ROCK & CINEMA DAYS

映画とROCKと猫が大好きです

ブルーハーツとしゃべった日

2007-04-30 10:15:15 | ロック
もう20年近く前になりますが、ブルーハーツと話したことがあるんですよ。
80年代中頃にインディーズからクチコミで中高校生に人気が出たブルーハーツ。
宝島誌(当時はバリバリの邦楽ロック雑誌でした)が積極的にプッシュしていた記憶があります。
当時はラフィンノーズ・ウイラード・有頂天がインディーズ御三家として人気がありました。ブルーハーツはそのあとから出てきてあっという間に10代のカリスマ的存在になりましたね。



ブルーハーツはなんと言っても歌詞が画期的でした。
10代への応援ソングと言いますか、「ガンバレ!」とか「ぼくらは泣くために生まれたわけじゃないよ」とか。
一歩ズレたらめちゃ恥ずかしい歌詞なんですよ。でも時代にぴったり合った。
私なんかすでに20代半ばでしたけど、初めて聴いた時は落雷に打たれるくらいのショックを受けました。
ブルーハーツのファンクラブ「ブルーハーツ友の会」にも入りました。
ライブにも行ったんですが…。

ブルーハーツは中高校生に人気があったと言っても、その頃はまだロックの好きな子にしか知られていませんでした。
「夜のヒットスタジオ」に出て「リンダリンダ」を歌った時はかなりインパクトが強く、ブルーハーツを知らない層にも「なんか変なバンドがいる」と認識されたようですが、まだマイナーな存在でした。
だからライブのチケットも楽勝だと思ってたんですね。ところが甘かった。

全国ツアーのチケットが発売される日、私は近所の西友のセゾンカウンターに開店前から並びました。
まだPCもネットも普及していなかった時代ですから、地道に売り場へ並ばなきゃなんなかったのよ。
住宅街の西友でしたから、開店前のチケット売り場に並んでる人は私だけ。
10時になり、開店。私は意気揚々とカウンターのおばちゃんに「○月○日のブルーハーツ大阪公演1枚」と言いました。当時私は大阪在住だったんです。
おばちゃんは機械をピピッと操作し「あ~、完売ですね」
はぁ?
私は時計を見ました。10時1分。
「あの~、今日の10時に発売開始ですよね」
私のきつい口調におばちゃんは申し訳なさそうに「はい、でも完売なんですよぉ」
はぁ?
はぁ?
1分で完売かよっ!

一気に脱力感が襲ってきました。
しかし、大阪がだめなら新幹線に乗ってでも行くぞ!
私は情報誌を片手に公衆電話(ケータイなんかまだ存在してなかったですわ)をかけまくりました。
名古屋完売。広島完売。もちろん東京完売。
虚脱感全開。
あとどこがあるんや…丹後半島…たんごはんとう??
丹後半島って日本海やん。どうやって行くんや?行ったことないで~!

丹後半島は京都府。知らない人は「京都なら大阪の隣だから近い」と思うでしょう。
地図みてください。丹後半島は日本海側。大阪は太平洋側。
JRで3時間かかりました。東京へ行く方が速いです。
それでもそこしかチケットがないのでゲットして行きましたよ、丹後半島。
日帰りできないので(帰りの電車が夕方でなくなるのよ)町に一軒しかないホテルに宿泊。
一軒しかない…そうです!ブルーハーツもそこに泊まってたのでした!

そのことに気づいたのはチェックインしてからホテルの外に出た時。
前からメンバー4人が歩いてくるではないですか。
予想外の出来事に緊張する私。
すれちがいざまマーシーに「ライブ行きます」というのが精一杯でした。
マーシーは「あっそう」とそっけない返事。他のメンバーはニヤニヤ。
あ-、ホテルの追っかけだと思われたかな~、偶然なのにな~、とちょいブルーな気分。

その夜ライブに行き、次の日ホテルをチェックアウトして歩いていたら、道ばたに小型バスがとまっていました。
フロントガラス越しに中の人たちがこっちを見てニコニコしているのが見えます。
よく見ると…ブルーハーツ!
もう私は考えるより先に足が動いてバスに乗り込みました。
「どこへ行くんですか~!」と叫ぶ私にヒロトが笑顔で「いやぁ、ぼくたちもわかんないんですよ~」と答えてくれました。ヒロトは礼儀正しくて笑顔が素敵な好青年。
「どこから来たの?」とマーシー。おぉ、昨日とはうってかわって優しい口調。
興奮しながら3分間ほどメンバーと話し、「がんばってください、さよならっ!」と頭を下げてバスを降りました。
友達にこの話をすると「なんでサインもらうとか握手するとかしなかったの。もったいな~い」と言われましたが、とてもそんな余裕なかったっす。

