このところ続く晴天。大隅地方では最高気温35.6℃を記録した。
早期米が穂を垂れ始めてから約2週間。強い日差しの中で、黄金色に染まりつつある田んぼがそこここに見られるようになった。ただ、倒伏する株のある田も散見される。
稲株の倒伏は台風など暴風雨の過ぎ去った後にはよく見られ、まだ完全に熟していない穂だと水に漬かってしまい、せっかくの実りが台無しになることがある。だが、完熟した穂の倒伏は実入りが良く、重過ぎて倒れるので、かえって喜ばれる。
かつて稲を手で刈り、それを長い棒を田んぼに仕立て、物干しのように稲株を掛けていた時代はもはや過去のものとなり、今日、そのような風景はごく稀になった。
鹿屋市吾平町の山間にある神野地区に行ってみたら、すでに何枚かの田で稲刈りが始まっていた。刈り取りの主役はコンバインである。
稲刈りをJA(昔の農協)に依頼する農家もあるが、自前のコンバインを所有している農家も多い。この神野の農家は自前のものらしい。あるいは親戚間で共有しているのかもしれない。コンバインの横にJAのロゴはなかった。(※後方のピラミッドのような山は吾平富士と称される中岳。)
刈り取ったモミはこのあと乾燥機にかけられ、水分量何パーセントかにまで落として販売するなり、保冷庫で保管するのだが、今年はこのところの快晴続きで、水分量は少なくなっているから、乾燥の時間も早いだろう。
いったいいくらで取引されのやら、今年はウクライナへのロシア侵攻で小麦の輸出がストップしたため、世界全体で食料品の値上がりが大きいが、米も多少の値上がりがある可能性が高い。
日本人のコメの消費量が落ちて久しく、今や一人当たりに換算すると40年前の半分になっている。そのため約300万ヘクタールある水田のうち、何パーセントかは家畜用の飼料米を植えているという。米をよく食べていた時代の我々からするともったいない話である。
それでも田んぼとしての機能は維持されるわけだし、いざとなったら食用米への転換は容易だ。
「山紫水明」のこの地の田んぼの田植え、稲刈りの風景が永続してみられることを願う。
早期米が穂を垂れ始めてから約2週間。強い日差しの中で、黄金色に染まりつつある田んぼがそこここに見られるようになった。ただ、倒伏する株のある田も散見される。
稲株の倒伏は台風など暴風雨の過ぎ去った後にはよく見られ、まだ完全に熟していない穂だと水に漬かってしまい、せっかくの実りが台無しになることがある。だが、完熟した穂の倒伏は実入りが良く、重過ぎて倒れるので、かえって喜ばれる。
かつて稲を手で刈り、それを長い棒を田んぼに仕立て、物干しのように稲株を掛けていた時代はもはや過去のものとなり、今日、そのような風景はごく稀になった。
鹿屋市吾平町の山間にある神野地区に行ってみたら、すでに何枚かの田で稲刈りが始まっていた。刈り取りの主役はコンバインである。
稲刈りをJA(昔の農協)に依頼する農家もあるが、自前のコンバインを所有している農家も多い。この神野の農家は自前のものらしい。あるいは親戚間で共有しているのかもしれない。コンバインの横にJAのロゴはなかった。(※後方のピラミッドのような山は吾平富士と称される中岳。)
刈り取ったモミはこのあと乾燥機にかけられ、水分量何パーセントかにまで落として販売するなり、保冷庫で保管するのだが、今年はこのところの快晴続きで、水分量は少なくなっているから、乾燥の時間も早いだろう。
いったいいくらで取引されのやら、今年はウクライナへのロシア侵攻で小麦の輸出がストップしたため、世界全体で食料品の値上がりが大きいが、米も多少の値上がりがある可能性が高い。
日本人のコメの消費量が落ちて久しく、今や一人当たりに換算すると40年前の半分になっている。そのため約300万ヘクタールある水田のうち、何パーセントかは家畜用の飼料米を植えているという。米をよく食べていた時代の我々からするともったいない話である。
それでも田んぼとしての機能は維持されるわけだし、いざとなったら食用米への転換は容易だ。
「山紫水明」のこの地の田んぼの田植え、稲刈りの風景が永続してみられることを願う。