立夏も過ぎ、周りの水田から蛙の合唱が聞こえる季節になりました。
ところで蛙と言えば皆さんは「茹でガエル」という言葉を御存じでしょうか。蛙を熱い湯に入れると驚いて飛び出すが、水の状態から徐々に熱していくと変化に気づかずにとうとう茹って死んでしまうというものです。生物学的には否定されていますが、ビジネスの世界では経営環境変化に敏感であれと戒める言葉として良く使われます。
私はこの言葉をデフォルメして「茹で蛙達」とします。蛙達はたとえ水温の上昇に気付いても周りを伺います。最初に飛び出しては臆病者と笑われるので我慢し、周りの誰かが飛び出したら自分も続こうと考えるあまりとうとう誰も飛び出さず全員が死んでしまうのです。
日本国憲法は先日施行70周年を迎えました。当初は国民の殆どが満腔の賛意でこれを迎えたのです。その様子は当時の文部省が憲法施行直後に中学一年生の社会科教科書として発行した「あたらしい憲法のはなし」の文面に良く表れています。しかし朝鮮半島情勢が不穏になった1950年に副読本に格下げされ、更に52年からは発行停止になりました。
その頃から我らを取り巻く水温が徐々に上がっていきます。50年に警察予備隊発足、51年に日米安保条約調印、54年に自衛隊発足、55年に自民党が綱領に改憲を盛り込んで結党…と「あたらしい憲法」に解釈改憲が積み重なっていきます。
少し飛びますが、99年に国旗国歌法が施行されました。憲法19条で思想・良心の自由が補償されているにもかかわらず、公務員たる教師はその埒外に置かれます。2012年に自民党が「憲法改正草案」を発表しました。まるで先の戦争を引き起こした明治憲法に戻すかの様な内容です。ここからは第二次安倍政権での出来事です。13年に国民の知る権利を制限する特定秘密保護法成立、14年に武器輸出3原則を改悪して防衛装備移転3原則を制定、続いて集団的自衛権行使容認を閣議決定、15年に平和安全法制(戦争法)可決、先頃その構成要件である「駆けつけ警護」や「米軍補給艦防護」の実績を着々と積み上げています。そして今共謀罪を設けて国民の内心を縛ろうとしています。またこのほど教材としての教育勅語を閣議決定で認めたのは森友学園の園児たちの様にこれを唱和する姿を好ましく思い、広く普及させたいと願う政権の本心に違いありません。更には総理自ら改憲項目と改憲時期を表明するという憲法違反を犯すに至りました。今まさに我らの周りの水温は限界まで上がっています。
1945年に成立した国連憲章に対して世界の平和を維持するための機関としての脆弱性を指摘する声が日本でも世界でも上がりました。それが世界連邦運動の先駆者たちの声でした。47年に施行された日本国憲法は国連が世界連邦に進化することを前提としている節さえ伺えます。しかし残念ながら未だに国連は進化していません。安保理は5常任理事国が拒否権を行使し合うあまり紛争解決の任務を果たせません。正式な国連軍は組織されず、武力は米軍など各国軍の寄せ集めで権威がありません。まるでやくざ同士の抗争の様なものでしかないのです。
この70年余りの間世界は国連の強化・改革を怠ってきました。それ故中東では1948年以降戦火が絶えません。最近ではロシアが力ずくでクリミア半島を併合し、中国も力ずくで南シナ海の殆どを領有しようとして国際機関である常設仲裁裁判所の判決を無視しています。そして世界は今軍拡の時代に向かっています。中国の急激な軍拡と北朝鮮の核武装化に抗して我が国も米国も欧州も軍拡に舵を切りました。実に愚かなことです。人類はまた大きな過ちを犯すのでしょうか。
今こそ私達は一斉に湯船から飛び出しましょう。そして声を合わせ、力を合わせてこの安倍政権を倒しましょう。市民が先頭に立ち、野党の力を結集して新しい政治を始めましょう。憲法を現実に合わせて変えるのではなく、現実を変えて憲法に合わせましょう。そうすれば日米安保条約も沖縄の米軍基地も不要となります。そのためには国連の改組・強化が必須です。世界の人々と力を合わせてこれを推し進める政治に変えていこうではありませんか。
