国連安全保障会議常任理事国(核保有5か国)以外の国が核兵器を持つことを抑え込もうという「核拡散防止条約」。
それをめぐる条約締約国会議が国連本部で開かれ、4週間後の8月26日に最終合意文書が提示される運びとなったのだが、ロシア代表が当日になってドタキャンしたという。
これで前回に続いて最終合意文書が否定されたことになる。
ロシアの言い分は「最終文書の内容は欧米側の主張が主で、政治的に過ぎる」というもので、ウクライナ情勢に対する欧米の強い関与に不満を持っているのが背景にある。
ロシアがウクライナに侵攻する前にプーチンが「核兵器の使用も辞さない」といような不穏な発信をしたことへの強い反発文言が取り下げられたにもかかわらず、ロシアは合意しなかった。
もっともアメリカも「核先制不使用」という文言を削除させたというから、こっちも不穏であり、どっちもどっちだ。
核兵器が実戦で使われたのはアメリカによる日本の広島・長崎に対してだが、その威力を目の当たりにしたソ連もアメリカに対抗して核を保有することになった。1949年のことだった。
その後米ソの対立が深まり、アメリカの隣国キューバに親ソ勢力であるカストロ政権が1959年に生まれると、ソ連はキューバに核ミサイル基地を建設し、アメリカを威嚇し始めた。有名な「キューバ危機」である。
アメリカ大統領はケネディ、ソ連の首相はフルシチョフで、この時はソ連の方が矛を収め(1962年10月)、キューバから基地を撤去して事は危うく解決を見た。
実はこの2年後の1964年10月に共産中国が初の水爆実験に成功しており、世界で5番目の核保有国になっている。この時の不思議は、米英等核保有国の中国への抗議がなかったことだ。
そして中国はこの8年後の1972年に、当時まだ安保理の常任理事国だった中華民国(台湾)政府に代わって常任理事国の座に就いてしまった。(※この背景にはイギリスの思惑があったのかもしれない。1950年1月に前年の10月に建国されたばかりの中華人民共和国をいち早く承認しているからだ。日本が中華民国と友好関係になることを危惧していたのだろう。)
かくて国連に加盟したばかりの中国共産党政府が、国連を追放された台湾の代わりに安保理の常任理事国になったという不可解が理解できる。中国の共産勢力と日本がタッグを組むことは全くあり得ないという安心感が、米英をして共産中国を安保理の常任理事国に据えさせるという芸当を演出したのだ。
結果として国連安保理の常任理事国のみが「保核」(核兵器を堂々と保持)になったのだが、それ以外の国に核兵器が行き渡らないようにする条約がNPTで、何のことはない核兵器こそが安全保障の要だということでもある。
日本は核保有はしないのが国是である。非核の立場だ。持てるだけの技術や資金はあるのだが持たない国是である。
これに対して核とは全く無縁の国々がある。「無核」の立場だ。
「保核」「非核」「無核」のうち「無核」の国々が圧倒的に多いのが現在の世界であり、日本政府が言うところの「橋渡し」とは、「保核」国家群とと「無核」国家群との橋渡しという意味だろう。つまり「保核の国が無核の国を攻撃しないよう仲介に立ちますよ」ということだ。
ところが日本は「アメリカの核の傘に入っているから安全」という保障を「日米安全保障条約」によって得ている。それなら「無核」の国々に対して「あなたの国もアメリカの核の下に入りませんか。安全ですよ」というのが「橋渡し」ではないのか。
要するに「無核」の国々に対して、アメリカと「安全保障条約」を結ぶよう勧めるのが日本の橋渡し役となるのではないか、ということである。
ところが日本がアメリカにそのように進言したらこう言うだろう。「二国間の個別的な軍事援助条約は国連憲章上認められない。多国間で結ぶならよい」と。
ならば日本もアメリカとの二国間軍事条約である「日米安全保障条約」は解約せねばなるまい。その上で「クワッド」のような多国間安全保障条約を結び直す。その上で、「無核」の国々にも多国間(核保有国を含む)安全保障条約を結ぶように助言する。これなら橋渡し役として筋が通る。
ところが「保核」のアメリカとの二国間軍事同盟を結んで「核の傘の下にいるから安全」と思っている国が、核廃絶への「橋渡しをします」と言ってみても、多くの「非核」「無核」の国々は「自分だけぬくぬくとしている。いったい自分の国に2発も核兵器を使ったアメリカのその核の傘にいるのが安全だとよくもまあ思えるもんだ。わけわからん」というのが、大方の考えだろう。
NPTに対する日本政府の考え方は、日本が日米同盟下の「核の傘の下」にいる限り、説得力は全くないと思わなくてはならない。
