ROCK & CINEMA DAYS

映画とROCKと猫が大好きです

パソコン壊れるの巻

2008-04-27 21:37:27 | パソコン
前から兆候はあったんですよ。
なんせ2001年に購入したんだからもう7年目。
画面はやったら暗いし、メモリ増設しても起動ちょー遅いし。

おとといの夜のことです。
高校入学を機にケータイを機種変更して
音楽を取り込めるようになった次男が
設定してしてとせがんだんで。

うちはauのケータイなんで
LISMOという楽曲取り込みシステムを使います。
私と長男はすでにLISMOユーザーで
しかも同じ機種だったんで
ソフトを共有してました。
しかし次男は違う機種なんで
新たにドライバをインストールしなければなりません。

インストール成功して、いざケータイをPCにつなぐと
なぜか認識してくれないPC。
何度トライしても「再起動が必要」との表示。
何回再起動させんだよ。起動ちょーちょー遅いPCなのに。

んで、何度目かの再起動の時
いきなり真っ暗に画面に白い文字
「NTLDR is missing
Press any key to start」

はあ?
何言い出すんやこいつ?
キー押せって…。

どのキー押しても文字が点滅するだけです。
やばい!
この雰囲気は、数年前ウインドウズMEが突然ぶっ壊れた時と同じだぁ!
こーいうときはセーフモードで起動するんだったっけ。
えーと、
電源入れて、富士通のロゴマークがでたらすかさずキーをたたき続ける…ありゃ

「NTLDR is missing」

やばすやばすやばす!
セーフモードでません!
お手上げです。
富士通に電話だ~!
って、もう夜の9時だわさ。
おまけに富士通の電話番号わからんときた。
なんでもネットで検索する癖がついてしまって、手元には資料なし。

血の気がひいた。

webがみられないのはまだしも
メールがチェックできないのはヤバイ。
メール注文があったりするからです。
それよりヤバイのは、もちろんデータ消失。

3ヶ月ほど前に、本体から
「ビビビビィ-」とすごい音がしたことがあったんです。
数日間続いて、その後静かになったんですが
ヤバス感があったので
外付けのHDDにバックアップとったんですよ。
丸一日かかりましたわ。
だから3ヶ月前までのデータはなんとか無事(…だと思いたい)。
しかしそれ以降のデータは○●◎◇◆□■

次の日、富士通へ電話。
セーフモードが不能なんで、リカバリしか手はないとのこと。
リカバリしたら購入時の状態に戻っちゃうよね。
んじゃ、パソコン買い替えた方が絶対いいし。

でも富士通のサポートの人って
すっごく親切だよぉ。
何度か電話したことあるけど
どの人もていねいだし、無知だからって馬鹿にしたりしないし。
別に富士通ほめてもお金もらえるわけじゃないけど、オススメです。
難点は、なかなかつながらないことと、ケータイから通話できないことだわね。
でもケータイにかけ直してくれたりするし、やっぱ親切。


あわてて新しいPCを買ってきました。やっぱ富士通。
今までのは昔のブラウン管テレビみたいなやつだったけど、
今度のはモニタ薄い!広い!画面きれい!
きれいすぎて(つか、今までのが汚すぎた)まぶしいです。
自分のHPもみてみたら、違う店のみたいでした。
すげえすげえすげえ。

でも最近メールくれた人たちのアドレスは消えちゃったし
XPで使ってたソフトが今度のVistaではうまくインストールできなかったり
とにかくすべてが最初からなので面倒です。

腹立つのは
壊れる前の日にダウンロードしたスピッツの曲まで消えたことです。
だってまだ数回しか聴いてないんですよっ。
たかが210円とはいえ、怒りがおさまりません。








クイーン・伝説のCMキング

2008-04-22 14:51:36 | ロック
「radio-i」という名古屋のFM局(かかるのはほぼ洋楽、しかも曲をかけっぱなし♪)を毎日聴いておりまして、今週は70-80年代ロック大特集という私にとっては感涙ものの企画がオンエアです。

で、一番多くテレビCMソングに起用されたミュージシャンorバンドは誰か、という話題が出ていました。
誰だかわかりますか?
なんと、クイーンなんですね。
言われてみれば、ああ、そうだと思うでしょ。
「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」とか「伝説のチャンピオン」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「イッツ・ア・ビューティフル・ディ」「ドント・ストップ・ミー・ナウ」…
あるわあるわ、まさにクイーンというよりCMキングって感じですね。

CMソングに起用されるってことは、万人に受入れられる曲ってことで、なんとなく市民権を得た的な雰囲気です。
私の息子たちが中学生の時も、運動会で披露する創作ダンスのBGMに毎年クイーンの曲が使用されてました。
しかし、デビュー当時のクイーンを聴いていた世代からすると、不思議な気がします。

