ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

船木宿吟行

2019年03月10日 | 俳句

 案の定今日は朝から雨です。娘夫婦は、今日下関で行われる広島対DeNAのオープン戦を観に行くと楽しみにしていましたが、試合中止。とても残念がっていました。やっぱり天気予報は当たりますね。

 それに引き替え昨日はいい天気でした。これはしめたと思いましたが、外に出ると意外と風があって気温は冷たかったですね。新聞を見ると最高気温は16度ですが、最低気温0度とありましたから。

 9時集合。今回は欠席者が多く、総勢11人での吟行。車で宇部市楠総合支所ふれあいセンターまでは30分。ここから船木界隈の道、今から約二千年前頃につくられた都と西国(九州の太宰府)を結ぶ旧山陽道の一部の道を歩きます。今は本当に寂れていて、かつての賑わいを知らない私たちはへエッと思うのですが、今回参加の宇部に生れ宇部で今日まで暮らしているという85歳のNさんの話に納得。〝そりゃあ昔は賑やかで、宇部なんてホントに田舎の漁村だったと、小さい頃よく聞かされていましたから…〟と。石炭も宇部が本家本元かと思いきや、ナントここ船木が発祥地なんですって。知りませんでした。そう言えば宇部市は、大正期の炭田開発によって人口が急増し、1921年(大正10年)村から一躍市になったんでしたね。2004年(平成16年)にこの船木宿のある楠町と合併したんですよ。

 ところで、この「船木宿」の街並みが整うのは、1570年頃(天正期)と推定されています。1635年(寛永12年)、参勤交代の制定により船木は「本宿」となり、1650年(慶安3年)、長州藩の宰判制度が確立すると、藩の政治組織が整備され、船木市村に船木宰判として代官所及び勘場を置き、政治、経済、教育の中心としての形態が次第に整っていったようです。その後、船木宰判に御茶屋を建設するため、1686年(貞享3年)、正円寺を柿ノ木田に移転するなど、往還や宿、駅の整備が進められ、船木は、東の関戸・御荘から西の長府・赤間関と続く本往還の宿駅として位置づけられたようです。それが今では…という感じですが、でも静かで落ち着いた、田舎の好きな人ならホッとするような町なんですよ。では、写真をどうぞ。

 ① 石炭と船木の説明板(ここは船木宰判跡でもある) ② 石炭発祥の地碑 ③ 旅人荷付場跡 ④ 漆喰の商家 ⑤ 原田火薬店の「うだつ」 ⑥ 道路にあるマンホールの蓋 ⑦ 不二醤油の店先 ⑧ 不二醤油店の丁場 ⑨ 不二醤油の「むくり屋根」(ふくらんだ形の屋根のことで金持ちの象徴だったとか…) ※⑤⑨の二軒は山口県の住家100選に選ばれています。

 まだありますが、続きはまた明日にでも。

 

コメント
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