ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

秋田の〝竿燈まつり〟だよ!

2019年08月09日 | 俳句

 東北旅行から帰って疲れがでたからでしょうか、喉が痛い!今朝は頭痛まで…どうも夏風邪をひいたような感じなんですが、これ以上悪くなると今後のスケジュールに影響がでてしまいます。それで一生懸命うがいをして、今日のフラダンスとリハビリを休みました。

 明日はダブル句会の日だし、日曜日からは墓参りを兼ねて大分へ。次は俳句教室と…今月もやることが目白押しなんですから寝ちゃ~おられないんですよ。更に、ブログも書かなくてはね。訪問して下さる方に申し分けないも~ん。(笑)

 それでは今日は、秋田の〝竿燈まつり〟にいきましょうか。

 これも秋の季語です。歳時記の説明には〝秋田市に伝わる伝統行事。ねぶり流し、ねぷたの一形態である。陽暦の8月3日から6日、先端に厄払いの御幣をつけた稲穂を形どった太竹にたくさんの横竹をつけて、それに俵に見立てた48個または46個の提灯を提げ、太鼓や笛の音、囃言葉に合せて、額・肩・腰・手・指先などで操って見せるのである。1本50㎏の重さにも及ぶ。18世紀後半から蠟燭の普及などによって始まった。もともとは体の穢れや睡魔を祓うための行事だが、豊穣祈願の念も籠めて現在に受け継がれている。〟と、何とも事細かく書いてあって、これに付け足すことはもう何もありません。

  竿燈や光の大河さながらに       宇都木水晶花

  竿灯が揺れ止み天地ゆれはじむ     鷹羽狩行

 でも、これで分かるのは知識だけですよね。もちろん写真やテレビなどで見れば、ある程度はどのようなものかは分かるでしょうが。ところが、やっぱりじかにこの目で見なくては分からないことがあるんです。そう、まさに〝百聞は一見にしかず〟です。

 それでは、上の説明以外で知ったことを…

  ① 竿燈の提灯に使った蠟燭は安産のお守り…蠟燭の長さが短ければ短いほどお産の時間が短くなり、安産に御利益がある。

  ② 倒れたり激しく揺れたりする提灯に蝋燭の火が燃え移らないのは、提灯の底に透き間があって、そこから風が入り火が消えるようになっているから。

  ③ 竿燈が立ち上がるとき、全て同じ方向を向いていのは、藩主の庇護の元で続いてきたことへの感謝を表わすために、久保田城址のある千秋公園へ向けているから。

  ④ 竿燈の紋様は、表面にはそれぞれの町内の町紋、裏面は多くの町内で竿燈に携わる若者の意から「若」と描かれている。

  ⑤ 竿燈の町紋には、武者絵のような荒々しい戦に関連したものはなく、久保田城下町の平和と繁栄、豊かな実り、長寿への願いが込められ、これらの紋様は、久保田城九代藩主佐竹義和が贈り与えたものだと言われている。その民の幸福を願っていた藩主の想いが込められている町紋は各町内の誇りとなって、現代に脈々と受け継がれているのだという。

 ちなみに、秋田市は、関ヶ原の戦いで佐竹義宣が常陸から出羽に転封され、窪田(のちに久保田)に築城して、1633年に旧秋田市街の輪郭ができたといわれています。その久保田が、明治に至るまで秋田藩佐竹氏の城下として繁栄し、その城跡は今では千秋公園とよばれて市民の憩いの場所となっているようです。

 私たちは17時半頃竿燈まつり会場へ到着し、また桟敷席での観覧になるのですが、今度は椅子席でした。それも中央分離帯のところですので、21時頃の終了まではそこからでることができません。途中休憩があってその時だけ道路を横断してトイレなどへ行くことが出来るんです。この日の夕食は自由食でしたので、始まる前に沿道の屋台などで買って食べました。人が多くて大変!フウッ…

 18時50分に竿燈入場、笛の合図で一斉に竿燈を起します。それから〝力四分に、技六分〟といわれる妙技が始まります。

 写真は、竿燈の入場、これは〝小若〟かしら、それとも〝幼若〟? 次は囃子方の行列、太鼓車を引く人だけ男性で他は殆ど女性です。さあ笛が鳴りました。一斉に竿燈を起しています。ほら最後はみんな真っ直ぐに立ったでしょう。妙技はこれからですが…

 まだまだ長くなりますので、続きはまた明日にでも…。ゴメンナサイ!

コメント (2)
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