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上皇様が歴代最高年齢に

2021-09-02 23:11:21 | 日本の時事風景
9月1日、平成時代の天皇陛下(現・明仁上皇)が歴代天皇の最高年齢に並んだ。

87歳と253日は、父君昭和天皇の崩御時と同じになったという。これからは毎日、長寿天皇としてカウントされて行く。

上皇様は昭和8(1933)年の12月23日のお生まれだから、今年の12月23日には88歳。満年齢の米寿である。

昭和天皇は明治34(1901)年4月29日のお生まれで、昭和64年1月7日に崩御された。かつては数え年だったから89歳で亡くなられたことになる。

歴代天皇で80歳を超えたことが明確なのは次の二人。
 
①第57代・陽成天皇・・・80歳(869年~949年)在位は876年~884年
②第108代・後水尾天皇・・・84歳(1596年~1680年)在位は1611年~1629年

神武天皇から第16代仁徳天皇まではどの天皇も干支一巡(60年)を水増ししているので、長寿天皇の対象には入れていない。一例として第10代崇神天皇などは168歳である。この天皇に限っては干支二巡の水増しだろう。

上皇明仁陛下は一昨年の4月末に現天皇に譲位された。この生前譲位については、明治以降の三代がすべて崩御によるものだったのとは違っていたので、大きな論議を呼んだが、明治以前では決して珍しいことではない。

現に、上に挙げた長寿天皇のうち①の陽成天皇はわずか7歳で天皇になり、8年後、15歳で譲位している。もちろんこれは本人の意思ではなく当時の摂関家藤原氏の画策によるものだ。

何と15歳で隠居の身(上皇)となったわけだが、上皇の方が現役の天皇よりもはるかに自由度(自由裁量)が大きかったので、一概に「お気の毒」とは言えない。

むしろ積極的に上皇になり、自由裁量を利かせて政治に首を突っ込み、名を成した天皇も多い。源平時代に上皇として30年余りも当時の政局に絡んだ後白河上皇(法皇)などはその典型である。

平成上皇はそのようなことは勿論憲法上不可能だ。2012年に心臓のバイパス手術を受けた時は多くの国民が心配したものだが、あれから9年後の現在はお顔色もよく、ライフワークのハゼの研究にも取り組んでおられる由。これからもお元気で、国民を見守っていただきたいものだ。


ちょうど時を同じくして、秋篠宮家の長女眞子様と小室圭氏が年内に結婚するという報道が流れた。

今年中に結婚され、ニューヨークに新居を構えるという。圭氏がニューヨークの法律事務所に就職することが決まったことも大きいが、もとより眞子様の圭氏との結婚への意志が並々ならぬものであったからだろう。

「結納の儀」も「朝見の儀」も「結婚披露の儀」も行わず、ただ区役所(?)に婚姻届を出すだけのようだ。

懸案だった例の圭氏の母親の借金問題に片が付いたようには思われないが、もうそれは眞子様サイドでクリアされるのだろう。

皇室を離れる女性皇族には下賜金1億円以上が支払われるのだが、貰わない意向だそうである。皇室に関する法規に「辞退」の条項はないらしいからどうなることか。

まるで「駆け落ち」同然だが、秋篠宮様としては黙認という形で見送るほかないと思われているようだ。事ここに及んで二人の結婚を認めないということはまずないだろう。

眞子様はこの結婚により、正式な言葉でいえば「皇籍離脱」になるのだが、実家である秋篠宮家と一生涯縁は続く。

何か英国王室のエリザベス女王の孫、ヘンリー王子の「王室離脱」とパラレルなのが因縁めく。しかし向こうは王位継承権を持つ男子、こちらは女子であり、同じ離脱でもその重さは格段に違っているので、もう目くじらを立てる必要はないのかもしれない。

眞子様と圭氏の結婚生活に幸多かれとエールを送るしかない。

ただ日本の皇室の現状は後継者をめぐり、なかなか厳しい状況に置かれていることは確かだ。

皇位継承にあずかれるのは、継承順位第一位の秋篠宮様、第二位が悠仁(ひさひと)親王、第三位が高齢の常陸宮様だけなのだ。

女系の天皇を認めるべきだとか、旧宮家の中から男子を後継者(皇嗣)に繰り入れるべきだなどと盛んに論議されている。

第二位の継承者である悠仁(ひさひと)親王は現在中学3年生の15歳。あと5年で成人されるわけだが、多分、大学には入られるだろうから、卒業後はなるべく早く結婚していただきたい。そして早目に皇子(皇嗣)を二人でも三人でも授かるようお願いしたいものだ。

赤い糸以上の「紫の糸」に結ばれた女性は必ずいると思いたい。

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