ROCK & CINEMA DAYS

映画とROCKと猫が大好きです

これ誰だかわかりますか?22年前の本から。

2010-10-29 23:57:00 | テレビ・ラジオ
私の本棚にあった22年前の本。
ぱらぱらとめくっていたら、この写真を発見。
誰だかわかりますか?



80年代アイドル?
今も活躍してる人?
誰だろう…あれ?よく見ると面影が。


ひょっとして…。


そうです。
なんと


久本雅美


マチャミであります。


22年前だから30歳かな。
それにしちゃ若くてかわいいじゃないですか。
「デビューしたてのアイドル」って紹介されても通じちゃうと思います。


今よりかなりふっくらしてますね。
まあ、今が細すぎなんですけど。
この頃でも「細いなあ」と思いましたもん。
マチャミがこれだけかわいかったら
妹の久本朋子なんか、超かわいかっただろうなと想像できます。


この写真が掲載されてた本は
宝島社の「VOW MEGA-MIX!!?」。
「VOW」とは、雑誌「宝島」の中の1コーナーで
「VOICE OF WONDERLAND」の略。
巷にある変なもの・面白いものを読者から募集して
その投稿に編集者がコメントをつけるという
いわゆる「ナニコレ珍八景」とかの元祖ですね。


その「VOW」のコーナーと
有名・無名の方々のインタビューで構成されたのが
「VOW MEGA-MIX!!?」。



表紙は野沢直子ですよ。
この頃は野沢全盛期。
「笑っていいとも」「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!」←逸見さんなつかしい…
などたくさんのバラエティ番組のレギュラーでした。
土曜の深夜にやってた伝説の番組「夢で会えたら」が好きだったなあ。
ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子という
今では考えられないコアな組み合わせ。
全員20代で、はっちゃけてましたねえ。


はっちゃけてたと言えば
この時の久本雅美のインタビューも
若さ全開で、はっちゃけてました。


引っ越したという話で
「それがよ!6畳と4畳半と3畳キッチンでね、オフロトイレ別々の7万5千円!いいでしょ!」
「それで出かける時、玄関のカギしめてふっと左を見ると、高層ビルよ!西新宿の」


もう都会で働く女?と訊かれて
「そー。そいで完全に天狗になっちゃって、机と整理ダンス買っちゃった!
みんなにバカだといわれたんだけど、なあに見ていなさい、一生もんだって!」


今ドラマ出てるんでしょう?との問いには
「あ、ドラマ?まあ女優かましてるって言うんですか」
「NHKっておもしろいところだよ。食堂なんかさ、日光江戸村よ!」


「森川由加里に似てるって言われるんだ最近。
田舎行った時なんて、キョンキョンって言われたもん。
ケーブルカー乗ってて、おっ小泉今日子だとかヒソヒソ言われてんのぉ(ニヘラ)」


若い!若いなあ久本雅美。
劇団員だから貧乏だと思われて…なんて発言もあったりして
今の仕事っぷり稼ぎっぷりは考えられないですが
あの久本雅美にもこういう下積み時代があったんですね。
机と整理ダンス買うのが「天狗になっちゃって」なんですもん。
泣ける話ではないですか…いや、私は泣かんけどさ。


森川由加里に似てたのは頷けますね。
キョンキョンは…うーん…まあ…実物は似てるのかな…。


実は私が久本雅美を初めて知ったのが、この本だったんです。
写真を見て「アイドル歌手?」と思ったんですが
記事を読んで「えっ、WAHAHAの人なの!」とびっくり。
しかもアイドルみたいなルックスとは裏腹なトーク。
このギャップで、まだ無名だった彼女のことをしっかり覚えてしまいました。


このあと、野沢直子が突然芸能界から姿を消し
キャラ的に似ていた久本雅美がそのポジションに入った、という印象。
野沢直子は毒舌キャラでしたが、久本雅美は自虐キャラ。
毒を吐かないところがお茶の間に広く受け入れられたのかな、と
一視聴者として感じています。
私は2人とも好きですけどね。


