ROCK & CINEMA DAYS

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「パッチギ!」の時代とフォーククルセダーズ

2007-05-19 21:16:10 | 映画
地上波で「パッチギ!」を観ました。
すでに観ていた夫から「俺らの時代の話やで。胸がキュンとなるわ~」と推薦されていたので、中学生の息子と一緒に観ましたよ。

舞台は1968年ですから、私より少し上の世代になります。
でもこの時代の雰囲気は覚えているので「あ~、そうやったそうやった。こんな感じやったわ」と、ノスタルジックな気分になりつつ、ケンカのシーンの多さに思わず「ガキ帝国」を思い出したりしてました。
「ガキ帝国」は大阪、「パッチギ!」は京都と違いはあるものの、隣同士ですから雰囲気は似てたでしょうね。

この映画の主軸である「イムジン河」。
私がフォーククルセダーズのこの歌を初めて聴いたのは小学生の時でした。
ちょうどフォークソングがブームで、私も生意気ながらギターの練習を始めた頃です。
コード進行が、C→Am→DかEm→G7…だったかな。もう記憶があやふやで正確ではないですけれど、初心者向けの曲だったんです。
「いい曲だなあ」と子供ながら感動しました。
高校生だったイトコに「ええ曲やろ~。でもこれ放送禁止やねんで。そやからラジオで聴かれへんねんで」と教えられ、「ええ?なんでやのん?むっちゃええ曲やのに。歌詞かておかしないやん」と聞き返したら「これ、朝鮮と韓国のこと歌ってるからなんやよ」と言われました。
なんで朝鮮と韓国のこと歌ってたらあかんのや?
その疑問が解けるのはずっとあとのことでした。

フォーククルセダーズは当時関西では神様扱いだったように記憶しています。
彼らの出現で日本の音楽界は大きく変わりました。
音楽界だけでなく、文化や風俗にも影響を与えたのですから。
「アングラ」という言葉も彼らの登場で初めて知りました。
特に加藤和彦は「日本のポール・マッカートニー」と称されるほどメロディメーカーとしては天才的だったし、甘いマスクで女の子に人気ありましたね。
のちに夫人だった福井ミカとサディスティック・ミカ・バンドを結成しますが、ミカもまたキョーレツな個性の持ち主だったんで、やっぱり子供心にも「すげー夫婦」と思ってました。

映画に挿入されていた「悲しくてやりきれない」もすごくいい曲で好きでした。
この曲は「イムジン河」が放送禁止になったことを悲しんだフォーククルセダーズが、「イムジン河」を逆回転させて歌詞をつけたものだと聞いたことがあります。
映画ではオダギリジョーが歌ってて、主人公が橋の上でギターを叩き壊すシーンで流れていました。
このシーンはほんとに悲しい。
死んだ男の子の通夜で在日朝鮮人のおじいさんが主人公に怒号を浴びせたあとだからです。
あのおじいさんも、主人公に文句を言っても仕方がないことをわかっていながら、それでも抑えることができなかったんですね。
主人公は、何も知らずいい気になって「イムジン河」を歌っていた自分に情けなくなってしまったんだろうなと思います。あの橋のシーンは。
あのシーンがあったからこそ、その後のラジオ番組で「イムジン河」を歌うシーンがより感動的になりました。

朝鮮学校の男の子たちが京大に学生運動用の武器を売りに行く場面で「中核」と書いたヘルメットがありました。
ああ、そうだった。京大って中核だったっけな、といろんな大学のセクトを思い出したりもしました。
私が大学へ行ってた頃は「女子大生ブーム」で、学生運動は知識としてしか記憶してないですが。

最後の乱闘シーンは出町らしいですね。
私は大学時代に京都に住んでた…と言っても金閣寺の方なんで、出町あたりはうっすらとしか覚えてませんが、鴨川ともうひとつの川が合流するあたりでしょうか。
あの川が朝鮮学校の生徒たちと府立高校の生徒たちにとっての「イムジン河」ってことですかね。
でも、あの両方の学校の不良たち、あの時代によくいた不良そのまんまですね。
「いたいた、こういう子」って笑っちゃいました。
長ランとか、アフロヘアにマスクした女子とか、もう~(笑