私がクイーンを知ったのは、中学1年生の時。まさにデビューした1973年です。
当時「ポップス・イン・ピクチャー」という、日本でおそらく唯一の海外ミュージシャンPV専門番組がありました(ベストヒットUSAもまだなかったのよ)。
その中で、東芝EMIの人がデビューアルバム「Queen(邦題・戦慄の王女)」を見せてクイーンの紹介をしてたんですね。
司会の川村ひさしが「なんでクイーンなのに、戦慄の『王女』なんですかぁ」と突っ込んでたのを覚えてます。ほんとだよね。なんでだろ。

で、その時「ライアー」のPVの一部が流れてました。
なんか、こう、耽美というかグラムというかへヴィというか、「かっこいいなあ」と思いましたね。
ロジャーなんてマンガから抜け出てきた美少年っつー感じで、「この人、人気でるだろうな」と思わざるを得ない風貌。
次の日学校へ行ったら、もうアルバムを持ってきてる人がいてびっくり。
(校則がユルユルな中学だったんで、レコードを学校で貸し借りしたり見せびらかしたりするのは、ごく普通でした)
さっそく昼休みに音楽室のステレオで鑑賞会ですわ(笑)。
どこまでユルい学校なんだ…。

良かったですね~。
こういうアルバムって聴いたことなかったんで。
「こういう」ってのは、いわゆるナマの音を録音するんじゃなくて、機械を駆使して録音した、って意味です。
ギターの音をエコーかけて多重録音したり、ハープみたいな音に変えたり、「ライブではどうするんだろ」と思わせるアレンジっぷり。
1曲目の「Keep Yourself Alive」最高ですよ。今聴いてもテンションあがりますもん。
この曲とか、「Son & Daughter」「Great King Rat 」「Modern Times Rock 'n' Roll」などは、耽美なヘヴィメタって感じですね。
いかにもロックロックしてます。この時のクイーンからは、現在の「CMキング」状態はまったく想像できません。

3枚目の「シアー・ハート・アタック」からシングルカットされた「キラー・クイーン」が大ヒットし、クイーンはその華麗な風貌も合わさって女の子に大人気。
ロジャーがいいだのブライアンがいいだのキャーキャー大騒ぎのさなかに、出ました。
クイーン暴露記事。



ロックマガジン第3号(1976年8月)


京阪神では伝説のロック雑誌となっている、70年代のロック評論誌「ロックマガジン」
に、クイーンのグルーピーたちのインタビューが載っちゃったんですね。
(グルーピーをご存じない方のために解説すると、まあ、いわゆる深夜の接待をする女の子のことですね)
今じゃバンドにグルーピーがつくのはフツーじゃん、って風潮がありますが、当時は「なんですってぇ~!いやらしい!」って時代だったので、全国の夢見るクイーンファンに相当な打撃を与えました。
真偽のほどはわかりませんが、セキララな内容だったので、友達と「…すげえすげえすげえ」と回し読みしました。
写真は私がいまだに持ってるロックマガジンです。売ればいくらになるだろう?

私がクイーンを聴いてたのは「シアー・ハート・アタック」まででした。
4枚目の「オペラ座の夜」以降、だんだんロック色が薄れポップになっていったので、私の好みではなくなっていったのですよ。
ロック色が薄れていったからこそ、現在のCMキングの座にいるんでしょうけどね。
ま、好みの問題ということで。

…と書いている今、radio-iで「オペラ座の夜」がオンエアされてるじゃありませんか。タイムリーな。
この歌、長いんだよね。
私は長い歌とか長い映画とか好きじゃないんだよね…。
ま、好みの問題と(以下略)。






25年ぶりの立命館

2008-04-16 11:01:52 | 大学時代
先日、京都で下宿生活を始めたばかりの息子に会いました。
同志社大生なので、田辺という郊外に住んでいます。
たまには京都市内に行きたい、というリクエストに応えて近鉄電車で京都駅へ。
食事をしたあと、どこへ行こうかという話になり
(そういや、立命にも長いこと行ってないなあ)
と思ったので、なんと25年ぶりに母校・立命館大学を訪問することになりました。

とはいえ、25年のブランクは相当長く
まず京都駅からどの系統のバスに乗っていいのかまったく覚えていません。
バスターミナルをウロウロして息子に呆れられる始末。
おまけに京都駅から立命館までは結構距離があることも忘れており
日曜で大混雑の京都のバスで「あとどんだけ~」と息子に聞かれ
「えーと、いま七条だから…あ゛ ○●◇◆△※…予測不可能」
きわめつけは、降りるべき停留所を 乗り過ごしてしまった ことでしょうね。
なんで千本北大路まで行くかなぁ。
ここは仏教大学のテリトリーぢゃないか。


法学部棟の存心館。右の建物は創思館というそうです。
ダンスの練習をしてる人たちがいました。



そんなこんなで、何とか立命館の東門にたどり着きました。
くれたけ食堂とか、YORKとか、キッチンハウスとか
25年前と変わらない店が存在してることに驚いたり感激したり。
(でも、どの店も入ったことないんだよな…)
息子は初めて来た立命館のキャンパスに「これがリッツかー」と興味津々。
今の学生は立命館のことを「リッツ」と呼ぶんですね。
立命大生も立命のことを「リッツ」というのかしらん。
そう言えば、「りっくるん」なるマスコットキャラもいるらしいですね。
私らの時代とはまったく違う大学のようだわ。

息子にキャンパス内の学舎を知ったかぶりして案内しました。
「ここが学而館。お母さんの学部はここやったんやよ。きれいになってるなあ。なつかしい」
「ここは以学館。経済学部と経営学部の棟で…」
すると息子が鼻で笑って
「経済・経営なんてないやん」

え?