ところでこの「VOW MEGA-MIX!!?」。
当時は爆笑したネタでも
今読んでみると、「……」となってしまうのがほとんどで
22年の月日を感じてしまいます。


その中で
「高校の配布物」の投稿をご紹介します。
服装などから見た不良化のきざし、です。
拡大していただくとよく見えます。




「ドライヤーで自然に後ろへ流す」「ストレートパーマ」って
別にいいじゃない…。
このスカート丈…つぶしたカバン…。
いま高校生の次男が横で読んで爆笑してます。






ネットラジオへ移行してみた

2010-10-14 19:32:00 | テレビ・ラジオ
9月30日に、洋楽を思いきり流してくれていた名古屋のFM
RADIO-i が閉局して以来
家の中でも車の中でも「静かなる生活」。
10年間の習慣がぷっつりと消えてしまい
文字通り「RADIO-i 難民」生活になってしまいました。


他のFMを聴こうとしても
なぜか私の家は

民放FMが受信できない のです。

隣の市のコミュニティFMすら受信できません。隣なのに。


だったらNHK-FMを聴けば?ということになるのですが
NHKは、ほら、「皆様のNHK」ですから
老若男女、世代を問わずに聴いて頂ける、をモットーにされてるじゃないですか。
だから、要するに
私の好きな洋楽、特に激しい系が
あんまりかからないんですよ。
これはNHKの性質上、仕方のないことなんですね。


テレビのアナログアンテナにラジオのアンテナを接続すると
FMが受信できるそうなんですが
まあ、そこまでするのもめんどくさいし
テレビはデジタルに移行するしで
もうFMはあきらめました。



この機会に、ネットラジオへ移行することにしました。


このサイトは、世界中の音楽ラジオが選べるんですよ。
もとRADIO-i のDJだったこころちゃんが、ブログで紹介されてました。
選択肢が多すぎて迷ってしまいますが
てっとり早くお目当てのジャンルを探したい方は
画面左側の国名が並んだところから


「Broadband Radio」


という箇所をクリックしてください。
そうすると、70年代とかヒップホップとかダンスミュージックとか
ジャンル別に選べますので
聴きたいジャンルをクリック。


そしたら、希望のジャンルをオンエアしている局名が
国名問わずズラ~っと出てきます。
この中で、どれがお好みか探し出してください。
お宝探しみたいで楽しいですよ。


そんな中で、私がブックマークに追加した局は ここ!
ドイツのロック専門ラジオです。
ドイツと言っても、流している曲は、アメリカ・イギリスのヒット曲ばかり。





私の大好きな、70年代~現代のロックが
ノンストップで流れてます。
しかもオンエア中の曲名が表示されて
バンドの画像まで出してくれるという親切さ。
ちなみに↑は、コールドプレイです。



さらにここは
画面左側にチャンネルが4つあって
どのチャンネルで何の曲がオンエアされてるか
一目でわかるようになってるんですよ。






なんと便利なサイトでありましょうか。
だけどPCの前に座ってると
目移り(耳移り?)してしまって困りそう。
離れて聴いてたほうがいいみたいです。




朝、いつもキッチンのラジオから
RADIO-i の洋楽を流していた10年間。
閉局以来、し~んとした朝を迎えていました。
しかし、このサイトを知って
PCとキッチンのラジオを
AVケーブルで繋ぎました。





サブで使用しているPCです。
既製品ではなく自作なのでデカイですね。
容量もむちゃデカイですよ。
何テラだったっけ?
メインで使っているPCは富士通の既製品です。
サブの反対側に置いてるんですが
メインの方が容量小さいって…なんじゃそりゃ(笑)。
このサブPCにケーブルをつけました。
キッチンはこの部屋の隣です。





キッチンに置いているラジオにケーブルをつなぎました、の画像。
これで朝からロック三昧。
にぎやかな朝が戻ってきたのだっ。
ディープパープルやニルヴァーナ聴きながら
息子のお弁当づくり。




携帯オーディオも便利だけど
何の曲が流れるのかわかってしまうので
やっぱりラジオがいいんですよね。
突然好きな曲が流れたり
知らない曲が流れて「これいい!何て曲だろう?」と
発見できる楽しみがあって。


RADIO-i 閉局のショックから
だんだん立ち直りつつあります。


ただ、朝起きて
いちいちPC立ち上げるまで音楽聴けないのが
唯一の欠点かな。


こころちゃん、すてきなサイト
教えてくれてありがとう。

史上初。放送停波の瞬間。

2010-10-04 09:27:00 | テレビ・ラジオ
以前からブログに書いていたラジオ局
RADIO-i ・愛知国際放送が
9月30日で閉局してしまいました。


