1月の半ば過ぎだったか、鹿屋市高須の「高須町歩きの会」とかいう会の代表者から「高須の歴史について話してもらえないか」というような電話を受けた。
突然のことで逡巡したのだが、向こうの言い方では「町歩きとは別の・・・」ということであった。よく分からないまま「いいですよ。ただし自分の専門は古代史なのだけれど」と返答したのだが、「それでもいいです。やって欲しい。3月の初めの頃です。」ということで話は終わった。
その後1か月半、何の音沙汰もなかったのでしびれを切らして3日前に連絡を入れたところ、「まだ日程は決まっていない。決まったら連絡する」ということだった。
しかし考えてみて欲しい。人にこれこれで話をしてほしいと依頼して来たのが1月の半ば、普通、人に何かを頼むとすれば会合に出て欲しいのなら少なくとも二週間とか前には「どこで、いつ、何を話して欲しい、こうして欲しい」と連絡するのが当たり前だろう。
それがしびれを切らしたこっちから3日前に連絡を入れたところ「まだに日程が決まっていない」と来た。いい加減だなア。
早速、断りの連絡を入れた。
おそらく大隅の歴史についての諮問に関して自分が出る幕ではないのは、大隅史談会には会長職を辞めてから属していないこと。文化財保護審議会委員でも何でもないこと。地元出身の郷土史家ではないこと、の三点がある故だ。
大隅史談会の会長職であった11年間に、一度たりと公的機関から呼ばれたことはなかったのもその証左だ。
よそ者の自分だからこうしたことがあるのだろう。「女性蔑視」どころの話ではない。無視だ!
もう金輪際、大隅の郷土史に関わることは止めにする。さらば大隅郷土史!
大隅郷土史に関しては現在の大隅史談会が担当すればよいのだ。
ただ、自分はライフワークである邪馬台国関連を研究していくうちに、大隅を含めた「古日向」に関して新たな知見を得、これが今の日本古代史の解釈(神話を含む)に異議を申し立てなければならないと思い、ブログ「鴨着く島」に書き綴ってもう15年となるが、これについてはおさらばする気は毛頭ない!!
これからもボケない限り「鴨着く島」は続く!!
突然のことで逡巡したのだが、向こうの言い方では「町歩きとは別の・・・」ということであった。よく分からないまま「いいですよ。ただし自分の専門は古代史なのだけれど」と返答したのだが、「それでもいいです。やって欲しい。3月の初めの頃です。」ということで話は終わった。
その後1か月半、何の音沙汰もなかったのでしびれを切らして3日前に連絡を入れたところ、「まだ日程は決まっていない。決まったら連絡する」ということだった。
しかし考えてみて欲しい。人にこれこれで話をしてほしいと依頼して来たのが1月の半ば、普通、人に何かを頼むとすれば会合に出て欲しいのなら少なくとも二週間とか前には「どこで、いつ、何を話して欲しい、こうして欲しい」と連絡するのが当たり前だろう。
それがしびれを切らしたこっちから3日前に連絡を入れたところ「まだに日程が決まっていない」と来た。いい加減だなア。
早速、断りの連絡を入れた。
おそらく大隅の歴史についての諮問に関して自分が出る幕ではないのは、大隅史談会には会長職を辞めてから属していないこと。文化財保護審議会委員でも何でもないこと。地元出身の郷土史家ではないこと、の三点がある故だ。
大隅史談会の会長職であった11年間に、一度たりと公的機関から呼ばれたことはなかったのもその証左だ。
よそ者の自分だからこうしたことがあるのだろう。「女性蔑視」どころの話ではない。無視だ!
もう金輪際、大隅の郷土史に関わることは止めにする。さらば大隅郷土史!
大隅郷土史に関しては現在の大隅史談会が担当すればよいのだ。
ただ、自分はライフワークである邪馬台国関連を研究していくうちに、大隅を含めた「古日向」に関して新たな知見を得、これが今の日本古代史の解釈(神話を含む)に異議を申し立てなければならないと思い、ブログ「鴨着く島」に書き綴ってもう15年となるが、これについてはおさらばする気は毛頭ない!!
これからもボケない限り「鴨着く島」は続く!!