最近の朝日新聞では「ファクトチェック」と称して政治家の議会発言等が間違っていないかチェックしています。正しければ〇、間違いなら✕、それ以外なら△で表します。ちなみに安倍総理の発言には〇以外に△や✕も目立ちます。これは国会等で政治家が偽りや誇張発言をして議論を歪めるのを防ぐうえで効果的なものです。この「ファクトチェック」よりも数段難しいのですが、「政治家の功罪チェック」を実現できないでしょうか。
私が小学6年生つまり1960年の頃のことです。理科の実験室で石綿(アスベスト)を学びました。餅網の目を細かくしたような物の真ん中に、直径10cm程、厚さ5mm程に石綿がびっしりと植え付けられていました。下からアルコールランプで熱しても上のビーカー内の水が熱くならないという断熱材としての機能を教わったのです。先生はその時「これは有害物質なので破片を吸い込んではいけない」と注意しました。
発がん性物質である石綿の被害が盛んに報道されるようになったのはここ10数年ほど前からのことです。安価で優れた断熱材として公共建造物等に多用されました。そしてその破片を吸い込んだ作業員達が平均40年という長い潜伏期間を経て肺がんや悪性中皮腫を患ったのです。被害は石綿の製造又は加工工場周辺の住民にも及びました。風で運ばれた石綿の破片を吸い込んでいたのです。更には工場従業員の家族にも及びました。作業着に着いた石綿を洗濯する際などに吸い込んでいたのです。今でも時々新聞の一面全部を使ってかつて石綿を扱った事業所一覧データが掲載されます。それはこれらの事業所に勤めたことのある人、近くに住んでいた人などに悪性腫瘍罹患の危険性を知らせ、かつ既に患っていたら申し出て医療救済等を受けられる様にする為です。
我が国が全石綿を原則使用禁止にしたのは2004年です。私が理科教師に注意を受けてから既に44年が経っていました。但し欧州では同様の措置をアイスランドの1983年、ノルウェーの84年をかわきりに次々と実施しています。この最大21年に及ぶ禁止時期の差は何なのでしょうか。私はこれが民主主義の成熟度の違い、言い換えれば政治の違いだと考えます。当時の我が国は「経済一流、政治は三流」と言われていました。安価で優れた性能の石綿は代替品に乏しく、これを使用禁止にするにはどの国でも産業界の抵抗がありました。産業界の抵抗と国民の命と健康を天秤にかけて禁止を選んで来た国の順序が上記なのです。
1960年の時点で私の理科教師がその危険性を知っていたと言うことは当時の専門家、担当官僚、担当大臣などの間では常識だったのでしょう。そして83年以降の欧州諸国の規制の動きも逐一知っていたに違いありません。その上で我が国の政治はずるずると規制時期を遅らせ、結果として多くの犠牲者を出したのです。歴代の首相を含め、関係閣僚の誰にどれ程の責任があったか判定し、「政治家の功罪チェック」として公表することは出来ないでしょうか。朝日新聞の「ファクトチェック」同様、メディアがその役割を担うよう期待します。勿論メディア毎に判定は異なるでしょうが、それも良しとします。政治家は己の判断が後年の「功罪チェック」で判定されることを意識することでしょう。その結果としてこの石綿規制の様な案件の実施時期が少しでも早まることになれば成功なのです。
石綿被害のみならず水俣病、薬害訴訟などの公害問題からJOC事故、福島第一原発事故、更には「派遣日報・森友・加計・斎藤・山口疑惑」に至る迄、「政治家の功罪チェック」は後年に必ず実施されるべきです。その為には政府に都合の悪い文書が破棄されないような手立ては是非とも必要です。後から検証できることは民主政治に必須の手段なのです。
