昨日で2月も終り、今日からもう3月です。朝方から日が差してきて…最高気温も15度まであがるそうですからまあまあ…。でも、午後からはくもりと。
去年の〝2月尽〟で似たようなことを書いていますが、読んでみるとやっぱり去年の方が寒そう。今日はフォーユー定期文化講座の発表会の準備なので今から出かけます。
ところで、「三月」と「弥生」…意味的に同じと思って用いる人がいますが、似てはいても全く季感が違いますので注意して詠みましょう。
「三月」は、春は名ばかりだった二月と違いめっきり春らしくなって、鳥も囀り始め、雛祭やお水取り、彼岸会などの行事とともに春たけなわに近づいていく頃。中旬以降には待ち望んだ桜も…。こんな春の陽気に浮かれ出たくなる気分なんです。
しかし、「弥生」は、陰暦三月の異称で、今でいえば四月ごろですから野山にはいよいよ鳥は囀り、巷にはいろいろな花が咲き乱れていて、まさに桜花爛漫の季節なんです。
雨がちにはや三月もなかばかな 久保田万太郎
降りつづく弥生半ばとなりにけり 高浜虚子
どちらも雨の句で似ていますね。そこで統計的な降水量を見てみました。もちろん一番多いのは梅雨の時期ですが、3月は1,2月に比べると大体倍、更に4月は3倍以上になっています。この頃は〝一雨毎に草木も芽吹いて暖かくなっていく〟と言われますが、それは「弥生」の語源が草や木がいよいよ生い出る意の「いやおひ」からきたものだということにも分かるでしょう。
さて上掲の二句、万太郎の方は〈雨がちに〉と、控えめに雨の日が増えたことを言いながら「彼岸」に近づいたことを〈はや…なかばかな〉と、感慨を込めて詠んでいます。ということは、よく言う〝暑さ寒さも彼岸まで〟の思いがあったのでしょう。 虚子の句では、〈降りつづく〉に思いが籠ります。ちょっともう雨にも飽きたなあ、そろそろ止んでもいいのに…という感じかな。とすると、万太郎の句には春到来への期待と喜びが、虚子の句には残り少なくなった春を惜しむ情が強く働いているようですね。
先ほど準備を終えて帰ってきました。途中親子連れの高校生を見掛けましたが…ああ、そう言えば今日は卒業式だったんだなあと、昔が懐かしく思い出されました。私がかつて勤めていたのは女子校でしたので、女の子の祭の〝雛祭〟にちなんで、〝三月三日〟が卒業式でした。それが共学になって、公立高校と同じ三月一日に変えたんです。これは山口県でのことですが、他県では卒業式はいつなんでしょうか?まさに今日は下の句のようでしたよ。
ゆく雲の遠きはひかり卒業す 古賀まり子
写真は大好きな〝白玉椿〟、今日行ったフォーユーの庭に咲いていました。