ROCK & CINEMA DAYS

映画とROCKと猫が大好きです

今さらながら「カッコーの巣の上で」を観た

2011-10-25 21:34:00 | 映画



前回のブログに書いた「ヒポクラテスたち」と同じく
楽天レンタルの期間限定無料で借りました。


この映画は私が高校生の時に公開され
その年のアカデミー賞を総ナメにした
あまりにも有名な作品です。
なのに今まで一度も観たことがありませんでした。
生きているうちに一度は観とかなあかんやろ~と
常々思っていたので、いい機会でした。

観る前の予備知識といえば
精神病院が舞台であり
精神病を装ったジャック・ニコルソン扮する主人公が入院、
婦長とことごとく対立する…ぐらいでした。
展開もラストもあえて知らないようにしてたわけです。
なんとなく重い内容だろうとは予想してましたが。


ああ、やはり重い映画でした。
でも
どどどっーっと疲れる重さではありません。
「映画を観たぞっ!」という重厚感と表現すればいいでしょうか。
非常によくできた作品だと思いました。
アカデミー賞総ナメも納得、っつーか
「これが賞をとらなオカシイやろ」
的な映画でした。


観る前は
「患者を管理されたシステムに押し込む婦長 vs 患者に自由を勝ち取らせようとする主人公」
の構図を想像してたんですが
見事に裏切られました。


このふたりをどう思うかは
観客ひとりひとりに委ねられているんですね。
決して「わるもん」と「ええもん」の二分割ではないんです。
水戸黄門じゃないんですよ。


婦長はあくまでクールですが
それは婦長としての任務をまっとうしているからだと受け取れます。
ただ、そのベクトルが少しずれていたんでしょう。
患者の意志や自由をコントロールして
平穏な病棟を保つことが善だと信じる彼女にとって
マクマーフィは「悪」以外の何者でもありません。


マクマーフィは刑務所での労働からエスケープしたいがために
精神病を装って入院してきた、「おっさんの不良」です。
労働しなくてラッキー、と思ったのもつかの間
退屈な空間の中で生活している患者たちや
何の薬か尋ねても「そんなこと聞かずに飲んでりゃいいんだ」的な病院の態度に耐えきれず
「ルールは破るためにある」と言わんばかりに
ことごとく婦長に反抗するようになります。
その反抗たるや
まるで中学2年生のようです。


しかし
彼が掟破りの遊びを実行したおかげで
患者たちは生き生きとしていきます。
船に乗り込んで釣りをする場面
職員たちとバスケットボールをする場面
見られないワールドシリーズをマクマーフィが実況する場面
そしてあのクリスマスパーティ。
婦長主催の何の治療にもなってないグループセラピーより
どれだけ患者の回復に功を奏したことでしょう。


私が疑問に感じているのは
病院側がマクマーフィを仮病だと判断し
刑務所へ送還しようと話し合った時
婦長が「刑務所へ責任転嫁することになる。彼をここで矯正するのが私たちの役目だ」と反対したことです。
彼女の意図は何だったのか?
発言通り、婦長としての使命感からマクマーフィを入院させておこうとしたのか
あるいは、個人的な憎しみから彼を痛めつけるつもりだったのか
そこのところは
「観客のご想像にお任せします」
なんでしょうか。


冷静な彼女が取り乱し、人間らしい言動をとったのは
皮肉にもビリーを自殺へ追い込むシーンでした。
ビリーは自殺しましたが、彼女が殺したも同然です。
あれはひどい。あんまりだ。
母親が原因で発症したビリーに、母親のことを持ち出すとは。
おまえ死ぬしかないよ、と言ってるようなもんですね。


ラストは何というか、切ないですね。
そ、それでええんかい!と語りかけてしまうような。
観てない方にオチを言ってしまってはいけないので多くは書きませんが
それってアリかいな…と考え込んでしまいました。


とまあ、内容もさることながら
出演者たちの演技力の凄いこと!
ジャック・ニコルソンはもちろん
婦長役のルイーズ・フレッチャーが圧巻です。
特にマクマーフィに首を絞められている時の表情は
鳥肌が立つほど凄かったです。
患者を演じた脇の俳優たちも素晴らしかった。
「金ピカでまぶしい映画」とでも表現しましょうか。


で、結局
チーフが主役ってことでOK?