最終日となるこの日は
午前7時から深夜0時までの17時間
レギュラーDJたちが1時間づつ交代で登場。
リスナーからのメッセージとリクエストを流し続けました。


そのスタジオ風景は
ライブカメラでネット配信され
普段見ることのなかったDJたちの様子や
スタジオの雰囲気を
ナマで知ることができました。


私も2台のPCを立ち上げ
1台はライブ映像専用にして
もう1台ではツイッターでのDJやスタッフ、リスナーのつぶやきをみるという
贅沢な?使い方をしていました。
さらにラジオをMD録音していたので
1日中仕事になりませんでした。
まさにRADIO-i デーでした。


なんといってもうれしかったのは
一番最初に流れたリクエスト曲とメッセージが

私のだった

んですよ。


大好きなDJ、クリス・グレンさんに読んでいただいて、もうびっくり。
イントロ流れた瞬間に
「やったー!かかった!記念すべき最初の曲になったぜ!」
と思ったら、私の名前とメッセージが読まれて、うれしさ倍増。
クリスさん、佐野瑛厘さん、ありがとう。


ちなみにリクエスト曲は
クイーン「RADIO GA GA」でした。
ご存知の方も多いと思いますが
この曲は、
今の若い奴らはラジオなんか聴かないけれど
ラジオは僕らの友達だった。
君を愛してる人はたくさんいるんだよ、という
ラジオ賛歌であり、ヴィジュアル重視のMTVを批判した歌でもあります。
歌詞の意味は↓をご覧ください。
http://rock.lovesick.jp/english/queen.html


17時間の放送中に、リスナーからのリクエストを
メールとファックスで受け付けてましたが
スタジオ映像を見ると、そりゃもうすごい紙の山!
曲をオンエアしている間に
次々とスタッフがDJへメッセージの束を渡しにやってきます。


そのメッセージの束に目を通しながら
ペンを持ってチェックしていくDJ。
流れている曲が終わると
すぐさまマイクに向かってしゃべり出します。
こりゃ大変だなあ。


どのDJも
ひとりでも多くの名前を読んで
1曲でも多くの曲をオンエアするぞー!という意気込みでしゃべり続けていて
リスナーとしては、これ以上ない感動です。


「昼間からメタリカをかけてくれてたのは、RADIO-i だけです」
「他の局はDJのトークがうるさいし、やたらCMが多い。RADIO-i は全く違ってました」
「明日から何聴けばいいんですか~」
リスナーたちの閉局を惜しむ声・声・声。
メッセージを読むDJの表情も、泣き笑いです。


クリス・グレンさんが
「大人のための放送局がなくなる」とおっしゃってました。
RADIO-i は、コミュニティFMを除けば
テレビ・ラジオを含めて
日本初の閉局となった放送局です。


放送免許を返上するということがどういうことなのか
考えれば考えるほど悲くなります。


そしてラストの1時間。
夜11時からは、開局と同時にRADIO-i のDJとなったRADIO-i の顔
デビッド・ヤナセが中心となって
この日出演したすべてのDJがトークに加わりました。


みんなとびきりの笑顔で
DJらしく流れるようなおしゃべりで
にぎやかな最後のトークショー。


そして
停波前の最後のオンエア曲は
アバ「THANK YOU FOR THE MUSIC」。


かけたくない曲はかけない。
自分が好きで
リスナーが聴きたい、聴かせたい曲をかけることにこだわったRADIO-i。
本当に音楽を愛する人たちの放送局でした。


曲が終わると
午前0時。
RADIO-i  閉局。


停波の時に流れたジングル(放送終了時に流れるあいさつ)が
YouTube にUPされてました。
もちろん停波のジングルも史上初です。
これが流れた瞬間に立ち会えたことを
私は忘れないでしょう。


最後のジングルです。
読み上げているのは
RADIO-i のサムライ、伊藤放送部長さん。
本当にありがとうございました、のあとの
無音が切なすぎますね…  

</object>


停波後のスタジオの様子が
クリス・グレンさんのブログに載ってます。
http://ameblo.jp/chrisglenn/entry-10664612597.html#main


ありがとうRADIO-i。
ただいま私はRADIO-i 難民です。


さよならRADIO-i

2010-09-20 21:32:00 | テレビ・ラジオ
愛知国際放送 RADIO-iは
2010年9月30日木曜日、深夜0時をもって、
放送サービスおよびホームページを終了させていただきます。
ながらくのご声援ありがとうございました。

(RADIO-i ホームページより)


