我が家では南日本新聞という地方紙を取っているのだが、今朝の朝刊の一面トップには驚いた。一瞬、スポーツ紙の一面かと思ってしまった。
大リーグエンジェルス所属の大谷翔平投手の打者への投球のシーンがでかでかと半身カラーで載せられているのだが、その上の大見出しは「大谷2桁勝利本塁打」であり、中見出しは「ルース以来104年ぶり」となっていた。
カリフォルニア州オークランドで行われた対アスレチック戦で、先発した大谷は3季ぶりに10勝を挙げ、ホームラン第25号も放ち、投手兼バッターの「二刀流」としては、かつて全米で野球の神様と言われたベーブルースが成し遂げた記録を104年ぶりに達成したのだ。
去年はホームランこそ46号とベーブルースに並んだかに見えたが、投手としての勝利は9勝で終わってしまい、捲土重来が期待されていた。
ベーブルースが2桁本塁打・2桁勝利投手を記録した104年前とは1918年のことである。ずいぶん古い話だが、1918年と言えば1914年に始まった第一次世界大戦が終結を見た年であり、同年フランスベルサイユにおいて講和条約の会議が始まっている。
(※その前年にそれまで参戦していなかったアメリカが対独宣戦布告し、ヨーロッパの前線に兵隊を送り出しており、実はこれがいわゆるスペイン風邪をも引き連れて行ったとされる。100年後の2019年、新型コロナウイルスが中国の武漢で流行し、そのまま世界全体に飛び火したのと軌を一にしているとは皮肉な話だ。)
その頃日本では前年の1917年に起きたロシア革命の拡散を畏れたアメリカの要請で、シベリア出兵を強行し、数年続いたコメの不作で米価が上がっていたにもかかわらず、大手米穀商によるシベリア出兵用の米の買い占めでなお一層の高値となり、各地で米騒動が頻発していた。
日本や世界が物価高騰で難儀をしている時に、アメリカではベーブルースの大活躍に象徴される国民的娯楽の野球というスポーツ興行が花開いていたのだから、世界は広い、というか、アメリカは広かった。
野球と言えば、何と言っても今は甲子園夏の高校野球選手権だ。
不思議なことに、大谷の104年ぶりと合わせたかのように今回の選手権は104回目である。
初回は1915年(大正4年)に行われた「全国中等学校(旧制)野球大会」であるから、まさにベーブルースが活躍していた頃とぴったり重なるからさらに面白い。
甲子園での野球大会が定期的に行われるようになってから、全国津々浦々、旧制中学あるところ野球部の無い都道府県はなく、戦後は新制高校となって野球部の数は飛躍的に増えた。
今はサッカー部の数と競技人口にお株を奪われたが、それでも国民的アマチュアスポーツの一大組織であることは譲らない。
日本ではこの高校におけるアマチュアスポーツとしての野球があってこそのプロ野球なのだが、アメリカではどうか。ベーブルースがハイスクールで怪童と呼ばれたなどという情報はない。おそらく今でもそうであるように、日本の大相撲のように中学校か高校を終えたらそれぞれの球団にテスト(見習い)選手として入団するのだろう。その後は自分次第、自己責任でというコースを辿るに違いない。
大谷選手は周知のように岩手県の私立高校・花巻東高校の出身であり、甲子園の高校野球で活躍した選手である。この大谷が自己責任でのし上がっていくアメリカプロ野球で大活躍しているわけだが、アメリカ人はこれを「大谷個人の資質と自己責任の塊」と捉えて応援している。
ところがテレビでも新聞でも、日本では必ず地元岩手の人たちが喜び勇んで応援する姿を報道している。つまり日本では出身地との一体感が極めて大きいのだ。ここに日本とアメリカの違いがはっきりと表れている。
もともとアメリカが発祥のスポーツである野球に関してだけでも、捉え方に大きな隔たりがあり、この点を重視すれば、日本には日本のやり方があるのだ、日本の独自性(国柄)ここにあり、という感慨にとらわれる。(※ただ同じスポーツでもプロテニス・プロゴルフなど個人スポーツは著しく違う。こちらはただ金目当てのゲームにしか見えない。感動もドラマも湧き上がることはない。)
ところで、今日の一面にデカデカと大谷選手の英姿が載ったわけだが、約一ヶ月前の7月9日の朝刊の一面をさらに大きく飾ったのが、安倍元首相の暗殺事件である。
私はその日の新聞を丸ごと保存していたので、比べてみると、やはり安倍さんの一件の報道の方が写真も記事の量も2倍も多かった。
安倍さんが二発目の銃弾を受け、ワイシャツに血をにじませて横たわり、選挙関係者が覗き込み「大丈夫ですか」と呼びかけている写真自体は今朝の大谷選手の半身写真ほどではないが、他に安倍さんが撃たれる前にマイクを握って演説している直前の姿も掲載されている。
記事を詳細に読み直すと、山上容疑者が取り調べに対して「安倍元首相がある宗教団体とつながっていることが許せなくて犯行に及んだ」とあり、まだ7月9日付の紙面では旧統一教会の名は書かれていない。山上容疑者が旧統一教会の名を挙げないはずはなく、書いていないということが取り調べた警察の配慮なのか、それとも記事を書いた報道側の忖度なのか、今となっては隠す必要は全くなかったと言わざるを得ない。
