鹿島アントラーズの至宝
小笠原満男選手が2018.12.28日に引退会見を行いました。
以下:コピペ
季限りで現役を引退したJ1鹿島の元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、茨城・カシマスタジアムで会見に臨み、後進に道を譲った理由を明かした。ときには涙ぐみ、ときには晴れやかな笑顔を見せた闘将。今後は未定だが、鹿島への恩返しを固く誓った。
慣れ親しんだスタジアム。いつもの歓声は聞こえてこない。会見場の扉を開いた小笠原は、深々と一礼。神妙な面持ちで壇上に上がった。
「出る機会が少なくなり、チームを勝たせることができなくなってきたのが最大の理由」
引退発表から一夜明けての会見。勝利に飢えた修羅のごとき表情から一変、穏やかな笑みをたたえた。
1日のJ1最終節・鳥栖戦の試合後。家族や同僚にも明かさず、クラブ幹部に「今季限りで引退します」と伝えた。恩師・ジーコ氏には22日のクラブW杯3位決定戦前に報告。「(君が)ここまでやってきたこと、最後までやり遂げたことに拍手を送りたい」。贈られた言葉を振り返り、目頭を熱くした。
海外の1年間を除けば鹿島一筋、21年間の現役生活。GK曽ケ端ら同期に負けたくない一心だったという。ファウルもいとわない泥くさいプレーに、一瞬の隙を突くスルーパス。クラブの20冠のうち17のタイトルに関わったが、「失ったタイトルは何十個もある。その悔しさが大きい」。
一番の思い出も、PK戦でGKに止められた1999年ナビスコ杯(現ルヴァン杯)決勝の柏戦だといい、「自分のミスで負けた。感触は残っている」。過去の栄光に浸ることはなかった。
「鹿島にここまで育ててもらったので恩返ししたい。まず、いろんなものを見て勉強したい」
今後は南米や欧州のクラブを視察し、幅広い見地から鹿島の強化に携わる考え。故郷の岩手県も甚大な被害を受けた東日本大震災の復興支援も続ける。「タイトルを取り続けるチームであってほしい」と後輩にエールを送った。勝負の鬼が、静かに深紅のユニホームを脱いだ。
以上
サンフレッチェ広島は、この敵将に何度も苦しめられたし、何度も苦い思いをさせられ、憎っくき男であった。(かまぼこRockは、”みつおの奴”といつも呼び捨てだった。)裏返せば、それだけサッカーがうまいし、サッカーに対する情熱が凄かった証になる。
いずれは、鹿島の監督になるであろう卓越した才能を発揮し将来サンフレッチェ広島の大きな壁になることだろう。
お疲れ様です。もう、”みつお””と呼び捨てしません。
これからは、小笠原さんと呼びます。
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