスファクション」のカバーは絶品でした。
この曲はいろんな人がカバーしてますが
シナロケのアレンジといったら、もうね、ぶっ飛びました。


この頃、音楽雑誌だった「宝島」誌で
「おまえらの日本のロックアルバムベスト3を教えろ」という企画があり
読者から投稿(ネットのない時代だから郵送ですよ)を募っていたので
私も投稿しました。

・サンハウス「有頂天」
・サディスティックミカバンド「黒船」
・シーナ&ザ・ロケッツ「ピンナップ・ベイビー・ブルース」

で、シナロケのとこのコメントには「サティスファクションには参るぞ!」と書いた覚えが(笑)。


もともと私はサンハウスが大好きだったんですよ。
サンハウスについての日記も書いてますので、よろしければこちら→http://star.ap.teacup.com/ladystardust/25.htmlをどうぞ。


デビューアルバム「#1」は、ロックの名盤とされていますが
長いこと廃盤になっていて
「幻の名盤」と言われていました。
今はアマゾンで買えるんですね。


サンハウス時代のブルース色が残っていて
シーナのボーカルはまだ荒削りだけど
ロックンロールの原石って感じのアルバムでした。
宝島誌でも「日本の女性ロックボーカリストの原点がここにある」って評価されてましたね。


シナロケは突然CMに出てくるイメージがあって(笑)、
ぼーっとテレビを観ていて「あれ?今のシナロケ??」ってことが多々起こりました。
何のCMだったか忘れたけど
「海は広いな大きいな~♪」の「海」を歌い踊りながらメンバーが出てきて
「!!!!!」と目玉飛び出しそうになったり(笑)、
「職業選択の自由、アハハン♪」のCMの時は
声だけで「これシーナやん!」とわかったり


ジャノメミシンのCMでは
小学生だった双子の娘さんたちと鮎川誠が出ていて
かっこいいパパとかわいいお嬢ちゃん、という
ほんわかしたイメージでした。


このCM、あんまり流れなくて
スポンサー番組だった「3時のあなた」ぐらいでしか観られなかったんですよ。
いまはYouTubeで観られます。
いい時代になったもんだ。


そういえば80年代
中島らもがメインの大阪ローカル番組「なげやり倶楽部」で
第1回目のゲストがシナロケでした。
いやもう、この番組は…(詳細はウィキペディアでよろしく)。
中島らもと鮎川誠の会話が進まないことといったら(苦笑)。


中島「…………えー、鮎川さんは最近どういう音楽を聴いてるんですか」
鮎川「…………あー、最近ですか…レゲエなんかいいですね」
中島「………そうですか……僕レゲエ嫌いなんですよね……」


しつこいようですが、番組の詳細はウィキペディアで。
終始、鮎川誠の隣でシーナが笑顔をキープしてたのが印象的でした。
「シーナ偉いなあ」と感心してました(笑)。



シーナの訃報を聞いて、いろんな思い出が蘇りました。
私自身の結婚式の時
披露宴でのキャンドルサービスのBGMがこちらでした。





もちろん自分で持ち込み。
当時、披露宴でのBGMは式場で用意された曲を使用するのが普通だったので
BGMすべて自分で持ち込んだ私は
さぞかしめんどくさい客だったと思います。


キャンドルサービスの時は、この曲だけでは尺が足りなかったので
ジョン・レノンの「スタンド・バイ・ミー」を継ぎ足しました。
ちなみに新郎新婦入場の時は
映画「ロッキー・ホラー・ショー」のオープニング曲
「Science Fiction Double Feature」でした。
やりたい放題だったよ(笑)。


