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「戦争への悔恨」に思う

2019-09-16 17:05:22 | より良き我国のために
 先月NHKが公表した田島道治元宮内庁長官の「昭和天皇拝謁記-戦争への悔恨-」を読みました。1948年から5年近くもの長い間、昭和天皇の側近を務めた人物が書き残した記録であり、その正確さ、克明さにおいてこれに勝る資料は無いものと思われます。
 この拝謁記の中には、昭和天皇が再三に亘って国民に伝えようとされたお言葉が記されています。それは「戦争への深い悔恨と、二度と繰り返さないための反省」でした。しかしこれは時の吉田政権に阻止され、国内にも海外にも伝わることはありませんでした。時はすでに現憲法下の1952年、サンフランシスコ講和条約発効記念式典における「おことば」の内容であり、天皇は国民を代表する政権の意向を尊重せざるを得なかったのです。
 しかし私達日本国民はこの時に千載一遇の好機を逸したのではないでしょうか。「戦争への深い悔恨と、二度と繰り返さないための反省」・・・僅か7年前まで戦争の当事者であられた昭和天皇のこのお言葉がこの時に国内と海外に報道され、広まっていたならば、今日に至る我が国の先の大戦への反省の深さと、それを受けての世界の我が国を見る目がかなり違っていたと思えてならないのです。
 先ずは国内への影響です。我が国民の先の大戦に対する悔恨と反省はより深まったことでしょう。天皇が「市ケ谷裁判で公になつた事を見れば実にひどい」と嘆かれた南京事件を含めた幾多の我が国の所業を、被害地の協力を得つつ国を挙げて調べ上げ、公表していたのではないでしょうか。その結果は公文書として残し、教科書にも記載して全ての生徒・学生に学ばせます。これにより、現在「南京事件は無かった」などと嘯く歴史修正主義者は居なかったと思われるのです。
 また当時既に釈放されていたA級戦犯容疑者・岸信介氏をはじめとする戦前・戦中指導者層、公職追放解除となって復帰していた赤尾敏氏などの右翼層などに対する国民の目はより厳しいものになったと思われます。その結果として1957年の岸氏首相就任は無かったのではないでしょうか。更に岸氏を源流とし憲法改定を目指す右派政治勢力の流れも、その支持母体としての日本会議の様な右派団体の流れもかなり細々としたものになったことでしょう。巡り巡って現在の憲法9条改定を悲願とする安倍政権も無かったものと思われます。また靖国神社へのA級戦犯の合祀も無かったことでしょう。そして首相をはじめとする閣僚は政教分離の原則に従い、拡充成った千鳥ヶ淵戦没者墓苑に公式参拝しているものと思われるのです。
 次に海外への影響です。昭和天皇の戦後の海外ご訪問先は欧米諸国のみでした。その中でもイギリスとオランダでは退役軍人等の反発行動がありました。もしも「戦争への深い悔恨と、二度と繰り返さないための反省」のお言葉が広く報道されていたら、この反発行動もかなり小さくなっていたのではないでしょうか。また中国と韓国をはじめとするアジア諸国へのご訪問もあり得たかも知れません。現地でこのお言葉を直接述べられたならアジアの戦争被害者・遺族の心の傷もかなり癒されたものと思われます。その上で歴代の首相が朝鮮半島、中国などの戦争被害者・遺族などに直接会って謝罪を重ねていたならば、現在泥沼状態に陥っている日韓関係の様な事態は無かったことでしょう。
 勿論歴史に「・・・たら・・・れば」はありません。上記は全て私の夢想に過ぎないのですが、それでもつくづく正夢であって欲しかったと思うのです。ところで現実の2019年に戻って、私たちはこのままで居て良いのでしょうか。勿論良くありません。私たちは今からでもやり直さなければならないと思うのです。
 先ずは20世紀前半の我が国・我が軍の所業を国を挙げて調べ上げるのです。そのためには朝鮮半島や中国をはじめとする被害国の協力を得なければなりません。その結果は国内外に公表し、公文書として残し、教科書にも記載して全ての生徒・学生に学ばせます。その上で首相が朝鮮半島、中国などの戦争被害者・遺族に直接会って謝罪を重ねるのです。そうすれば我が国と戦争被害国との間に長い間刺のように突き刺さっている歴史認識問題が抜け落ちて行くことでしょう。
 ただしこれは安倍政権は勿論、自民党中心の政権では出来ません。出来るだけ早く非自民党のリベラル政権を立ち上げて上記を実行してもらうしか無いのです。そのためには来月の参院埼玉補欠選挙を皮切りに今後のあらゆる国政選挙と地方選挙で立憲民主党を中心とするリベラル勢力を勝たせなければなりません。皆さんのご賛同とご協力を切にお願いする次第です。