官僚の仕事の結果の良し悪しはその上司である閣僚が負わなければなりません。更に閣僚の仕事の良し悪しはその任命権者である首相にも責任があります。選良である政治家の功罪をチェックすることで行政全体をチェックすることになるのです。最近こんな場面がありました。安倍首相が昨年11月28日午前の衆院予算委員会で、学校法人「森友学園」への国有地売却が「適切」と答弁してきたことに関し「財務省が法令にのっとって適切な価格で売買していると信頼していると申し上げた(ものだ)」と説明しました。「私が調べて、私が『適切』と申し上げたことはない」とも語り、「適切」の根拠は財務省への信頼との認識を示しました。「会計検査院の調査を待つ」と言って政府自身の調査をせず、同院に問題ありと判定された後の弁明でした。財務省の仕事に対する財務大臣の責任とその任命権者としての己の責任を回避する言語道断の無責任答弁です。
以前こんな事がありました。2006年の衆議院本会議に於いて安倍総理は吉井英勝議員の巨大地震に伴う原発の安全性に関する質問に対して大略こう答えています。「全電源喪失の可能性はゼロである。冷却材や冷却機能の喪失は起こり得ない。よってそれらが発生するとの仮定の上に成り立つ事故対応策や被害予測・復旧シナリオは必要ない。」
積極的な原発推進派らしく歯切れよく答えましたが、わずか5年後には福島第一原発事故が発生して真っ赤な嘘答弁だったことが実証されます。もしもこの質問を契機に幾つかの安全策の見直しを実施していたなら、あの大事故は防げたに違いありません。この一事を以てしても安倍氏の最高責任者としての結果責任は免れません。この時の判断の過ちを国民と世界に詫び、反省して即刻辞任すべきです。
その原発事故のさなか、野党時代の安倍氏は2011年5月20日に一通のメ-ルマガジンを発行しています。内容は3月12日福島第一原発事故下の1号機に海水注入中、菅総理の指示で55分間注入が中断し、これが事態を極度に悪化させたというものでした。翌日の読売、産経両新聞はこれを大々的に取り上げました。国会では本件に関する野党の質問が相次ぎ、6月2日に提出された内閣不信任案の理由にも含まれています。
しかしこのメルマガの内容も真っ赤な嘘でした。5月23日には「東京電力」が自身の判断で海水の注水を中断、再注入したと認めています。また故吉田所長の証言でも同様に裏付けられました。安倍氏は未だにこの偽ニュースについて反省や謝罪をしていません。
「政治家の功罪チェック」ではこのような政治家の資質の部分を含めて判定すべきだと思っています。メディア各社の皆さんどうか実現してくださるようお願い致します。
私が小学6年生つまり1960年の頃のことです。理科の実験室で石綿(アスベスト)を学びました。餅網の目を細かくしたような物の真ん中に、直径10cm程、厚さ5mm程に石綿がびっしりと植え付けられていました。下からアルコールランプで熱しても上のビーカー内の水が熱くならないという断熱材としての機能を教わったのです。先生はその時「これは有害物質なので破片を吸い込んではいけない」と注意しました。
発がん性物質である石綿の被害が盛んに報道されるようになったのはここ10数年ほど前からのことです。安価で優れた断熱材として公共建造物等に多用されました。そしてその破片を吸い込んだ作業員達が平均40年という長い潜伏期間を経て肺がんや悪性中皮腫を患ったのです。被害は石綿の製造又は加工工場周辺の住民にも及びました。風で運ばれた石綿の破片を吸い込んでいたのです。更には工場従業員の家族にも及びました。作業着に着いた石綿を洗濯する際などに吸い込んでいたのです。今でも時々新聞の一面全部を使ってかつて石綿を扱った事業所一覧データが掲載されます。それはこれらの事業所に勤めたことのある人、近くに住んでいた人などに悪性腫瘍罹患の危険性を知らせ、かつ既に患っていたら申し出て医療救済等を受けられる様にする為です。
我が国が全石綿を原則使用禁止にしたのは2004年です。私が理科教師に注意を受けてから既に44年が経っていました。但し欧州では同様の措置をアイスランドの1983年、ノルウェーの84年をかわきりに次々と実施しています。この最大21年に及ぶ禁止時期の差は何なのでしょうか。私はこれが民主主義の成熟度の違い、言い換えれば政治の違いだと考えます。当時の我が国は「経済一流、政治は三流」と言われていました。安価で優れた性能の石綿は代替品に乏しく、これを使用禁止にするにはどの国でも産業界の抵抗がありました。産業界の抵抗と国民の命と健康を天秤にかけて禁止を選んで来た国の順序が上記なのです。
