ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝秋の暮〟

2019年10月23日 | 俳句

 昨日は、天皇陛下の「即位礼正殿の儀」が行われるので、国民が祝意を表するためとして今年限りの祝日となっています。だから、いずこも休日のはずなんですが、…

 ところが、ここのふれあいセンターは休みではないのです。ああ、これはどこのふれあいセンターも同じだと思うのですが、こういうコミュニティー関係の施設ではいろいろな講座が開かれていますので、普通の時でもお休みはないようですね。だから、土日などにはいつもの職員ではない臨時の方が勤めておられますもの。

 それで私たちもやれたんですが、実は俳句教室の日だったんです。13時30分からですので、13時からの即位の礼の様子は見られませんでした。帰ってニュースでは見ました…平安時代の絵巻そのもののようでと、アナウンサーが言っていましたが、皇后陛下や他の皇族の方々の十二単はまこと美しかったですね。でも、東京の方は雨がザアーザアーと…こちらではまあまあの天気でちょっと暑いぐらい、最高気温も25度でした。

 それはそうと、平成天皇の即位の礼、当然あったはずなのに…主人に〝何か覚えてる?〟と聞くと、〝いや、何も覚えとらん。仕事が一番忙しかった頃かいの~〟と。私も全く同じ、祝日で休みだったかどうかも…まだ30年ほどしか経っていないというのに…。それよりもしっかり目に焼き付いているのは、あの皇太子殿下の時の美智子様とのご結婚。もちろん装束の姿もですが、特にご成婚パレードの車に乗られた美智子様の姿が、まるで外国映画でも観るようで…ワクワクしながらテレビに齧りついっていましたっけ…アッ、その頃のテレビってまだ白黒でしたよね。

 まあ、その話はおいといて、今日の兼題は〝秋の暮〟でした。この季語には〝秋の夕暮れ〟と〝秋の末〟という意味がありますと、『角川俳句大歳時記』には説明があります。私が初心の頃は、〝秋の暮〟は秋の夕方で、晩秋のことではない。晩秋をいうのなら〝暮の秋〟にと指導を受けました。清少納言の『枕草子』でも、〝春はあけぼの…夏は夜…秋は夕暮れ…冬はつとめて…〟と、それぞれの季節で風情があるのはと、書いていますが、あれも秋は日暮れ時です。また、『新古今集』にも「秋の夕暮」と結んだ3首の歌があって、「三夕(さんせき)の和歌」として有名です。しかし、この3首もすべて〝秋の夕暮れ〟の風景を詠ったもので、秋の末という意味には使っていません。まあ、言わなくても秋という季節の持つ侘しさと一日が終ろうとする時間的な淋しさは重なってくるとは思いますが…。それは生きるもの全てがもつ寂寥感というものでしょうが。

  去年より又淋しいぞ秋のくれ

  鳥さしの西へ過ぎけり秋のくれ

 この2句とも与謝蕪村の句です。前句には両方の意味で曖昧さが感じられます。しかし、〈去年より又…〉という感慨に対して〈秋のくれ〉という一日の数時間を実感しているとすれば少し短すぎるような、更に冬という季節に繋がるものと考えるならば、秋の末の方が合うような気もします。この句には「老懐」という前書が付いているとか…。

 後句は〈鳥さしの西へ…〉ということですので、「西」は〝日が沈む方〟だと考えれば、当然夕方でしょう。ちなみに、「鳥さし」というのは、〝細い竹竿などの先端に鳥黐(とりもち)を塗って小鳥を捕え、それを売る人〟のことです。とすると、一日の仕事を終えた鳥さしが帰っていく状景を見ての句でしょうからね。

 そういえば、「夜の秋」という季語も、古くは「秋の夜」と同じ意味で、秋季として用いられていたらしいんですが、今では〝昼はまだ夏の暑さが厳しいのに、夜になると何となく秋の気配が漂う〟という、晩夏の季語になっていますもの。

 句会では、季語の動く…即ち「秋の暮」でなくてもいいという句が目立ち、結構難しい兼題でした。また、モチーフ的にも淋しさに繋がるもので処理している句、要するに〝即きすぎ〟ということも。でも今日は〝即位の礼〟の日なんだから、どんな欠点があっても〝恩赦、恩赦〟と言って、みんなで笑って終りました。休日なのに皆様お疲れ様でした。

 写真は、〝秋の暮〟の「柿紅葉」。こんなにキレイなのもありましたが、今年は葉も実も殆どダメですね。

 

コメント (2)
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