あ、その頃、式場でよく用意されてたのは
ヴァンゲリスの「炎のランナー」とか
ロッドスチュアートの「セイリング」とかだったですね。
だいたい時代がわかりますね。


シーナ、かっこいいまま逝っちゃって。
ロックなまま逝っちゃった。
夢見るロックンドール。


うち、酒屋なんですけど
訃報を聞いてこのポスターを作り
入口に貼りました。
5分で作ったんで雑だけど許してちょ。





クイーンが登場した頃の思い出

2014-11-30 22:13:00 | ロック
フェイスブックでクイーンの話題が出たので

「そういや私もクイーンのレコード持ってるわ。デビューアルバムとデビューシングル」

と思い出し、ガサゴソとひっぱりだしてみました。


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はい、歴史的デビューのシングル盤です。

「Keep Yourself Alive」。邦題「炎のロックンロール」(笑)。

タイトルの上についてるキャッチコピーが

「ブリティッシュロック界最高の新人・ニューヘヴィロックグループ・クイーン登場!」ですよ。

クイーンも新人だったのね。当たり前ですが。

B面は「Son & Daughter」。

これもへヴィなかっこいいナンバーです。





当時、大阪の心斎橋に「ミヤコ」という大きなレコード屋さんがありまして

シングル盤を買うと、希望すれば店内に流してもらえたんです。

私もこのレコードを店員に渡し、流してもらいました。

イントロの「ドゥンドゥンドゥコドゥコドゥコドゥンドコドコ」が流れた瞬間

店内にいた女性客数人が直立不動になったり、「キャッ!」と叫んだり

クイーン人気がよくわかる現象がおこりました。



とはいえ

この頃はまだクイーンはメジャーではなく

あくまでロックが好きな女の子たちに大人気だった、というだけでした。

このシングルを含むデビューアルパムがこちら。






「Queen」。邦題「戦慄の王女」。

このアルバムはとにかく衝撃的でした。

ハードロックなんだけど、プログレの要素があり

だけどプログレじゃない。

何なんだこの音は!

もうね、1曲目の

「ドゥンドゥンドゥコドゥコドゥコドゥンドコドコ」で

圧倒されましたね。

かと思うと2曲目はがらっと替わって静かな曲。

そして3曲目は再び激しい曲。

B面はいきなり「Liar!」ですしね。




ところでクイーンを日本で最初に紹介したテレビ番組は

おそらく近畿放送(現・KBS京都)の

「ポップス・イン・ピクチャー」(通称PIP)ではなかったかと思います。

PIPは、当時としては画期的な、海外ミュージシャンのPVを流す番組でした。

まだMTVがなかった時代ですよ。

今でこそ日本のミュージシャンもPVつくるのが当たり前ですが

あの頃は欧米のミュージシャンのPVしかなく

それも日本ではなかなか見られませんでした。

「11PM」の水曜日にダイジェストを見ることができましたが

まるまる流してくれたのはPIPだけでした。

大阪の私の実家では近畿放送が見られませんでしたが、神戸の「サンテレビ」は見られたので

サンテレビ経由で見ていました。




PIPにレコード会社の人がクイーンの宣伝で出演し

この「戦慄の王女」のジャケットを見せたのですが

DJの川村龍一さん(当時は川村ひさし)が

「なんでクイーンなのにタイトルが王女なんですか?」とつっこんで

レコード会社の人は答えられなかったのが印象に残ってます(笑)。

で、オンエアされたPVが「Liar」でした。

Liar、かなりインパクトありましたね。




このデビューアルパムのジャケット

裏はこんなふうでした。





これだとあんまメンバーの顔わかんないですね。

だからか?あまりミーハーなファンはまだいなかったですが

この次のアルバム「QueenⅡ」では

宣伝ポスターがモロ「貴公子4人組!どや!」って感じのベルばら風だったんで
 

女子が食いつきましたね~。

おまけにメンバーのプロフィールがだんだん明かされていくと

もう女子は「美形で頭いいってサイコー!」

とばかりにキャーキャーとなりました。



フレディ以外のメンバーが大学卒で

ブライアンにいたっては大学院を出て博士号をとってます。

当時のイギリスでは、大学に進学するのは相当頭がいいってことだったんです。

日本と違い、誰でも入れるわけではなかったんですね。

イギリスのロックミュージシャンで大学卒はミック・ジャガーぐらいでしたから

史上最強のインテリバンド出現!と言われました。



3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」からシングルカットされた

「キラー・クイーン」が日本で大ヒットして初来日。

私の友人がライブに行きまして

フレディが客席に投げた花に向かって突進。

苦闘の末、葉っぱ1枚ゲットして(笑)、大事に生徒手帳に挟んでました。



てか、なんで私クイーンのライブ行かなかったのかなあ?

