鴨着く島

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長崎平和祈念式典2022

2022-08-09 21:08:54 | 日本の時事風景
77年前の8月9日午前11時2分、アメリカの爆撃機B29一機が、本来なら北九州小倉の工業地帯に落とすはずだったプルニウム型の原子爆弾「ファットマン」を、長崎上空で落とし、炸裂させた。小倉地方の天候が良くなかったからという。

不運な長崎では市の中心部の上空550メートルで炸裂した原子爆弾により、市の中心部から3キロ圏内の木造の建物をほぼすべて破壊し、焼失させた。

瞬時に約7万人もの一般市民が死亡し、助かった者も深く痛手を負い、救助に入った長崎近郊の人たちとともに原爆症による免疫不全や白血病で帰らぬ人となった。このような人たちは年末までに7万を数え、その年の内に合計で14万の犠牲者が数えられている。

長崎の場合、クリスチャンの多い土地柄で、原爆投下のその時刻に浦上天主堂ではミサが行われていたとかで、数百人の信者が巻き添えとなっている。さすがのアメリカもこれには驚愕し、広島にはよく足を運ぶアメリカ人も、大使級の要人たちも、長崎は行きにくい被爆地であった。

長崎のこの残虐の前に、アメリカがいくら「原爆を落としたのは、戦争終結を早め、米国軍人数十万の被害を軽減するためだった」と後付けの言い訳をしても、その「人道への罪」はアメリカ人自身でさえ拭い去ることはできないだろう。

午前11時2分の一分間の黙とうの後、被爆者が求めてさ迷い歩いた水が捧げられたあと、平和像の前に設えられた舞台に上がったのは、「ひまわり合唱団」という被爆者が中心となって生まれた合唱団だった。


団員の高齢化にコロナ禍が追い打ちをかけたとかで、今年限りで合唱団は解散するという。
「被爆者の声が聞こえますか。耳を傾けて下さい」という内容の唄である。後継者が現れないものだろうか。

式辞では被爆者代表の宮田隆さんという82歳の方の体験に基づく話が良かった。特に「核の傘」に関して、「日本政府がアメリカの核の傘に頼りながら、核廃絶を訴える」ことの矛盾を突き、核の傘からの離脱を求めてこそ日本が核廃絶へのハタラキ(橋渡し)ができると――声を大にしてスピーチしていたが、満腔の賛辞を贈りたい。

またウクライナへのロシアによる民間施設への爆撃の状況にも言及し、宮田さんが5歳の時に味わった原爆の悲惨と恐怖が思い起こされると言い、一刻も早い終結を願っていた。