その後発売された「トレイントレイン」がドラマの主題歌に起用されて、ブルーハーツは一気にメジャーになっていきました。
もう道ばたのバスで会って話せるような存在ではなくなりました。
そして解散。残念でした。

それから20年ほどたった今でも若い子たちに人気で、CMにもバンバン使われているブルーハーツは、やっぱりホンモノだったんだと思いますね。うちの息子もブルーハーツ好きですよ。
あの丹後半島での遭遇は私の脳内でお宝映像として永遠に残っています。

あの時のスタッフにひとり女性がいたんですが、すんごい美人でした。それもびっくりでした。

ロッキーホラーショーの思い出

2007-04-20 20:10:19 | 映画
「ロッキーホラーショー」の1976年日本公演のチケットを引っぱり出してきました。
大阪の朝日座のチケットですね。



で、お気づきでしょうが、なんと 未 使 用 のチケットなんですわ。
なんで行かなかったかと申しますと…。
この時私は高校生で、友達と3人で観に行く予定だったのです。
友人Aが代表してチケットを購入。3人とも違う高校へ通っていたので、学校内でチケットをもらうことはできません。
で、Aがもうひとりの友人Bに「当日の2時にナンバ駅の改札に集合しよう」と言ったのです。

ところがBは待ち合わせの駅を間違え、私に「ナンバ駅」ではなく、地元の「○○駅」と伝えました。
で、当日。私とBは○○駅で来るはずのないAを待っていました。
今のようにケータイのない時代です。いつまでたってもやって来ないAと連絡もとれず、私とBはベンチに座ってダラダラ文句を言い続けてました。
なんかもう、朝日座までわざわざ行くのもかったるくなって(第一、Aと会えるかどうかもわかんないし)、女ふたりでずーっとどうでもいいことばっかり話してました。

数時間後(どれだけしゃべってたんやて)、電車からAが降りてきました。
3人が同時に「あ゛~!」と叫び、そこでことの真相がわかった次第。
結局、Aだけが舞台を観たんです。ああ、3000円が…。当時の3000円って高校生には大金でした。
しかし心優しいAは、私達の分までパンフレットを買ってくれていたのです。
そのパンフレットはいまだにチケットとともに私のお宝です。

で、責任はどーとるんや~!のB。
さすがに悪いと思ったのか、次の年に初来日したKISSのチケット取りをしてくれました。
オンラインでチケットが買えないアナログな時代です。
12月の寒い夜、徹夜でウドー音楽事務所の前に並んでましたよ。
おかげでど真ん中の席でKISSが観られました。

…あぁ、でも、やっぱりロッキーホラーショー観たかったよ…。



エアロスミス初来日

2007-04-01 18:50:40 | ロック
エアロスミスのスティーブン・タイラーが3月26日で59歳になったと知り、初来日した時のことを思い出しました。
エアロ初来日は1977年。当時日本のメディアは、クイーン・キッス・エアロスミスを「ロック御三家」とアイドル的に宣伝していました。
その中でもクイーンは早くから来日公演を行ってましたが(なんせ日本から売れたという数少ないバンドのひとつですもんね)、キッスとエアロスミスはともに1977年が初来日です。
どちらかというとキッスはあのド派手なルックスで話題にされやすく、エアロスミスはキッスに比べると地味な印象でした。
それでもロック好きの少年少女には絶大な人気がありました。
私は大阪でエアロスミスのライブをみたのですが、その時のチケットの半券がこれです。↓


ははは、時代ですね。3900円ですよ、S席なのに。
会場も大阪フェスティバルホール。
今はドームや大阪城ホールがありますが、当時はここが大阪で一番キャパのある会場だったんですよ。ひゃひゃ、なつかしぃ。
今のようにオンラインで買えませんでしたから、直接呼び屋さんの事務所に並んで買うんです。
だからこういうロゴ入りのチケットなんですよね。
エアロスミスのような人気バンドのライブでいい席を取ろうと思えば、1週間くらい前から寝袋持参で事務所前に座り込んで順番待つのが当たり前でした。
PCで自宅から予約できるなんて、想像もできませんでしたよ。

スティーブンはとにかく細かった。細いのにピタピタのタイツはいてるから、もう折れそうな脚してましたね。
でもすごく眼がきれいでした。客席からわかるくらい、もうね、キラキラしてるんですよ。
この人に会ったら、絶対に「心のきれいな人だ」と思ってしまうでしょうね。

一時は全くメディアに登場しなくなったエアロスミス。RUN DMC とMTVに出てきてからは不死鳥のごとく復活して、いまや大御所バンドです。
デビュー当時はストーンズのモノマネバンドと揶揄されていたのがウソのようです。
その当時、ミック・ジャガーがエアロスミスについてのコメントを求められたとき
「ボーカルだけはいいね。ぼくに似て甘いマスクをしている」
と、イヤミたっぷりに言ったのを覚えています。

もう59歳か。来年還暦…こっちも歳とるわけだわ。