それをめぐる条約締約国会議が国連本部で開かれ、4週間後の8月26日に最終合意文書が提示される運びとなったのだが、ロシア代表が当日になってドタキャンしたという。
これで前回に続いて最終合意文書が否定されたことになる。
ロシアの言い分は「最終文書の内容は欧米側の主張が主で、政治的に過ぎる」というもので、ウクライナ情勢に対する欧米の強い関与に不満を持っているのが背景にある。
ロシアがウクライナに侵攻する前にプーチンが「核兵器の使用も辞さない」といような不穏な発信をしたことへの強い反発文言が取り下げられたにもかかわらず、ロシアは合意しなかった。
もっともアメリカも「核先制不使用」という文言を削除させたというから、こっちも不穏であり、どっちもどっちだ。
核兵器が実戦で使われたのはアメリカによる日本の広島・長崎に対してだが、その威力を目の当たりにしたソ連もアメリカに対抗して核を保有することになった。1949年のことだった。
その後米ソの対立が深まり、アメリカの隣国キューバに親ソ勢力であるカストロ政権が1959年に生まれると、ソ連はキューバに核ミサイル基地を建設し、アメリカを威嚇し始めた。有名な「キューバ危機」である。
アメリカ大統領はケネディ、ソ連の首相はフルシチョフで、この時はソ連の方が矛を収め(1962年10月)、キューバから基地を撤去して事は危うく解決を見た。
実はこの2年後の1964年10月に共産中国が初の水爆実験に成功しており、世界で5番目の核保有国になっている。この時の不思議は、米英等核保有国の中国への抗議がなかったことだ。
そして中国はこの8年後の1972年に、当時まだ安保理の常任理事国だった中華民国(台湾)政府に代わって常任理事国の座に就いてしまった。(※この背景にはイギリスの思惑があったのかもしれない。1950年1月に前年の10月に建国されたばかりの中華人民共和国をいち早く承認しているからだ。日本が中華民国と友好関係になることを危惧していたのだろう。)
かくて国連に加盟したばかりの中国共産党政府が、国連を追放された台湾の代わりに安保理の常任理事国になったという不可解が理解できる。中国の共産勢力と日本がタッグを組むことは全くあり得ないという安心感が、米英をして共産中国を安保理の常任理事国に据えさせるという芸当を演出したのだ。
結果として国連安保理の常任理事国のみが「保核」(核兵器を堂々と保持)になったのだが、それ以外の国に核兵器が行き渡らないようにする条約がNPTで、何のことはない核兵器こそが安全保障の要だということでもある。
日本は核保有はしないのが国是である。非核の立場だ。持てるだけの技術や資金はあるのだが持たない国是である。
これに対して核とは全く無縁の国々がある。「無核」の立場だ。
「保核」「非核」「無核」のうち「無核」の国々が圧倒的に多いのが現在の世界であり、日本政府が言うところの「橋渡し」とは、「保核」国家群とと「無核」国家群との橋渡しという意味だろう。つまり「保核の国が無核の国を攻撃しないよう仲介に立ちますよ」ということだ。
ところが日本は「アメリカの核の傘に入っているから安全」という保障を「日米安全保障条約」によって得ている。それなら「無核」の国々に対して「あなたの国もアメリカの核の下に入りませんか。安全ですよ」というのが「橋渡し」ではないのか。
要するに「無核」の国々に対して、アメリカと「安全保障条約」を結ぶよう勧めるのが日本の橋渡し役となるのではないか、ということである。
ところが日本がアメリカにそのように進言したらこう言うだろう。「二国間の個別的な軍事援助条約は国連憲章上認められない。多国間で結ぶならよい」と。
ならば日本もアメリカとの二国間軍事条約である「日米安全保障条約」は解約せねばなるまい。その上で「クワッド」のような多国間安全保障条約を結び直す。その上で、「無核」の国々にも多国間(核保有国を含む)安全保障条約を結ぶように助言する。これなら橋渡し役として筋が通る。
ところが「保核」のアメリカとの二国間軍事同盟を結んで「核の傘の下にいるから安全」と思っている国が、核廃絶への「橋渡しをします」と言ってみても、多くの「非核」「無核」の国々は「自分だけぬくぬくとしている。いったい自分の国に2発も核兵器を使ったアメリカのその核の傘にいるのが安全だとよくもまあ思えるもんだ。わけわからん」というのが、大方の考えだろう。
NPTに対する日本政府の考え方は、日本が日米同盟下の「核の傘の下」にいる限り、説得力は全くないと思わなくてはならない。