あれから約1ヶ月、連日のように旧統一協会(現・世界平和統一家庭連合)と政治の癒着が取り沙汰されない日はないではないか。
大リーグエンジェルス所属の大谷翔平投手の打者への投球のシーンがでかでかと半身カラーで載せられているのだが、その上の大見出しは「大谷2桁勝利本塁打」であり、中見出しは「ルース以来104年ぶり」となっていた。
カリフォルニア州オークランドで行われた対アスレチック戦で、先発した大谷は3季ぶりに10勝を挙げ、ホームラン第25号も放ち、投手兼バッターの「二刀流」としては、かつて全米で野球の神様と言われたベーブルースが成し遂げた記録を104年ぶりに達成したのだ。
去年はホームランこそ46号とベーブルースに並んだかに見えたが、投手としての勝利は9勝で終わってしまい、捲土重来が期待されていた。
ベーブルースが2桁本塁打・2桁勝利投手を記録した104年前とは1918年のことである。ずいぶん古い話だが、1918年と言えば1914年に始まった第一次世界大戦が終結を見た年であり、同年フランスベルサイユにおいて講和条約の会議が始まっている。
(※その前年にそれまで参戦していなかったアメリカが対独宣戦布告し、ヨーロッパの前線に兵隊を送り出しており、実はこれがいわゆるスペイン風邪をも引き連れて行ったとされる。100年後の2019年、新型コロナウイルスが中国の武漢で流行し、そのまま世界全体に飛び火したのと軌を一にしているとは皮肉な話だ。)
その頃日本では前年の1917年に起きたロシア革命の拡散を畏れたアメリカの要請で、シベリア出兵を強行し、数年続いたコメの不作で米価が上がっていたにもかかわらず、大手米穀商によるシベリア出兵用の米の買い占めでなお一層の高値となり、各地で米騒動が頻発していた。
日本や世界が物価高騰で難儀をしている時に、アメリカではベーブルースの大活躍に象徴される国民的娯楽の野球というスポーツ興行が花開いていたのだから、世界は広い、というか、アメリカは広かった。
野球と言えば、何と言っても今は甲子園夏の高校野球選手権だ。
不思議なことに、大谷の104年ぶりと合わせたかのように今回の選手権は104回目である。
初回は1915年(大正4年)に行われた「全国中等学校(旧制)野球大会」であるから、まさにベーブルースが活躍していた頃とぴったり重なるからさらに面白い。
甲子園での野球大会が定期的に行われるようになってから、全国津々浦々、旧制中学あるところ野球部の無い都道府県はなく、戦後は新制高校となって野球部の数は飛躍的に増えた。
今はサッカー部の数と競技人口にお株を奪われたが、それでも国民的アマチュアスポーツの一大組織であることは譲らない。
日本ではこの高校におけるアマチュアスポーツとしての野球があってこそのプロ野球なのだが、アメリカではどうか。ベーブルースがハイスクールで怪童と呼ばれたなどという情報はない。おそらく今でもそうであるように、日本の大相撲のように中学校か高校を終えたらそれぞれの球団にテスト(見習い)選手として入団するのだろう。その後は自分次第、自己責任でというコースを辿るに違いない。
大谷選手は周知のように岩手県の私立高校・花巻東高校の出身であり、甲子園の高校野球で活躍した選手である。この大谷が自己責任でのし上がっていくアメリカプロ野球で大活躍しているわけだが、アメリカ人はこれを「大谷個人の資質と自己責任の塊」と捉えて応援している。
ところがテレビでも新聞でも、日本では必ず地元岩手の人たちが喜び勇んで応援する姿を報道している。つまり日本では出身地との一体感が極めて大きいのだ。ここに日本とアメリカの違いがはっきりと表れている。
もともとアメリカが発祥のスポーツである野球に関してだけでも、捉え方に大きな隔たりがあり、この点を重視すれば、日本には日本のやり方があるのだ、日本の独自性(国柄)ここにあり、という感慨にとらわれる。(※ただ同じスポーツでもプロテニス・プロゴルフなど個人スポーツは著しく違う。こちらはただ金目当てのゲームにしか見えない。感動もドラマも湧き上がることはない。)
ところで、今日の一面にデカデカと大谷選手の英姿が載ったわけだが、約一ヶ月前の7月9日の朝刊の一面をさらに大きく飾ったのが、安倍元首相の暗殺事件である。
私はその日の新聞を丸ごと保存していたので、比べてみると、やはり安倍さんの一件の報道の方が写真も記事の量も2倍も多かった。
安倍さんが二発目の銃弾を受け、ワイシャツに血をにじませて横たわり、選挙関係者が覗き込み「大丈夫ですか」と呼びかけている写真自体は今朝の大谷選手の半身写真ほどではないが、他に安倍さんが撃たれる前にマイクを握って演説している直前の姿も掲載されている。
記事を詳細に読み直すと、山上容疑者が取り調べに対して「安倍元首相がある宗教団体とつながっていることが許せなくて犯行に及んだ」とあり、まだ7月9日付の紙面では旧統一教会の名は書かれていない。山上容疑者が旧統一教会の名を挙げないはずはなく、書いていないということが取り調べた警察の配慮なのか、それとも記事を書いた報道側の忖度なのか、今となっては隠す必要は全くなかったと言わざるを得ない。
あれから約1ヶ月、連日のように旧統一協会(現・世界平和統一家庭連合)と政治の癒着が取り沙汰されない日はないではないか。