ところで蛙と言えば皆さんは「茹でガエル」という言葉を御存じでしょうか。蛙を熱い湯に入れると驚いて飛び出すが、水の状態から徐々に熱していくと変化に気づかずにとうとう茹って死んでしまうというものです。生物学的には否定されていますが、ビジネスの世界では経営環境変化に敏感であれと戒める言葉として良く使われます。
私はこの言葉をデフォルメして「茹で蛙達」とします。蛙達はたとえ水温の上昇に気付いても周りを伺います。最初に飛び出しては臆病者と笑われるので我慢し、周りの誰かが飛び出したら自分も続こうと考えるあまりとうとう誰も飛び出さず全員が死んでしまうのです。
日本国憲法は先日施行70周年を迎えました。当初は国民の殆どが満腔の賛意でこれを迎えたのです。その様子は当時の文部省が憲法施行直後に中学一年生の社会科教科書として発行した「あたらしい憲法のはなし」の文面に良く表れています。しかし朝鮮半島情勢が不穏になった1950年に副読本に格下げされ、更に52年からは発行停止になりました。
その頃から我らを取り巻く水温が徐々に上がっていきます。50年に警察予備隊発足、51年に日米安保条約調印、54年に自衛隊発足、55年に自民党が綱領に改憲を盛り込んで結党…と「あたらしい憲法」に解釈改憲が積み重なっていきます。
少し飛びますが、99年に国旗国歌法が施行されました。憲法19条で思想・良心の自由が補償されているにもかかわらず、公務員たる教師はその埒外に置かれます。2012年に自民党が「憲法改正草案」を発表しました。まるで先の戦争を引き起こした明治憲法に戻すかの様な内容です。ここからは第二次安倍政権での出来事です。13年に国民の知る権利を制限する特定秘密保護法成立、14年に武器輸出3原則を改悪して防衛装備移転3原則を制定、続いて集団的自衛権行使容認を閣議決定、15年に平和安全法制(戦争法)可決、先頃その構成要件である「駆けつけ警護」や「米軍補給艦防護」の実績を着々と積み上げています。そして今共謀罪を設けて国民の内心を縛ろうとしています。またこのほど教材としての教育勅語を閣議決定で認めたのは森友学園の園児たちの様にこれを唱和する姿を好ましく思い、広く普及させたいと願う政権の本心に違いありません。更には総理自ら改憲項目と改憲時期を表明するという憲法違反を犯すに至りました。今まさに我らの周りの水温は限界まで上がっています。
1945年に成立した国連憲章に対して世界の平和を維持するための機関としての脆弱性を指摘する声が日本でも世界でも上がりました。それが世界連邦運動の先駆者たちの声でした。47年に施行された日本国憲法は国連が世界連邦に進化することを前提としている節さえ伺えます。しかし残念ながら未だに国連は進化していません。安保理は5常任理事国が拒否権を行使し合うあまり紛争解決の任務を果たせません。正式な国連軍は組織されず、武力は米軍など各国軍の寄せ集めで権威がありません。まるでやくざ同士の抗争の様なものでしかないのです。
この70年余りの間世界は国連の強化・改革を怠ってきました。それ故中東では1948年以降戦火が絶えません。最近ではロシアが力ずくでクリミア半島を併合し、中国も力ずくで南シナ海の殆どを領有しようとして国際機関である常設仲裁裁判所の判決を無視しています。そして世界は今軍拡の時代に向かっています。中国の急激な軍拡と北朝鮮の核武装化に抗して我が国も米国も欧州も軍拡に舵を切りました。実に愚かなことです。人類はまた大きな過ちを犯すのでしょうか。
今こそ私達は一斉に湯船から飛び出しましょう。そして声を合わせ、力を合わせてこの安倍政権を倒しましょう。市民が先頭に立ち、野党の力を結集して新しい政治を始めましょう。憲法を現実に合わせて変えるのではなく、現実を変えて憲法に合わせましょう。そうすれば日米安保条約も沖縄の米軍基地も不要となります。そのためには国連の改組・強化が必須です。世界の人々と力を合わせてこれを推し進める政治に変えていこうではありませんか。