ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

柳井の〝金魚ちょうちん〟

2019年06月28日 | 俳句

 雨が降る降ると言いながらも、今日もたいして降らずに蒸し暑い一日でした。

 午後からはフラダンスに出掛けましたが、もう冷房が入っていましたので踊っているときは涼しい!終って部屋を出た途端のムッとするような暑さ…でも、外に出ると風があって少しはましでしたが…。

 先日の柳井吟行の写真がもう少しありますので、それをどうぞ。これで柳井は本当に終りです。スミマセンね。

 さて、柳井の特産品と言えば、〝甘露醤油〟に〝柳井縞〟、それに有名な民芸品の〝金魚ちょうちん〟がありますので、それについて少しお話ししましょう。

 柳井津の〝金魚ちょうちん〟は、青森津軽地方の「金魚ねぶた」が江戸時代の後期にこの地にもたらされ、現在の形に発展したものです。柳井津の豪商たちが、回船で北方の文化や文物をいろいろ持ち帰ったのですが、その中の津軽の「金魚ねぶた」を真似て作り、それを子供たちの玩具として与えた人物がいるのです。それが染物業と蠟燭業を営んでいた熊谷林三郎氏。その後は夜店で販売したり、お盆の迎え提灯や精霊送りの提灯として使われるようになりました。しかし、戦争で販売が中止になって、戦後復活したものの一旦途絶えかかっていたものを、その後復活させようとする熱心な人々が現われて、今では柳井の特産品として好評を博しているのです。

 この「金魚ちょうちん」を約4,000個吊り下げ、そのうちの2,500個には灯が点されて行われる「金魚ちょうちん祭」は、幻想的な夏の柳井を彩る風物詩として欠かせないものになっています。以前一度私も観に来たことがありますが、今年も8月13日の夕方から盛大に繰り広げられるようですよ。興味のある方は是非どうぞ!

 ところで、先日の吟行会で「金魚ちょうちん」は季語になりますか?という質問が出て、主宰は〝ならないでしょう〟と答えられました。私もそう思います。「金魚」は夏の季語ですが、それは動物として。「提灯(ちょうちん)」は季語ではありませんが「盆提灯」とかなら秋の季語になります。しかし、ここのは民芸品の「金魚ちょうちん」ですから、お土産として年中売っていますものね。それでもどうしてもというのなら、「金魚ちょうちん祭」として使わないといけないでしょう。そうすると「祭」が季語になりますから。

 写真は、その「金魚ちょうちん」と金魚の折紙の笹飾りです。白壁の鏝絵にも金魚がありました。もう一つ珍しいものに古い小さなオルガンが「柳井市街並み資料館」に展示してありました。それには〝山葉風琴オルガン〟と書いてありましたが、その時面白い会話があったんですよ。〝かわいいオルガンやね~。これ何と読むのかしら?〟〝さんようじゃ~ない!〟〝ふ~うん、昔そういう会社があったのかしら…。それとも「山葉風琴」という名前かもよ〟などなど…。すると、Sさんがやって来て、〝何?これ?「ヤマハ」と言うんじゃないのか〟と。その瞬間のみんなの驚き。〝わあ、全く思いつかなかった!なるほどそうやね~〟と納得。私もその中の一人でしたが…。ああ、もっと頭を柔軟にしとかんといけんと、反省しきりでした。〝ところで本当なの?〟とSさんに聞くと、〝わしもでまかせ言うたんじゃから…責任は持てん〟と。いやはや…

 さて、どうなのでしょう?帰って早速「ヤマハ株式会社」検索してみると…以下のようにあり、間違いありませんでした。よかった!

 「ヤマハ株式会社」は1987(昭和62)年10月1日、その前身「日本楽器製造株式会社」から現在の社名に変更しました。 それは創業者山葉寅楠(1851(嘉永4)年4月20日生、1916(大正5)年8月8日没)が、静岡県浜松市で1台の壊れたオルガンの修理をきっかけにして創業を開始してからちょうど100年目の年でもありました。当社の商標「YAMAHA」はこの創業者の名に由来します。 1887年に浜松尋常小学校の壊れたオルガンの修理に成功したところからオルガン製作を決意し、1889(明治22)年浜松に合資会社山葉風琴製造所を設立しました。1897年(明治30)年10月12日には資本金10万円で日本楽器製造株式会社を設立し、初代社長に就任しました。

 

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