ROCK & CINEMA DAYS

映画とROCKと猫が大好きです

35年前の立命館大学周辺マップ発掘

2016-03-11 12:56:00 | 大学時代

立命館大学衣笠キャンパス近くのレストラン「ハウスヨーク」が閉店したことを知り
81年卒の夫に伝えたら非常に悲しんでおりました。
で、なにやら探し出して見せてくれたのが
ゼミの卒業文集だそうで
その中に、キャンパス周辺のお店マップが載っていました。
当時、夫が描いたとのことです。
今は無き懐かしのお店。
35年前からいまだご健在のお店もいくつかあります。
当時、衣笠キャンパスで学んだ方々へ、ノスタルジア進呈。




オープンカレッジin立命館

2012-05-21 20:11:00 | 大学時代
次男の通う立命館大学から

保護者オンリーのオープンカレッジの案内が届きました。

長男の大学もこういうのあったのかな?覚えてないや(笑)。

なんせ、いい歳した子供のことでいちいち親が学校に行くことないし、と

この手の案内はいつもスルーしてたんですが (遠いしね)

今回は、次男の大学が私の母校ということもあり

久しぶりに母校訪問を兼ねて出かけることにしました。




出席は予約制で

いくつかの講演会・説明会の中から

2つを選択することができます。

私が選択したのは、「進路・就職講演会」と「スキルアップ説明会」。

「進路・就職講演会」は2-3回生の保護者向けなのですが

長男の就活でその苦労をひしひしと感じた私は

「1回生から知識を入れとかないと」と思ったわけです。




講師は、「日経ウーマン」の編集長でいらっしゃる、麓幸子さんでした。

この方の講演がとても良かった!

新幹線を使って来た甲斐があったと強く思いました。

麓さんは、日経ウーマンの採用者ではありますが

同時に、ご本人自身が就活生の母親だったという立場から

企業と学生、両方の見方を説明してくださいました。




講演後、麓さんの著書が販売されているかと探したのですが

どうも販売されていないようでしたので、帰宅してからアマゾンで購入しました。

この内容については、次のブログで紹介させて頂きたいと思います。




午後1時にオープンカレッジが終了し

久しぶりのキャンパスを散策。

なんと、構内に「サブウェイ」があるんですよ。

まあ、今はマクドナルドなどファーストフードの店が入っている大学が多いですが

「あの立命にサブウェイがねえ…」とびっくり。

私たちの時代は、立命=ダサいの代名詞でしたから。



なつかしい学舎「学而館」を撮影。





今は、「大学院施設・ボランティアセンター・障害学生支援室」となっていますが

昔は私の所属学部だった建物です。

かつては、入り口の階段を上がって中に入ると

すぐ左側に「学生談話室」がありました。

誰でも利用できる休憩所です。

私の所属していたサークルは、大学公認団体ではなかったので

BOX(部室)がありませんでした。

なので少人数でミーティングする時は

この談話室をしょっちゅう利用してました。

当時はいつも学生でいっぱいで

他の学部の談話室よりも明るく華やかでした。

今は何の部屋になってるんでしょうか。

なつかしいなあ。




学而館を通り過ぎて

昔は理工学部の建物があったエリアの方へ歩いて行くと

かっこいい建物発見。

「何学部?」と思いながら撮影。





あとから次男に聞くと

国際関係学部の建物だそうです。

知らないはずだわ。

新しい学部ですもんね。

写真の右側に写っているのは

諒友館という建物で

1階部分は食堂なんですよ。

手前のテーブルのあるところは

オープンカフェのようになっています。





こんな感じです。

なんだか普通の大学になったって感じです(笑)。

なんせ昔はダサ…(もういいってか)。





すぐ下へ降りたところにも

テーブル席があるんですよ。

もうね、昔の立命とはまったく違う大学ですわ。





1階の食堂です。

ガラス張りで明るい雰囲気です。






料理の見本が並んでいます。

メニューが減ったような感じがするのは気のせいかな。





そして時代を象徴しているのがこれ。

キャンパス内にいくつか設置されている

「喫煙シェルター」。

キャンパス内は禁煙なので

喫煙する場合は、この中でのみOKです。

ただし、来年の4月からは全面禁煙となるので

このシェルターも撤去されるらしいです。






東門から外へ出てまっすぐ西大路通りまで歩くと

おしゃれでおいしそうなパン屋さん発見。

立命の近くにこんなお店もできてるんですね。






次男の下宿に向かうため、北野白梅町まで歩きました。

下宿は白梅町から京福電鉄、通称「嵐電(らんでん)」に乗っていきます。

そして白梅町は、私が大学時代に住んでいた街でもあります。





ここが北野白梅町。

って、おい、変わりすぎやろ!