映画「ヒポクラテスたち」を30年ぶりに観た

2011-10-22 17:59:00 | 映画
医大生の青春と葛藤を描いた日本映画の名作「ヒポクラテスたち」。
楽天レンタルが期間限定で旧作無料だったので借りてみました。
この映画が公開された1980年は
私もリアルに大学生だったので
映画館で観ることができました。


この年の日本映画は元気でした。
「ヒポクラテスたち」にも出演していた、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」。
いまやソフトバンクのお母さん、樋口可南子が若く美しい「戒厳令の夜」。
伝説の俳優・松田優作と小林麻美が出演「野獣死すべし」。
松坂慶子の美人度最高潮「わるいやつら」「五番町夕霧楼」。
カドカワのお金の掛け方がハンパなかった「復活の日」。
海は死~にま~すか~の「二百三高地」。
そして忘れちゃいけない
世界のクロサワの「影武者」もこの年公開でした。


30年の時を経て観てみた「ヒポクラテスたち」。
当然ですが、まずキャストの若さに驚かされます。
一緒に観ていた次男(19歳)は
内藤剛志・阿藤快・斉藤洋介があまりにも若すぎてまったくわからなかったそうです。
確かに!
内藤剛志なんかロン毛のカーリーヘアだし
阿藤快は役柄のせいもあって、松岡修造のように見えます。


でも柄本明は見た瞬間わかったそうですよ(笑)。変わらない人なのよね。


最終学年の医大生たちが
大学病院で実習を通して医療の現実を体験していきます。
正義感に燃える学生もいれば
自信喪失していく学生もいます。
大学の寮では
国家権力と医療について、激論する学生たちがいます。
医大では、二浪三浪は当たり前。四浪五浪も珍しくないので
学生と言えど年齢は様々です。
そんな中で現役合格した1年生などは、「少年」の言葉がぴったりくる幼さです。


主人公もかつては
様々な医療問題について抗議運動に加わった過去があります。
でも最終学年の今は
ただ実習をこなして試験を受け、卒業に向かう普通の学生です。
しかし自分自身について、漠然とした疑問と不安を持ち続けています。
その不安感は、恋人が悪徳病院の堕胎手術で不妊になってしまったことにより頂点に達し
やがて精神に異常をきたしていきます。


ストーリーだけだと重く深刻な映画のようですが
軽いタッチで描いているので
笑いあり、ホロっとくるところありの楽しい作品です。
なんと手塚治虫が医師役で出演していたり
原田芳雄も説教の多い執刀医役で登場します。
北山修がCT技師役でフォーク・クルセダースについて熱弁を振るうシーンは
今見ても笑えます。


端々に織り込んでいる実験映画的な手法は
当時の若手監督や学生の自主制作映画で流行していたやり方です。
30年たった今あらためて観てみると
なつかしいと同時に新鮮な感じを受けます。
このころ、学生の自主制作と言えば8ミリでした。
ビデオカメラなんてとても買える代物じゃなかったし。
価格が現代とは2ケタぐらい違ってたと思います。
素人でもきれいな映像が撮れるようになった今
8ミリの粗い映像は却って印象的です。


この映画が公開当時話題になったのは
解散・引退したキャンディーズのランちゃんの
復帰第一作だったということもあります。
ランちゃんの役どころは重要でした。
主人公と同じグループで実習する女子学生。
ずっと優等生で過ごしてきて
勉強ができたから、成績がよかったからという理由だけで医大を受験して合格。
だけど医者になりたかったわけじゃない。
単位もとれて、実習が終われば国家試験。
でも自分は医者になる資格があるのか?
実習していくうちに、彼女は自問自答を繰り返し
すべてを放棄してしまいます。


次男は映画を観ながら
「喫煙者多すぎじゃね?」と言いました。
あ、ほんとだ。
登場人物全員たばこ吸ってます。
そうだね。今じゃほとんど見ない光景だわ。


30年前の京都の学生たち。
寮の様子も飲み屋の雰囲気も
私がリアルに思い出せることばかりです。
そういえば
大学で同級生だった男子が
この映画の撮影現場を見に行ったそうで
出演していた新人女優(妊娠中絶したいと来院した女子高生役)と
一緒に写真を撮らせてもらったと言ってました。
その彼も
今では大手新聞社でコラムを執筆する論説委員です。
時の流れを感じます。





これは公開当時のパンフレットです。
映画のパンフレットというか、ATGの機関誌なんですけど
パンフとして売られていました。
中には映画の台本がまるまる載っています。
表紙の真ん中に載っているのがランちゃん。
その右下が手塚治虫
左下が斉藤洋介
一番下の右端が内藤剛志です。


夫は試写会でこの映画を観たそうです。
「京一会館」という、当時の映画マニアの聖地で。
舞台挨拶に来ていた内藤剛志が
背が高く、存在感があって
すごくかっこよかったそうですよ。


ところでその夫ですが
私が観ているうしろから覗き込んで
「おっ、『ヒポクラテスたち』かぁ。なつかしい。ランちゃんかわいかったなあ」としゃべり出しました。
そこまではいいのですが


「そういや古尾谷雅人って最近映画に出ないなあ」


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マジで言ってんだよねこれが…