ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

俳句の〝恥はかきすて〟ですよ!

2019年06月16日 | 俳句

 今日はカラッとしたいい天気になり、洗濯日和でした。洗濯物を干しに外へ出ると、日差しが頬に痛いぐらいに感じられてまこと夏らしい!久し振りに草取りもしました。

 好きなようにさせてほうって置いた十薬を、そろそろ花も終りに近いので抜きましたよ。昨日の雨で土が軟らかくなっていて、オモシロいように抜けましたが、根はやはり残りますので、またしばらくすると生えてくるでしょうね。でもまあ、毎年のことですから、あまり気にはならなくなりましたが…。

 今日は書くことがありません。どうしましょう…

 あ、先程見ていた「ふらんす堂通信」の中にいい言葉がありました。どなたの言葉かは分からないのですが、ナルホド!と「共鳴」…

 「俳句の伝え方は理解ではなく共鳴。自分の中の音叉が響いて相手の音叉にも響くんだよ。音叉の音をしっかり鳴らせるためには、まず言葉に実感が籠り、思いに対して正直で、そしてその言葉に体重が乗っていなければならない」さらに「自分が感じたことは、リズムと季語に担わせて届ける」と。

 まあ、誰がどう言おうとも、俳句は文芸の一つ、即ち〝言語によって表現される芸術〟と考えれば、自己満足で終ってしまうものではないでしょう。だって芸術とは〝鑑賞の対象となるものを人為的に創造する技術〟を言うんですから。その表現手段が、言語であったり、音であったり、色彩であったり…などと考えれば、鑑賞されうる対象を創らねばならないということでしょうか。

 だから、作品というのは、どんなものにしろ人に見て貰わなければ独り立ちをしないものなんです。ところが、始めるとき自分の作品を人に見せるのが恥ずかしいと、殆どの人がいいます。特にいい大人ほど…。この羞恥心を捨てない限り上手くはならないんですがね~。

 私は入門された人には必ず言います。〝恥ずかしがらないで下さいね。あなたは今一年生に入学した子供と一緒。だから字が書けなくて当り前。子供は一生懸命勉強して書けるようになるでしょう〟と。この関門を抜けられると、次は少しでも上手になりたい…そのうち誉められるようになるともっとうまくなりたい…と、どんどん成長していきます。それが人間というものでしょう。たとえそれが何であっても、例えば料理、花壇、野菜とかささいなものであっても、自分で作ったものを誉められるということは意欲の湧くものですからね。ホント!

 昔のことわざにもあるでしょう〝旅の恥はかきすて〟と。入門する道を旅と思えば同じこと。さあ、頑張りましょう!

 何とか書けました。(いつの間にか朝になりましたが…) 今日の写真は、〝柿の実〟。もうこんなに大きくなりました。下のは柿の三兄弟?

 

 

コメント (8)
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