昨日は自分ながらしょうもないことを書いて…と反省しています。ゴメンナサ~イ!
今日は午後から俳句教室でしたので、そろそろ俳句の話に戻りましょうか。でも時々俳句のことを考えるのがイヤになってしまい、何も考えたくない時ってあるでしょう。そういう時は皆さんだったら何をしますか?
音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を見たり、やけ食いをしたり(これは私はダメ、太るから)…などいろいろありますが、私はもっぱら寝るんですよ。というよりも体の方が要求するんです。一種の防衛本能でしょうかねえ~。そういう時って、不思議なくらいいくらでも寝られるんです。
失礼!また、話が逸れましたね。今日の兼題は「万緑」で、夏の季語です。この季語は「万緑叢中紅一点…」という王安石(中国、宋代の政治家、文学者)の詩の「万緑」を用いて、中村草田男が〈万緑の中や吾子の歯生え初むる〉と詠んで多くの共感をよび、それ以後季語として定着したものです。
ところで、今日の句会には私の知らない言葉がたくさん出ました。「トップカー」「フィトンチッド」「シートノック」「差し色」など。今回はなぜか外来語が多く、「ネット」「シュート」「ダム」ぐらいは分かりましたが、前述の語はさっぱり…想像もつきませんでした。
特に「フィトンチッド」などは辞書を引いて、「樹木などが発散する殺菌性のある揮発性物質」と分かりましたが、それを使って俳句を詠むなんてと…。エエッどんな句ですって?それはヒミツね。「トップカー」も皆さんなら分かりますか?これと「差し色」も辞書にはありませんでした。調べて理解出来たのは「シートノック」ぐらい。これでも野球を知らない人には?と…。
全く先入観のない新しい方がこういう言葉を使ったりすることが多いのですが、やはり詩語として相応しいかどうかということは大事なことかも知れません。でも俳句はこうでなくてはいけないというような固定観念も問題ですが。
では俳句の言葉としてどこまでが使用可能かということ、それを考えるのは大切なことですよ。一般的に俗語、隠語、慣用語、今時の若い人たちが使う略語のような若者言葉・ギャル語などは嫌われます。あの高浜虚子は次のように言っています。
俳句は品格を尚とぶ。文芸といはず一般の芸術品は品格を尚とぶ。如何に結構が雄大であつても、如何に精巧極めたものであつても、品位において欠くるところのものには十分の尊敬を払ふ事は出来ぬ。俳句も亦た然り。
私はやはり、俳句とは味わって感じるものならば、心が〝美味しい〟と感じるものあって欲しいと思います。口に入れた途端に吐き出したくなるようなものは詠まない方がいいと思うし、その必要性もないのでは?だからといって決してきれい事を詠めという訳ではありませんよ。自己表現のために俳句を詠むのだから、人にも読んで貰ってその感動を共有することができれば、それが大きな喜びでしょう。だったら必要性もないのにわざわざ汚い言葉を使って不快感を誘うようなことは止めたいものですね。
写真は「箱根空木の花」で、夏の季語。箱根の名が付いていますが、北海道南部から九州沿岸に分布し、スイカズラ科の落葉低木。花の色ははじめ白で、のちに紅に変るため、全体で見ると白と紅が混じって咲いているように見えます。カワイイ花でしょ!
はこねうつぎ妻遠き日の匂ひあり 石田克彦