毎年旧盆のこの季節になると亡き両親の思い出に浸ります。その多くは二人の運命を大きく翻弄した先の大戦に纏わるエピソードです。
軍艦愛宕と褌 父は戦争中の話を殆ど私にしませんでした。例外は自慢話の類ばかりです。東北地方の農家の三男だった父は1930年に19歳で志願兵として海軍に入りました。横須賀では内燃機関などを学んだそうです。後に軍艦愛宕の機関兵となり、最後は舞鶴で新兵教育の教官を務めて終戦を迎えました。
軍艦愛宕は艦隊の旗艦を務め、日本の近海では皇族が乗船することもあったようです。父が夜勤をしたその朝も皇族が乗っていました。特別船室の窓が開いて白い物が投げ出されました。それはひらひらと舞いながら暗い海面に落ち、やがて沈んでいきました。機関兵の仲間内ではそれは褌だろうとの噂でした。皇族は下着を洗濯に出すのではなく、毎朝暗いうちに海に捨てるのでした。
この話を聞いたのは私が中学生の頃です。父にとっては旗艦愛宕に皇族を迎えたことは名誉なことだったのでしょう。父は幼い頃から教育勅語を暗唱して育った帝国軍人でした。私が30歳の頃世界連邦運動に参加し、片山哲元首相の筆による現憲法前文の額を家の玄関に飾った時、父は反対しました。日本社会党の片山氏も、或いは現憲法にも反対だったのかも知れません。私が結婚して家を出た後もその額はそのままでしたが、父は床の間に教育勅語の額を掲げ、昭和天皇の写真も飾っていました。それは帽子を掲げてにこやかに微笑む姿でした。
私は父の心の深層を知ってつくづく教育の怖さを感じたのです。戦前の道徳教育「修身」は天皇を神格化して国の主とし、国民には滅私奉公を強いたのでした。2012年に自民党が公表した憲法改定草案は現憲法の3本柱である主権在民、基本的人権の尊重、平和主義を悉く弱め、父が教育を受けた時代の大日本帝国憲法に引き戻そうとするものです。更に安倍政権は道徳教育を強化しました。「郷土愛」などの押し付けです。道徳という心の範疇に政治が踏み込んではなりません。安倍政権は終戦までの教育がもたらした結果を反省をしていないのです。また地理・歴史教科書の中で戦争・領土に関して安倍政権の見解を記述することとしました。しかし歴史の真実は一つです。相手国との見解の相違は互いに事実を擦り合わせて解消しなければなりません。どうしても解消出来なければ両論を公平に併記するしかありません。さもなくばこの教科書で学んだ日本の若者は将来この問題で間違った判断を下し、我が国のみならず世界に災いしかねないのです。