イズミヤなんてなかったわ!

何この都会っぷり。

隣の嵐電の駅舎がかわいく見えてしまいます。





変わりついでに

かつての立命大生の御用達炉端居酒屋

「串八」さんでございます。

大きくなったでしょう。

私はここの「アイスクリームの天ぷら」が

たいそうお気に入りでした。

今はもうないでしょうね。

いつかまた訪れてみたいお店です。






約30年ぶりに乗る嵐電。

白梅町の駅、全然変わってなくて逆に驚きました。





修学旅行生の団体がやってきて

「『なんとか子の辻』って駅に行く電車に乗るんだよ」と

会話していました。

なんとか子…読めないよねえ、嵐電の駅名は。

正解は「かたびらのつじ」です。






やがて次男の下宿の最寄り駅に着いて下車。

昔と変わらず無人駅です。

さて、この駅はどこでしょう。

この駅界隈に住んでた立命大生は多かったです。

でもその人たちにも、もうわからないかもしれませんね。

 


本日のオープンカレッジ参加者に配布された

キャンバス地のエコバッグです。



大学のロゴマーク入り。

構内では様々な立命館グッズも売られていました。

買わなかったけど(笑)。

やっぱり私の通っていた大学とは

まったく別の大学のようです。

なんといっても

「就職に強い大学」になったことが

一番の変貌ではないでしょうか。













同志社大学からの手紙

2008-11-23 12:41:54 | 大学時代


きょう、長男の通う同志社大学から封書が届きました。

なんだろう?
成績表は夏に送ってきたし
後期の授業料は、10月に長男に「払ってこい」と渡したはず。
さては払わなかったか?
督促状?
開封するまでいろんな妄想が頭をよぎりました。

ドキドキしながら開封してみると
同志社創設者の新島襄の肖像画が載ったリーフレット。
その横にこんな文面が載っていました。


「その農夫は、帰りの汽車賃を
日本の未来に捧げた」


―――10月9日、米国ラットランドのグレース教会での集会。
   神学校を卒えたばかりの日本人が登壇した。

   「帰国したら、キリスト教の大学を起こしたい」
  
   その思いから青年は涙をこらえ献金を必死で訴えた。

   感激した会場は沸き立ち総額五千ドル近くの献金が集まった。
   そこへ一人の年老いた農夫が青年に駆け寄り
   そっと二ドルを手渡した。

   それは帰りの汽車賃など持ち金すべてである。

   それから一年

   二ドルに込められた祈りを「礎石」として
   新島襄の夢は京都で現実となった―――



ええ話や~!

ちょっと感動しましたね。
これはテレビ「1分間の深イイ話」に投稿してもいけるんじゃないかしら。
同志社設立の陰にはこんな話もあったんですね。
さすが教科書に載る人だけのことはあるわ。



これなんのお知らせなの?

封筒をごそごそしてみると
「寄付金の申し込みおよび払い込みについて」と書かれた払込用紙が。

ああ…
寄付ね。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

寄付金ってどんだけなんでしょうか。
なんですって。
「1口10万円」

ァ '`,、'`,、( '∀` ) '`,、'`,、 ハ~ァ

ごめんよ新島襄。
私は授業料を工面するだけで
帰りの汽車賃を捧げるに等しい状態なのですよ。

そういや
夫婦そろって母校である立命館大学にも
寄付してません。
ごめんね西園寺公望。

でも私が在学生の頃
私の親が立命館に寄付したことは
息子には内緒にしておこう。

心優しき同志社大生の保護者の方々
私のできない分
寄付をお願いします。

1口10万円


びっくりしたこと

2008-05-18 13:05:19 | 大学時代
何気なくネットサーフィンしていたら、聞いたことのある名前がヒットしました。
大学時代のサークルの先輩の名前です。





あの○○さんが…

某河合塾(←某の意味ないじゃん…)
お偉いさんなのぉ!!!