2000年に開局した名古屋のFM局、RADIO-i 。
ちょうど10周年の今年、閉局となってしまいました。
コミュニティFM以外の地上波放送局で放送終了を決定した放送局は
テレビ・ラジオ含めて初めてだそうです。


私の住んでいる家は
FMがまったく受信できませんでした。
地形的なものや近隣の建物の影響もあるらしいですが
大阪で複数のFM放送を聴いて育った私にとっては
FMが聴けない=洋楽が聴けないということであり
大変ショックを受けたものでした。
当時はネットも普及していませんでしたから。


10年以上たった時
偶然入れたラジオのスイッチ。
スピーカーからクリアな音で洋楽が流れてきました。


「え!FMが入ってる!」


それが開局間もないRADIO-i でした。
おそらく新聞などで開局のニュースが報道されてたんでしょうけど
FMがまったく受信できない家に住んでいる私には関係のない話だと思って無視してたんでしょうね。
全然知りませんでした。


驚きと喜びで聴いていると
DJが英語でしゃべっています。
途中で入るニュースも英語。
流れる音楽は、最新のヒット曲から70年代・80年代の懐かしいロックまで
洋楽オンリー。


わっ、まるでFEN(現AFN)みたい!
こんな局ができたんだ!
しかもきれいに入るし!


送信局が比較的近場の山頂だったため
私の家でも受信できたんです。
FMが入ったことと、それが洋楽オンリーの私好みだったこともあり
うれしくなった私は
それから毎日RADIO-i を聴くようになりました。


朝起きると、まずラジオのスイッチを入れるのがここ10年の習慣でした。
テレビと違って画面を見ながら動きが止まる、ということもないので
子供たちの朝の行動もスピーディに。
新旧とりまぜたポップスやロックが途切れることなく流れ
騒がしくなく控えめなDJの曲紹介と情報。
こんな素敵なラジオ局は初めてでした。


だいたい朝の6時から
ローリングストーンズの「Jumpin' Jack Flash」や
ステッペンウルフの「Born To Be Wild」を流してくれる放送局が
あるでしょうか?


DJはすべてバイリンガルもしくはネイティブスピーカー。
東海地区に住んでいる外国人の方々にも楽しんでもらえるようにと
英語と日本語の両方で解説やニュース・交通情報を知らせてくれます。


好きなDJや番組はたくさんあって
なくなった番組、去っていったDJもたくさんいました。


中でも私の好きなDJは
クリス・グレン!
オーストラリア出身で、テレビやCMのナレーションでも活躍中の素敵な方です。
ツイッターでもフォローさせてもらってます。
声がむっちゃ渋いんですよ。
しかも日本語めちゃめちゃ上手い。
甲冑マニアでもあり、自分で作られるらしいですよ。甲冑。


去年までクリスがやってた午後の番組「PM-i 」の中で
「Today's Showtime」という5分ぐらいのコントのコーナーがありまして
クリスと男性(鉄崎幹人?)や女性がコントやってたんですが
これが面白くってねえ。
女性なんかタカビーな物言いでさらっと下ネタ言うし
毎日楽しみにしてました。


おととしの1月1日だったか
RADIO-i が1日まるまるクリスのコントを流し続けてたことがありまして
その時、長男と車に乗りながら聴いてたんですが
「RADIO-i って思い切ったことやるねえ」と
話してたことを覚えています。


あと、ココロちゃん!
関西出身だけど関西弁が全然出ない、きれいな声のDJです。
ココロちゃんはとにかくしゃべるのが上手。さすがプロ。
絶対に噛まないし
リスナーを必ずたてる。
リスナーからのメッセージに対し、けなすことは一切しない。
しゃべりの間の取り方もバツグン。
しかも英語ペラペラだしなあ。
他のDJたちともフレンドリーにしゃべってるし。
あの軽快なおしゃべりが聴けなくなるのはとても寂しいです。


今年から番組が大改編されて
MONORALのベーシスト、アリ・モリズミが金曜の午後
「PREMIUM FRIDAY」という5時間番組を担当。
彼は若いけれど、昔のロックにとても詳しいです。
毎週ビッグアーティストの特集をしていて
この間は後期ビートルズの特集だったんですが


なんと「Long Long Long」がかかったんですよ!
今までビートルズ特集でこの曲をオンエアした番組があるでしょうか。
このツウな選曲。
運転中だったんですが、「おおーっ!」と唸ってしまいました。
アリくん、素晴らしい!
しかも先週のストーンズ特集の時は私のメールを読んでくれたし
おまけに「YUKAさん、ありがとうございます」と言ってくれたし
今週で終わるのが悲しすぎます。


