昨日から大分の実家へ墓参をかねて兄のお見舞いに行って来ました。母が居るときは盆と正月の帰省は欠かしたことがなかったのに…用がなければだんだんと故郷が遠ざかります。悲しい!
家はみな杖に白髪の墓参り
これは芭蕉の句ですが、我が家もまさにその通りになりつつあります。
父は85才で亡くなりました。80才を過ぎた頃から足が痛いと…今思えば膝だったのでしょうが、痛い、痛いと言いながらやっと歩いていました。最後の方はトイレと風呂に行くのがやっとで、殆ど椅子に座って過ごしていましたが、旅行は大好きでしたから、兄や弟たちが車椅子で連れて行ったりしてましたね。今でいえば〝変形性膝関節症〟。これはどうも我が家の遺伝のよう。だから、会えば兄も弟も膝の話ばかり…とうとう一番ひどくなっている下の弟が来年は手術をすると言いだしました。次は…もしかすると私かも。でも誰になってもそれはもう時間の問題のようです。
現在もう兄と義姉、弟が杖をついての墓参り、だとすればそのうち〝みな〟になるでしょうし、〝白髪〟は当然でしょうから、芭蕉の言うとおり。納得ですよ。
ところで、この連休の帰省でしたから、行きの高速道はあちらこちらで渋滞、普通3時間で行っていたところを5時間以上も掛かってしまいました。今日の帰りはスムーズに流れましたが、どっちにしろ暑かった!夕立でも来ると少しは違うのにと思うのですが、宇部でも大分でも降りませんね。やっぱり30度以上ありましたもの。でも大型台風10号が近づいてきていますから、お盆はどうなるかしら。被害が出ないといいのですが…
〝墓参〟は秋の季語ですが、故郷や実家に帰る〝帰省〟は、夏の季語なんですよ。殆ど同じ時期になるんですけど。ヘンでしょ!でも、学生などの帰省を考えると、それは夏休みにしますから、夏。墓参は主にお盆にするものですから秋になるのです。
帰省して母亡き家の広さかな 斉藤君子
私の実家は、母が居たときは、義姉とその長男夫婦にその子供たち3人と、合せて7人の賑やかな家でしたのに、今回は義姉は入院し、4月から子供3人が同時に進学してこの家を出たので、今なんと長男夫婦の2人だけになってしまい、広い家がますます広くなっていました。
しかし、この句の〈広さ〉というのは、そういう人数的な単純な広さではなく、拠所とする母がいないという心の空虚さからくる広さ、それをしみじみと実感しての感慨なんです。それが〝かな〟の切字に籠められているんですね。
話は変りますが、今日の甲子園の第1試合は宇部鴻城と宇和島東。随分待たされましたが、無事一勝を挙げてホッとしました。よかったね、オメデトウ!
写真は、〝縷紅草〟(るこうそう)で、晩夏の季語。南アメリカ原産のヒルガオ科の蔓性一年草。
明日は俳句教室ですので、東北旅行の続きはちょっとお休み…ゴメンナサイ!