デビューアルバムに衝撃受けたって書いてるくせに

ライブ行くほど好きじゃなかったのかな。

今となってはわかりません。

「クイーン・キッス・エアロスミス」がロック御三家と呼ばれてましたが

キッスとエアロスミスは初来日のライブに行ったんですけどねえ。

キッス初来日の話はこちら

エアロスミス初来日の話はこちら




4枚目「オペラ座の夜」の世界的大ヒットで

日本だけでなく世界のクイーンになりました。

実は私、このアルバム以降クイーン聴かなくなったんで

ヒット曲ぐらいしか知らないんですよね。

だけどなぜかこのレコードは持ってます。





クイーンが日本語で歌ってる有名なナンバー。

この曲、大阪の報道番組「MBSナウ」のCM曲として

使用されてました。

以前、うちの店でしばらく飾ってたことあるんですが

お客さんのリアクションがまったくなくて

ショックでした(笑)。



あーなつかしいわクイーン。

クイーンがブレイクしてすぐにベイ・シティ・ローラーズが一世風靡したり

パンク到来で、イギリスからはセックス・ピストルズが

アメリカからはラモーンズが登場したり

エキサイティングな時代に中高生でラッキーでした。

そーいやランナウェイズも当初はパンクのくくりに入ってたよなあ。

ジョーン・ジェットかっこよかったなあ…



と、いろいろ思い出されて中高年の夜は更ける。

ハードロック芸人を観て思い出したKISSの初来日

2013-09-28 23:31:00 | ロック
先日の「アメトーク」は「ハードロック芸人」でした。面白かった~!

芸人さんにあんなにたくさんのハードロックファンがいたとは驚きでしたが

まさかのオジーオズボーンネタでの大盛り上がり!

何時間でもやってほしかったですね~。





細かく言うと、番組で紹介されてたのは

80年代のへヴィメタル中心でした。

私はその頃もう20代だったので、ロックを聴く旬を過ぎてたというか

(やっぱ旬は中高生の頃ですよね)

全てのバンドを聴いていたわけではなかったですが

それでもサンドイッチマン富澤さんの

「外食で注文した品がなかなか出てこないと『アクセル・ローズか!』と思う」とか

飛石連休藤井ペイジさんの

「すぐに解散する奴を『コージー・パウエルか!』と言う」発言には激ワラでした。

さすがうまいこと言うわ(笑)。

まあ、私も野球の強い高校「愛工大名電」の名を聞くたびに「アイアンメイデン」と脳内変

換してしまいます。





番組の中で、みなさんがハードロックにまつわる体験談をされているのを聞き

私もはるか昔のことを思い出しました。

それは高校時代。

キッスが初来日した時のことです。





当時は「クイーン・キッス・エアロスミス」が

日本ではロック御三家と言われて非常に人気があったんです。

「ロック第3世代」とも呼ばれてました。

じゃ第1・第2世代って何?となりますが

第1世代は、ビートルズやローリングストーンズあたりの時代のロック

第2世代は、70年前後のレッドツェッペリン・ディープパープル・ドアーズなどなど、第1

より進化したロック(ブリティッシュ系が多かった)

そして第3世代は、先述の3組に代表される、第2よりさらに若い世代(アメリカンロック

が多かった)のことだと記憶してます。

もっとも、この世代分けは日本で言われてただけだと思います。





当時この3組は日本で大人気でした。

クイーンはすでに「キラークイーン」の大ヒットで、その華麗なビジュアルと共に女子の間

ではキャーロジャー!キャーブライアン!でしたし

キッスはとにかくあのメイクのインパクトで目立ちまくってたし

エアロスミスは他の2組と比べたら派手ではないものの、正統派ハードロックバントとして

主に男子に支持されてました。





1977年は、エアロスミス初来日・キッス初来日・エリッククラプトンやランナウェイズなど

メジャーなバンドの来日ラッシュの年でした。

そして人気絶頂だったキッスの初来日公演に行きましたよ。

忘れもしません。大阪フェスティバルホールでした。

キッスのライブは最初の2日間が大阪の厚生年金会館。

そして少し間を置いてからフェスティバルホールでした。





だけどウィキペディアには

厚生年金会館ライブの記述はあるんですが

フェスティバルホールのことが載ってないんですよ。なんで?