軽やかなお姉さまトークの佐野瑛厘さん
日本人だと信じて疑わなかったルーシー・ケント
そして土曜の夜は岡村有里子さんの「TRAVELLIN' ROCK」。


長男が高校生の頃
土曜の夜8時になると
「『めちゃイケ』観るからラジオ切ってくれん?」と言うのに対し
「何ゆーとんの。土曜の夜はTRAVELLIN' ROCKを聴くとわが家では決まっとる」
と言い返していました。


70年代から80年代のロックを
歴史の授業のように聴かせてくれたTRAVELLIN' ROCK。
長男が受験生の時は
塾へ迎えに行く道のりのBGMでした。


今年は10周年記念の特番が組まれて
4月には佐野瑛厘さんが「R35電リク」という
35歳以上限定の電話リクエスト番組をされてました。
私もリクエストしてかけてもらえました!
(ちなみにモンキーズの「すてきなバレリ」ですよん。知ってますか?)


その番組でリクエストがかかったリスナーには
ステッカーとボールペンがもらえました。





↑これがそのステッカーです。
今となっては、もったいなくて貼れません…。


今年の6月に
突然閉局のニュースが流れ
(DJたちも知らされてなかったそうですね)
ツイッターでも驚きと落胆の声が次々とアップされました。


ニュースが流れた次の日
午後の番組「MUSIC SURF」で
DJのデヴィッド・ヤナセが
リスナーからの驚きのメールを読み上げ
気丈に振る舞っていましたが
泣いているように聞こえたのは私だけでしょうか。


伝説のDJ
カマサミ・コングを今年から起用しても
放送中止は免れなかったんですね。
残念という以外に言葉が見つかりません。


10周年おめでとう&さよならRADIO-i。


しかし
今月になってから毎日流れている
「RADIO-i 。9月30日の放送終了まであと○○日」ってカウントダウン。
むちゃ悲しくなるんですけど。
できればやめていただきたい。


最後に
タイムテーブルの画像を載せて終わりたいと思います。
どーもどーもどーも!




世界初のリモコンテレビ・サンヨー「ズバコン」

2010-04-13 22:04:00 | テレビ・ラジオ
昭和30年代、TBSで「サンヨーテレビ劇場」という単発ドラマ番組をやってまして
名作「私は貝になりたい」を放映したことでも有名なんですが
この番組のことを検索してたら
「サンヨー」でひっかかったのが

「サンヨーズバコン」

テレビで松たか子が子供の頃自宅にあったという話をしていたらしいのですが

私の実家にもあったよ。
世界初のリモコンテレビ
「サンヨーズバコン」。
なつかしいっ!
っつっても、「なんじゃそりゃ?」って思う年代の人が圧倒的だろうな。

私の実家がテレビを初めて購入したのは
今の天皇・皇后両陛下のご成婚の時らしいです。
ご成婚パレードを見るために
日本の家庭のテレビ普及率がぐわんっ!と上昇したのです。
その中に私んちも入ってたのですよ。
でもまだ私は生まれてなかったんですけどね。←ここ重要

もちろん当時は白黒テレビ。
ダイヤル式のチャンネルをガチャガチャと回すやつです。
私が小学生の時にカラー放送が始まり
カラーの番組は、画面の右上に「カラー」という文字が出てました。
現在、アナログ放送だと画面に「アナログ」と表示されますよね。
あんな感じです。

やがてまわりの家が1軒、また1軒とカラーテレビに買い替えていきました。
私は自宅の白黒画面で女性歌手の豪華なドレスを見て
「何色なんだろう。赤かな青かな。なんだかきれいっぽい」
と想像する日々でした。

そんな日々が終わりを告げたのは
忘れもしません。小学5年生の時です。
祖母が「きょう、電器屋さんが新しいテレビを持ってくるよ」と言いました。
「え!カラーテレビ?買ったの?」
「ううん、電器屋さんが、こんど新製品が出るから、1ヶ月モニターとして使ってみてって言ってくれてね」

新製品。どんなテレビだろう
ワクワクしながら待っていると
やってきました新製品。
電器屋さんがセットしてくれたカラーテレビは、脚つき(笑)の立派なやつです。

「で、これなんですけど」と、電器屋さんが説明を始めました。
手には赤い小型の懐中電灯のようなもの。
これがなんと、世界初のテレビのリモコン「ズバコン」だったのですよ
あ、「ズバコン」ってね、「ズバリコントロール」の略なんですよ。

「こっちのボタンを押すと、電源が入ります」
電器屋さんがズバコンをテレビに向け、水色のボタンを押すと
ブチッ。テレビが点いた。

おおおおおおおおお~っ!

