ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

季語のあれこれ…

2019年06月15日 | 俳句

 今日は一日中雨でしたが、夕方からは曇になりました。明日はお天気になるのかしら?でも気温はちょっと低いぐらいでいいのですが、こうも湿っぽいと洗濯物とかがね~。まだこちらは梅雨入り宣言は出されていませんから、これから本格的になるのでしょう。

 今日は定例の宇部馬醉木句会でした。ここでは兼題はありませんので、さまざまな季語が出ます。75句のうち同じ季語というのは、「花菖蒲」が3句、「麦の秋」「青蔦」「夏燕」「豆の飯」「葭切」「梅雨の入」「草とり」がそれぞれ2句、後は全部違う季語でした。まあ、歳時記の中では夏の季語が一番多いんですから当然かも知れませんが…。

 現代の歳時記では一般に、四季と新年の五季ごとに分かれ、更に季語の内容から「時候」「天文」「地理」「生活」「行事」「動物」「植物」という分類がなされています。その季語の数は現在5000以上と言われていて、春、秋、冬は同等、新年が一番少なくて半分以下、夏は1.5倍と一番多く、それも動物・植物が多いのです。

 また、季語はその成り立ちによって三種類に分けることができます。まず一つは「事実の季語」で、雪は主に冬に降るから冬、梅の花は春に咲くから春、という風に自然界の事実にしたがって決められているもの。次に「指示の季語」があり、「春の雨」「夏の山」「秋風」というように、事物の上に季節を表す語がついて直接的に季節を示しているものです。最後に「約束の季語」があって、これは実際には複数の季節を通して見られるものであっても、伝統的な美意識に基づく約束事として季節が決まっているもので、例えば「月」(秋)や「蛙」(春)、「虫」(秋)、「火事」(冬)などといったものがそれなんです。しかし、中には同じものでも、桜は春に咲くから春と「事実の季語」ですが、「花」というのは桜のこととして春の「約束の季語」にもなります。

 これだけある季語をどれも一度は詠んでみたいと思ったりしたことがありますが、今ではもう殆ど見かけなくなったものや地方色の濃い祭や行事など、全く知らない物は当然詠めないだろうと思っています。しかし、最近は情報機器が発達していますので、現場に行かなくてもテレビやパソコンなどの映像で容易く見ることができるようになりました。が、それはやはり見たというだけで臨場感の伴わない絵葉書的俳句になってしまいそう…。でも昔から〝講釈師見てきたような嘘を言う〟とあるように、見てもいないのにさも見てきたかのように言うのが得意な方もいらっしゃるかも知れませんし…。さて、どうなんでしょうね。

 今日の句会にも北海道旅行しての句が出ていましたが、折角の実感をうまく表現できていないものがあって、惜しいと思いました。そこはやはりその実感をどう表現したら読者に伝えられるかということを本人が苦心するしかありませんが…。私の場合ならそういう時は、とにかく句の善し悪しは考えずに、手当たり次第その現場でたくさん詠んでおきますね。要するに〝質より量〟なんです。そして、帰ってからあれやこれやの場面を思い出してそのエキスを抽出し、それを核にしてゆっくりと練り上げていくのがいいですよ。そのためには写真やパンフなど手に入る資料をしっかり持って帰ること。せめて一箇所につき最低10句は詠んでおかないと…さあ、みなさん頑張りましょ!

 今日の写真は、紫陽花の残りの二つです。最初のは普通の白の紫陽花、後のは〝黒軸紫陽花〟といって、軸が真っ黒の珍しい紫陽花です。

 

 

 

コメント (2)
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