鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

スズムシの季節が到来

2022-08-17 19:50:03 | おおすみの風景
スズムシが鳴き始めた。

と言っても野生のスズムシではない。

昨日、愛犬ウメのためにダニ・ノミ取り用のパウダーを買いに市内のペットセンターに行ったのだが、ついでに店先の看板広告に写真入りで載っていたスズムシも購入することになった。

オス・メスひとつがいで230円というのは高いのか安いのか分からないが、とりあえず二つがいを求めた。

それと飼育ケースに敷くスズムシ用のマットとタンパク質補給のためのエサも一緒に購入した。

飼育ケースにはメスの二匹だけを入れ、丸いプラスチックケースにはオスを入れ、どちらにもエサとキュウリの輪切りを入れておいたところ、夜になって早速、一匹のオスが鳴き始めた。



まだすこぶる綺麗な音色とは行かないが、両羽根を立ててふるわせ、その際に両羽がこすれて絶妙な音を響かせる。

羽根を立てるのはもちろん音色を響かせるためだが、そもそもこれは求愛行動である。

この生物学的な求愛行動に過ぎない鳴き声をわれわれ日本人は、左脳で聴き、西洋人は右脳で聴く――ということを発見した角田という東京医科歯科大学の研究者がいた。角田によると、左脳は「言語脳」と言い、言葉を司る人間的な感情を表現する。逆に右脳は主に「空間認識」を司っているという。

以上の左右の脳の役割分担によれば、日本人は虫の音にさえ人間的な感情を聴き取り、西洋人にとって虫の音はオートバイの騒音のような「雑音」としか聴こえないという。

要するに夏の夜に虫の音を聴くと、日本人なら「ああ虫たちが鳴き始めた。お前たちの大好きな秋が来たな。暑かった夏ももうすぐ終わるなあ。やれやれ」と、季節の移ろいを感慨深く心に捉えるわけだが、西洋人はさほどの感慨(思い入れ)はないということである。

「一寸の虫にも五分の魂」ということわざがあるように、日本人は虫にも蝶々にも魂が宿り、人間と全く別の存在としては見ていない。

俗に言う「アニミズム」で、あらゆる存在は神の顕現であるという観念を持っているのだ。日本人の得意分野にアニメがあるが、そのモチベーションはこの「アニミズム」ではないかと思うのである。

また日常でも、例えば零細企業などでは、暮れになると工場の機械にも正月飾りを乗せたりするが、これも機械のハタラキを神の顕現(神道ではミコトモチ)と考えるからだろう。

スズムシが鳴くのは科学的つまり生物学的には子孫を残すための求愛行動に過ぎないが、夏が終わり秋を迎える「風物詩」であると、まさに「誌的に」捉えて止まないのが日本人の感性である。