びっくりした。

河合塾の講師だという話は
ずいぶん前に伺ったことあるんですが
現役コースのチーフとはしりませんでした。
講演もなさってるらしい。

何の教科担当だったんだろう。
確か私と同じ学部だったような気がするので
そうすると社会だろうなあ。
違ってたらすみません。

何がびっくりしたって
河合塾と言えば
日本の三大予備校のひとつですよ。
特に私の住む地域では
河合塾は老舗中の老舗ですから。
(名古屋の千種が発祥ですもんね。私のとこからは電車1本で行けます)
そこでチーフなんて、すごくないですか?
あ-、でも、まったく違う地方に勤務されてるんで、関わることはないんですけどね。
うちの息子は代ゼミサテラインだったし(笑)。

私のいたサークルは映画系で
けっこうwebなんかでOBの名前を発見したりします。
20年近く前、某家電量販店のテレビCMに
同期だったNくんが出演していた時もびっくりしましたね~。
Nくんは国立大学受験に失敗してうちの大学に入った、いわゆる優秀な方だったのですが
内定していた就職先を蹴って東京の劇団に入団されました。
伝え聞いた話では、やはり劇団員というのは生活が苦しく、なんとかかんとか生きているとのことだったので、CMを見たときは「がんばってんじゃん」と嬉しかったですね。

考えたら、私たちの世代って、もう職場で重要なポストにいる年齢なんですよね。
自営やってると、どうもそういう感覚が欠如しちゃうんで、よけいに知人の出世ぶりに驚いてしまうのかもしれません。
もちろん、みなさん努力されたから、今の地位にいらっしゃるわけですが。

でも
毎月決まった収入があって
しかも昇給していくってのは
うらやましすぎる。

この歳になって後ろ向き発言してちゃいけませんね。

25年ぶりの立命館

2008-04-16 11:01:52 | 大学時代
先日、京都で下宿生活を始めたばかりの息子に会いました。
同志社大生なので、田辺という郊外に住んでいます。
たまには京都市内に行きたい、というリクエストに応えて近鉄電車で京都駅へ。
食事をしたあと、どこへ行こうかという話になり
(そういや、立命にも長いこと行ってないなあ)
と思ったので、なんと25年ぶりに母校・立命館大学を訪問することになりました。

とはいえ、25年のブランクは相当長く
まず京都駅からどの系統のバスに乗っていいのかまったく覚えていません。
バスターミナルをウロウロして息子に呆れられる始末。
おまけに京都駅から立命館までは結構距離があることも忘れており
日曜で大混雑の京都のバスで「あとどんだけ~」と息子に聞かれ
「えーと、いま七条だから…あ゛ ○●◇◆△※…予測不可能」
きわめつけは、降りるべき停留所を 乗り過ごしてしまった ことでしょうね。
なんで千本北大路まで行くかなぁ。
ここは仏教大学のテリトリーぢゃないか。


法学部棟の存心館。右の建物は創思館というそうです。
ダンスの練習をしてる人たちがいました。



そんなこんなで、何とか立命館の東門にたどり着きました。
くれたけ食堂とか、YORKとか、キッチンハウスとか
25年前と変わらない店が存在してることに驚いたり感激したり。
(でも、どの店も入ったことないんだよな…)
息子は初めて来た立命館のキャンパスに「これがリッツかー」と興味津々。
今の学生は立命館のことを「リッツ」と呼ぶんですね。
立命大生も立命のことを「リッツ」というのかしらん。
そう言えば、「りっくるん」なるマスコットキャラもいるらしいですね。
私らの時代とはまったく違う大学のようだわ。

息子にキャンパス内の学舎を知ったかぶりして案内しました。
「ここが学而館。お母さんの学部はここやったんやよ。きれいになってるなあ。なつかしい」
「ここは以学館。経済学部と経営学部の棟で…」
すると息子が鼻で笑って
「経済・経営なんてないやん」

え?

あ、そうか!
経済と経営は滋賀県のキャンパスに移転したんだ!
んじゃ以学館は何なんだ?
案内図を見てみると

「以学館(産業社会学部)」

産社かよっ!
んじゃ、産社の学部棟だった学而館は?

「学而館(大学院施設)」

あらら。
そーなの。
だから綺麗になってたのか?
つか、25年もたてばどの棟も化粧直しはしてるはずだわね。

オープンテラスがあったり
その向こうには超高偏差値の国際関係学部の棟がそびえ立ってたり
弁当売り場があったり
「なんかいいなあ。楽しそうじゃん」
と25年ぶりの母校をながめていました。

家に帰って、経済学部出身の夫に話すと
「以学館がタワケの産社に乗っ取られたのか!情けない!」
失礼ねえ。
今や産社は経済学部より偏差値高い難関学部なのよん。
産社の後輩たちよ、頑張ってくれてありがとぉ~。