鴨着く島

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東日本大震災から10年

2021-03-11 13:47:18 | 災害
今日は東日本大震災が発生してから10年の節目。

あの日、震災を知ったのは、仕事で外を巡回している最中で、岡山にいる息子からの携帯電話からだった。息子の会社の仙台工場が津波の被害を受け、工場内部にまで津波が押し寄せたという。

帰宅後、テレビではどこのチャンネルでも津波が海岸近くの町を押し流していく様子が映されていた。その時点ではいったいどれjほどの被害なのかはもちろん分からなかったが、その後、メディアでは死者行方不明あわせて25000名くらいな数で言われていた。

あの日の数日前に三陸沖を震源とするマグニチュード7の地震が続けて2回あったのだが、震源が深かったせいか、それなりの揺れはあったようだが津波の高さは微々たるものだった。

実はその3週間前の2月22日には、太平洋を遠く離れたニュージーランドのクライストチャーチという町でマグニチュード6.8とかの地震があり、それにより耐震構造の不備だった何とかいうビルが崩壊し、ビル内にあった語学学校の教室が壊滅し、日本人留学生28名が犠牲になっていた。

そのことを思い出して、「向こうはマグニチュードたったの6.8であの被害だが、こっちは最近マグニチュード7を超える地震が立て続けに起きて何の被害もなかった。直下型と海溝型の違いって大きいのだな」と感心したのをはっきり覚えている。

直下型(活断層型)はおおむね震源が浅いので、マグニチュードが小さくても揺れは非常に大きいのだが、それにしてもあれはひどい話だった。20歳くらいの若い学生たち(日本人だけではない)の犠牲は、親御さんたちのことを考えると胸が痛む。

ニュージーランドの地震と東日本大震災との関連はあるという人もあれば、無いという人もあり、どちらかは決めがたい。しかしつい最近、ニュージーランドの北方にあるニューカレドニア諸島の海域でマグニチュード7.7とか8.1とかの地震が発生しているのは不気味である。関連の無いことを願うばかりだ。

そして日本では2月13日夜の11時過ぎに、福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の地震があり、最大で震度6強を記録したが、この地震を歌舞伎の市川海老蔵が「予言」したらしく、話題になっている。週刊誌によると、海老蔵はその日のツイッターで「何となくありそうな気がする」などとつぶやいたそうで、夜遅くにそれが当たったのである。

さらにまたこうも言っている。「5月頃に大きなのがあるかもしれない」と。彼にはそういった予知感が働くらしい。むやみに信じる必要はないが、侮れまい。あると思って避難と心の準備しておいて無駄にはならないだろう。

先の東日本大震災の数日前のマグニチュード7を超える2回の地震は、本震の前の「前震」に当たるものだが、2016年4月の熊本地震の時もやはり起こっている。熊本地震の場合は、最初の揺れとすぐ後の揺れに大差はなく、どっちが本震なのか分からないほどの大きな前震だった。津波の被害など全くないのに、いまだに仮設住宅暮らしの人たちがいるのは、2度の大きな揺れによる倒壊家屋が多かったためだ。

ところで東日本大震災の1か月半前の1月26日、霧島山系の新燃岳で突如大噴火があり、都城市方面へ大量の火山灰が流れて積もるという事態があったが、巨大地震と火山噴火の連動というのは過去にもあり、自分としてはあれは東日本大震災の前触れではなかったかとひそかに思っている。

東日本大震災は地震・津波という天災と同時に、原発の大事故という人災を生んだ「複合大災害」である。福島県では地震・津波による死者を「関連死」が上回っている。見えない放射能からの避難と避難所暮らしは高齢者をむしばみ、高齢者ではない人々を自死に追いやったりしているのだ。気の毒としか言いようがない。

津波という天災による死は不可抗力の面があり、誰しも「被害者」であるが、原発の場合は人災であり、「原発による経済活動」と「原発による汚染」と両方が人々を苦しめている。言うなれば誰しもの心の分断を招いた。

津波によって甚大な被害を受けた地区には人々が生まれ変わった町に戻りつつあるが、放射能の汚染地区に津波の爪痕など全くないにもかかわらず人々の姿はない。

もう原発は要らないだろう。スリーマイル島原発事故、チェルノブイリの原発事故、そして東京電力福島原発事故と、人類は3度も原発事故の恐ろしさ、理不尽さを目の当たりにした。ドイツのように福島の事故を見て「原発全廃」を決め、着実に実行している国がある。

日本は原発が一基も稼働しない5年間を経験しており、その間、電力不足で非常事態などということがなかったはずだ。

今後30年以内に、東日本大震災級の地震が70%もの確率で起きるそうである。まさに「災害大国日本」が現在も進行形なのだ。

上皇(平成天皇)が、平成を振り返って述べられたお言葉の中に、「平成時代は災害の多発した時代だったが、戦争災害の無かったことは嬉しかった。」とあったが、令和になっても災害は頻繁に起きており、この災害をどう防いでいくかに注力すべきだろう。

菅総理は口を開けば「国民の命と暮らしを守る」「まず自助、そして共助・公助だ」と言うが、これだけの天災・人災が続くともう「自助」ではどうにもならない。まずは首都東京の政府機関の地方移転を急ぐべきだろう。政府の政府による「自助」だ。

最後の一点は、政策としてやらなくても「首都直下型地震」か「相模湾トラフ地震」(大正大震災クラス)が起きればいやでもそうなる。しかし他人(天災)任せでは遅い。東京の壊滅は政府機能の停止であり、日本の損失のみならず、世界の損失だ。

いまコロナ対策で右往左往しているが、日本ではコロナ禍による死者は1年経っても東日本大震災による死者数の半分に過ぎない。ひとたび大震災が起きれば、数日で10万単位の人たちが命を失う。情報インフラも壊滅する。東京からの「戦略的逃避」はいつ始めても遅いということはない。東日本大震災に学ぶべきはそのことだろう。