1960年の時点で私の理科教師がその危険性を知っていたと言うことは当時の専門家、担当官僚、担当大臣などの間では常識だったのでしょう。そして83年以降の欧州諸国の規制の動きも逐一知っていたに違いありません。その上で我が国の政治はずるずると規制時期を遅らせ、結果として多くの犠牲者を出したのです。歴代の首相を含め、関係閣僚の誰にどれ程の責任があったか判定し、「政治家の功罪チェック」として公表することは出来ないでしょうか。朝日新聞の「ファクトチェック」同様、メディアがその役割を担うよう期待します。勿論メディア毎に判定は異なるでしょうが、それも良しとします。政治家は己の判断が後年の「功罪チェック」で判定されることを意識することでしょう。その結果としてこの石綿規制の様な案件の実施時期が少しでも早まることになれば成功なのです。
石綿被害のみならず水俣病、薬害訴訟などの公害問題からJOC事故、福島第一原発事故、更には「派遣日報・森友・加計・斎藤・山口疑惑」に至る迄、「政治家の功罪チェック」は後年に必ず実施されるべきです。その為には政府に都合の悪い文書が破棄されないような手立ては是非とも必要です。後から検証できることは民主政治に必須の手段なのです。
官僚の仕事の結果の良し悪しはその上司である閣僚が負わなければなりません。更に閣僚の仕事の良し悪しはその任命権者である首相にも責任があります。選良である政治家の功罪をチェックすることで行政全体をチェックすることになるのです。最近こんな場面がありました。安倍首相が昨年11月28日午前の衆院予算委員会で、学校法人「森友学園」への国有地売却が「適切」と答弁してきたことに関し「財務省が法令にのっとって適切な価格で売買していると信頼していると申し上げた(ものだ)」と説明しました。「私が調べて、私が『適切』と申し上げたことはない」とも語り、「適切」の根拠は財務省への信頼との認識を示しました。「会計検査院の調査を待つ」と言って政府自身の調査をせず、同院に問題ありと判定された後の弁明でした。財務省の仕事に対する財務大臣の責任とその任命権者としての己の責任を回避する言語道断の無責任答弁です。
以前こんな事がありました。2006年の衆議院本会議に於いて安倍総理は吉井英勝議員の巨大地震に伴う原発の安全性に関する質問に対して大略こう答えています。「全電源喪失の可能性はゼロである。冷却材や冷却機能の喪失は起こり得ない。よってそれらが発生するとの仮定の上に成り立つ事故対応策や被害予測・復旧シナリオは必要ない。」
積極的な原発推進派らしく歯切れよく答えましたが、わずか5年後には福島第一原発事故が発生して真っ赤な嘘答弁だったことが実証されます。もしもこの質問を契機に幾つかの安全策の見直しを実施していたなら、あの大事故は防げたに違いありません。この一事を以てしても安倍氏の最高責任者としての結果責任は免れません。この時の判断の過ちを国民と世界に詫び、反省して即刻辞任すべきです。
その原発事故のさなか、野党時代の安倍氏は2011年5月20日に一通のメ-ルマガジンを発行しています。内容は3月12日福島第一原発事故下の1号機に海水注入中、菅総理の指示で55分間注入が中断し、これが事態を極度に悪化させたというものでした。翌日の読売、産経両新聞はこれを大々的に取り上げました。国会では本件に関する野党の質問が相次ぎ、6月2日に提出された内閣不信任案の理由にも含まれています。
しかしこのメルマガの内容も真っ赤な嘘でした。5月23日には「東京電力」が自身の判断で海水の注水を中断、再注入したと認めています。また故吉田所長の証言でも同様に裏付けられました。安倍氏は未だにこの偽ニュースについて反省や謝罪をしていません。
「政治家の功罪チェック」ではこのような政治家の資質の部分を含めて判定すべきだと思っています。メディア各社の皆さんどうか実現してくださるようお願い致します。