これはその時のパンフレットなんですよ。

ちょっと表紙を開いてみますね。







この左側のページにズームインしてみましょう。







ほらー。ちゃんと載ってるでしょ。

今気づいたんですけど、東京で1日2回公演やってたんですね。

なんかすごいな。





ライブはほぼ真ん中の席で観られたんで大満足でした。

ジーンは火を噴いたり血を吐いたり大活躍(笑)で

エースは超能力でギター燃やすし(これは世界初公開のネタだったそう)

ポールは「フゥ~ッ!」て叫んで色気ふりまくし

ピーターはアンコールの「ベス」でシャイなふりして歌うし

音楽ライブというよりも、ショーって感じで面白かったです。





で、この時のライブなんですけど

「コールド・ジン」って曲があるんですよ。キッスの。

ライブでこの曲をやる前に、ポールが必ず前フリ入れるんですね。





「オーイェイ。今日もみんなノッてるよな。最高だぜ。

オレもヒートアップしすぎてノドがカラカラだぜぃっ。

さっきもバックステージで話してたんだ。こんな時、何が一番必要かって」





てな内容のセリフをもちろん英語でしゃべるんですが

この次に



「What's that???!!!!!!」



と観客に問うんです。

すると観客が「コールド・ジン!」と叫び

ポールが「I can't hear you!!!!」と挑発して

観客がさらに大きい声で「コールド・ジン!」と叫ぶと

曲が始まるという仕組み。

「チャ~、チャッチャチャチャチャチャチャ、Oh,yeah!!!!!」

う~ん、懐かしいイントロだ(涙)。





これをもちろん大阪のライブでもやったんですが

時は70年代。

現代のように英語の授業でリスニングがあったりネイティブの教師がいた時代ではありません。

当然、留学経験者や帰国子女の数も今と比べものになりません。

そうです。

観客たちはポールの英語が理解できなかったのでアルヨ。





「What's that?!」

観客のレスポンスを期待したであろうポールの意に反し

場内は「ざわ…ざわ…ざわ…」。

予想外の展開に驚くポール。

「What's that?!」

もう一度問うポール。

しかし場内は「え…何……何…」。





私と言えば

「このフレーズは聞いたことある…えーと…

あ、そうや!キッスアライヴでコールド・ジンの前にしゃべってたセリフ!

バックステージがどうとかこうとかゆーとった!」

と思いつきながらも何も言えませんでした。日本人だねえ。





まあ、あれだけの人数がいたんですから

英語を理解して「コールド・ジン!」と答えた人もいたんでしょうが

ざわめきに消されちゃったんでしょうね。

あせったポールは

グラスでジンを飲むジェスチャーを擬音つきでやってくれたんですが

それでも「ざわわわ…」。

このままだと進まないと思ったであろうポール、

結局自分で「コールド・ジン!」と叫んで演奏し始めました。

ほんとすまんかったよポール。





後日、テレビで武道館ライブがオンエアされました。

大阪での失敗を教訓にしたのか

「コールド・ジン」の時は観客に問いかけることなく演奏してました。

んでもかすかに期待してたのか

前フリの「What's that?」から「コールド・ジン!」と叫ぶ間

0.3秒ほど待ってたようでした(笑)。



その時のチケットの半券がこれです。






この頃はまだオンラインとか発達してなかったんで

こういうロゴの入ったチケットだったんですよね。

ちなみにエアロスミスの初来日にも行きました。

そのチケットの半券も持ってます。

その時の記事はこちら→http://star.ap.teacup.com/ladystardust/94.html




80年代以降はオンラインの普及で

プリンターからダダダと出てくるチケットになってしまいましたから

半券もいちいち保存しなくなりました。

あ、1枚だけなぜか残ってます。







なつかしいなあ。

フェスティバルホールに替わって、大阪城ホールが大阪で一番でかいホールになった頃で

すね。

もちろんドームはまだありませんでしたよ。

ローリングストーンズは永遠に来日しないと思われてた頃でもあります。

来てくれてありがとうストーンズ。
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