「こっちのボタンを押すとチャンネルが回ります」
電器屋さんが白いボタンを押すと
ダイヤル式のチャンネルが「ガチャッ」と回った。

ひえええええええええ~!

離れたところからテレビが操作できる!
今じゃ当たり前で何が「おおおおおおおおお~っ!」で「ひえええええええええ~!」なのか
理解してもらえないでしょうが
当時はSFの世界でしかありえないことでした。
ましてまだCMもされてない、一般発売前でしたから
なにこれナニコレなにこれ~!と、私の脳内はお祭り状態。

電器屋さんが帰ってからは、私のオモチャとなったズバコン。
もうね、チャンネル変えまくりですわ。
ガチャガチャガチャ、うるさいのなんの。
そのうえ、待ちに待ったカラーテレビですから
「うわ~、カラーやカラー!色ついてる!(当たり前やがな…)」
ひとりで大騒ぎ。
まったく、リアル3丁目の夕日です。

次の日は学校に行って自慢しまくり。
「テレビのチャンネルが離れたとこから回せるんやで!世界初やで!」
友達を家に呼んで、みんなでズバコン祭りです。
「すご~い!」「うわ~、かっこいい!」「宇宙家族ロビンソンみたい!」
ずっとガチャガチャ回しっぱなしで、さぞうるさかったことでしょう。
「おもちゃと違うで!」父に叱られてしょぼん。

だけど1ヶ月の期間限定モニター。
1ヶ月後には電器屋さんが引き取りにきてズバコンは姿を消し
もとの白黒テレビが帰ってきました。
しかしカラーでしかもリモコンのテレビに慣れた1ヶ月。
私よりも父が耐えきれなかったようで
なんとズバコンお買いあげ。
電器屋さんの作戦にはまりましたね。

さて、ここでお気づきでしょう。
ズバコンで「チャンネルをかえる」のではなく「チャンネルを回す」と表現していることに。
そうです。
チャンネルはダイヤル式。
ズバコンのボタンを押すと、チャンネルが「ガチャガチャ」と回るのです。
すなわちそれは
一定方向にしか回らない
ということを意味しています。

わかりやすく言いますと
たとえば4チャンネルをみていて、6チャンネルにかえたいと思ったら
ズバコンのボタンを押すと
ダイヤルは「ガチャガチャ」と2つ分回ります。

ところが
4チャンネルをみていて、2チャンネルにかえたいと思った時。
ダイヤルは一定方向にしか回らないので
4チャンネルから約1周まわさなければ2チャンネルまで行けません。

「ガチャッガチャッ」で6チャンネル。
続けて「ガチャッガチャッ」で8チャンネル。
また「ガチャッガチャッ」で10チャンネル。
しつこく「ガチャッガチャッ」で12チャンネル。
そしてやっと「ガチャッガチャッ」で2チャンネル到達。

これ、時間もかかるし、とにかく「ガチャッガチャッ」の音がうるさい!
手だと、うるさくないように加減して回すからいいけど
なんせ相手は機械。マシーンなのです。
加減もへったくれもない。ファジー(死語)なんてのが開発されるもっと前の話。
実に機械的に「ガチャッガチャッ」と回してくれます。
いや、文章で表現するなら

ガチャッガチャッガチャッガチャッ

このくらいうるさい。

だいたい、私の実家は大邸宅でもなんでもなく
テレビが鎮座していた居間などは
ひとり寝転がれば、隣の部屋へ移動できなくなるほどの狭いスペースだったのです。
チャンネルだって、ちょっと手をのばせば届いてしまいます。

こんな狭い部屋に、チャンネルを替えるのにダイヤル1周させてしまうリモコンが
果たして必要なのだろうか。

父は買う前に気づくべきだったのです。
そのためにモニター期間があったのだから。

さて、その後の我が家のズバコンですが。

同梱されていたズバコン用のスタンドに入れられて
タンスの上に置かれたまま
一生を終えました。

テレビはそれから12年間、がんばってくれました。
9年目ぐらいから、時々画面が緑っぽくなり
上面をバシバシ叩くと戻る、という状態でしたが。

世界初のリモコンテレビのお話でした。