あ、そうか!
経済と経営は滋賀県のキャンパスに移転したんだ!
んじゃ以学館は何なんだ?
案内図を見てみると

「以学館(産業社会学部)」

産社かよっ!
んじゃ、産社の学部棟だった学而館は?

「学而館(大学院施設)」

あらら。
そーなの。
だから綺麗になってたのか?
つか、25年もたてばどの棟も化粧直しはしてるはずだわね。

オープンテラスがあったり
その向こうには超高偏差値の国際関係学部の棟がそびえ立ってたり
弁当売り場があったり
「なんかいいなあ。楽しそうじゃん」
と25年ぶりの母校をながめていました。

家に帰って、経済学部出身の夫に話すと
「以学館がタワケの産社に乗っ取られたのか!情けない!」
失礼ねえ。
今や産社は経済学部より偏差値高い難関学部なのよん。
産社の後輩たちよ、頑張ってくれてありがとぉ~。







いか焼き食いてぇ~!

2008-04-11 13:15:58 | 大阪
ゆうべ「秘密のケンミンショーSP」をみてたら、大阪を代表する粉モンとして、お好み焼き・たこ焼きの次にくるのが「いか焼き」と紹介されてました。
しかも全国区となっているお好み焼き・たこ焼きとは違い、いか焼きは大阪でしか売られていないとのこと。

そーなんだよな。

一般に「いか焼き」っつーと、大阪以外の人は「いかの姿焼き」をイメージするらしいですね。
テレビでも言ってましたが、イカに醤油を塗りながら焼くやつ。
あれはあれで美味しいけど、やっぱ大阪人にとって「いか焼き」とは
「小麦粉とダシと卵を混ぜた生地にイカの下足を混ぜて鉄板に流して上からガッシャンとプレス」
であります。

大阪では祭りの屋台に必ずあるし、商店街の中にもテイクアウトの店があります。
子供のころ、祭りや初詣に行くと、必ず買ってもらってました。
いか焼きの下半分に紙を巻いてもらい、そこを持って食べるんです。
今は割り箸がついてくるらしいですね。
却って食べにくいと思うのは私だけ?

大学時代は京都に住んでいたのですが、京都の人が「いか焼き」を知らないことにかなり驚きました。
ローカルな食べ物なんだろうなと薄々感じてはいたのですが、京都は大阪のお隣。当然ある物だと信じて疑いませんでした。
京都でも「いか焼き」と言うと、いわゆる「姿焼き」のことらしく、大阪のいか焼きの説明をすると「想像できない」と言われてしまいましたよ。
同じく隣の神戸とか奈良とか和歌山ではどうなんでしょうね。

同じくローカルなものとして「冷やしあめ」があります。
ずっと前のケンミンショーでもとりあげられたそうです。見てないけど。
「冷やしあめ」って、飴じゃないんですよ~。
ジンジャージュースとでも言いましょうか、生姜と甘味料を入れたドリンクです。
大阪の夏の風物詩でした。

私が幼い頃だからもう40年も前の話ですけど、当時はまだ飲料の自販機なんか普及してなくて
(缶飲料もプルトップじゃなく、2カ所に穴をあけなきゃいけなかった)
夏の暑い日なんかは、今で言うジューススタンドのような店で「冷やしあめ」を買って飲むんです。
コップは使い捨ての紙コップではなく、ガラスのコップ。もちろん返すんですよ。
大小があって、一番古い記憶では、大が10円・小が5円でした。
そのあと、大が15円・小が10円と値上がり、「10円もすんの?高っ」と思ったもんです。
暑い日は行列ができて、なかなか買えませんでした。
今のように多種多様な飲料がある時代ではなかったので、子供にとってはおいしいはずないと思われる生姜味でも、すごくおいしかった。キンキンに冷えててね。

やがて時代の波とともに「冷やしあめ」の店は消えていき、記憶の中の飲み物となっていきました。
それがねえ、10年くらい前、今住んでいる地元のスーパーで、紙パックの冷やしあめがワゴンに山積みされてたんですよ。
もちろんここは大阪ではないので、誰も手に取ることもしないわけですが、もう私はなつかしくてなつかしくて、1本だけ買って帰りました。
飲んでみると、なんだか記憶の味とはちょっと違うみたいだったけど、でもやっぱりなつかしい生姜味でした。
ところが子供たちの反応は
「まずっ!」
「飲めん!」
で終わりでした。
そりゃそうだろうなあと思いつつ、寂しかったなぁ。

そういや、生姜のてんぷらがあるのも大阪だけですね。
大阪って生姜が好きな土地柄なのかしらん。