ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

二月尽

2018年02月28日 | 俳句

 今日は二月の最後の日、俳句の季語では「二月尽」と言います。歳時記には「ようやく寒気もゆるみ、春の訪れを肌で感じ始める頃」とあります。昨日はホントにぽかぽか陽気でしたし、今日も雨が朝から降ってはいましたが、以前のような冷たさはもうありません。まさに次の句のように春に向って真っ直ぐという感じでした。

  真直なる幹に雨沁む二月尽   福永耕二

 先日京都新聞社より、私の句集『甘雨』を朝刊の「京都文芸」面に紹介させていただきましたと言って、掲載紙を送ってきました。それを「ふらんす堂編集日記」でも取り上げて下さいましたので、ちょっと転載させていただきま~す。

『甘雨』(ふらんす堂)は兼久ちわきの第2句集。平成17年から29年までの作品を収録。
 三四郎池や物知り顔の鴨
 啄木鳥や窯場は風の棲むところ
「三四郎池」「窯場」という〈場〉の個性的な表情が、野趣豊かに描出されている。
 石どれも飛鳥の貌や冬日差
この句もまさに「飛鳥」らしい。同じ「鴨」「啄木鳥」、「石」であっても〈場〉によって様相が異なる(僕たち「人間」がそうであるように)。そんな表情の個性を掬い取るのも、俳句の醍醐味だ。
 楺洗ふほどに子芋の光り出づ
 秋光を弾きて女尻相撲
「子芋」も 「女(の)尻」も、秋の「光」を纏って、まるで〈聖化〉するよう。
 客あれば出づる渡舟や草の絮
 組体操一斉に顔あげて秋
「客あれば」の上五によって「渡舟」の無聊感が醸し出され、「組体操」の溌剌が「顔あげて秋」の下五で造型として完結する。この、内容と表現との一体化が、韻文詩である俳句表現の核心なのだ。
 
 これを書いて下さったのは、彌榮 浩樹さん (鹿児島県出身で京都在住。 京大工学部→京大文学部国文学科出身。 姓名は「みえ こうき」と読む。 2017年度現在52歳。「銀化」同人。) ありがとうございました。
 写真はやっと咲いた我家の椿、春の季語です。
 
 
 
コメント
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